第十話 王子さまは、最高の聖女を求む
王都。
白亜の城壁に囲まれた都は、朝の光を受けて輝いていた。
磨き上げられた石畳。
噴水の水音。
高く翻る王家の旗。
そして城の西側――騎士団訓練場。
乾いた剣戟が、鋭く空気を裂いた。
◇
踏み込み。
斬撃。
受け流し。
銀閃と金色が、何度も交差する。
見守る騎士たちが息を呑むほどの速さだった。
「っ……!」
高い金属音。
次の瞬間、一方の剣が大きく弾かれた。
勝負は決した。
◇
「ははっ!」
先に笑ったのは、剣を弾かれた男だった。
汗に濡れたプラチナブロンドをかき上げる。
華やかで、堂々としている。
王太子、セドリック・パレディオスだ。
「やっぱ強いな、お前」
負けた側なのに、場の空気はむしろ明るくなる。
「殿下も、かなり鋭くなってます」
ヴェリスは静かに剣を下ろした。
落ち着いた暗い金の髪が、汗に濡れて額へ張りついている。
「踏み込み、以前より速い」
「珍しく褒めたな?」
「事実ですので」
一瞬の沈黙。
それからセドリックが吹き出した。
「ほんと昔から変わんねえな、お前!」
訓練場に笑いが広がる。
「でも殿下、前より絶対強くなってますって」
「努力してるからな」
騎士たちへ気安く返しながら、セドリックは木剣を肩へ担いだ。
自然と人の輪の中心にいる。
それが、セドリックという男だった。
◇
「隊長、一年ぶりの王都なのに相変わらずですね」
レオンハルトが笑う。
「何がだ」
「令嬢方がまた騒いでますよ」
「放っておけ」
「無理でしょう。学院時代からずっとですし」
セドリックがにやりと笑った。
「昔から妙にモテるんだよな、こいつ」
「……否定はしません」
「そこは否定しろよ」
レオンハルトが吹き出す。
「まあ、俺に並ぶのはお前くらいだろ」
「殿下、自分で言います?」
「事実だからな」
あっさり返され、また笑いが起こった。
◇
「でも隊長って、意外と続かないですよね」
若い騎士がぽつりと言った。
「……何がだ」
「恋人です」
一瞬、周囲が静まる。
「あー、それは分かるな」
セドリックが笑った。
「好かれる。付き合う。ちゃんと大事にはする」
「でも学院じゃ剣術ばっかり」
「卒業したら今度は任務だ」
「結果、女性のほうが愛想を尽かす」
「……語弊があります」
「あるか?」
「ありませんね」
レオンハルトが即答した。
周囲から笑いが漏れる。
「隊長って、優しいんですけどね」
「だから期待されるんでしょう」
「なのに、追わない」
「……相手が別れたいなら、仕方ないでしょう」
「ほら。それですよ」
ヴェリスは疲れたように額を押さえた。
「放っておいてください」
また笑いが起こる。
その中で、若い騎士がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……エリーゼ様も?」
ヴェリスの眉が、ほんの僅かに動いた。
「……何の話です」
「学院時代、ずっと隊長のことを慕っていたって」
「有名でしたよね」
レオンハルトが笑う。
「社交界では、二人は付き合ってるって噂までありましたし」
「違います」
ヴェリスは即答した。
「じゃあ、どういう関係だったんです?」
「幼馴染みで……妹のようなものです」
「妹?」
「ええ」
それ以上、ヴェリスは語らなかった。
「エリーゼでも駄目だったか」
「殿下」
「何だよ」
「そういう言い方は誤解を招きます」
「はいはい」
セドリックは楽しそうに笑った。
「まあ、お前らしいけどな」
◇
「殿下はどうだったんです?」
若い騎士が今度はセドリックへ尋ねた。
「俺か?」
「学院時代、かなり遊んでいたって噂ですが」
「噂じゃない」
セドリックは悪びれず笑った。
「学院時代は楽しかったぞ」
「でしょうね」
「夜会も好きだったし、綺麗な女性方と交流するのも嫌いじゃなかった」
「最低ですね」
「最高だろ?」
訓練場がどっと沸く。
「何人か噂になりましたもんね」
「何人かどころじゃないでしょう」
「それは言い過ぎだ」
「否定はしないんですね」
「事実だからな」
セドリックは笑った。
だが、その笑顔が少しだけ変わる。
「……まあ、二十歳までだ」
木剣を肩から下ろす。
「王太子になったからな。」
その声には、先ほどまでの軽さがなかった。
「今は?」
「独り身だ」
「遊ばないんですか?」
「遊ばない」
即答だった。
「王太子の身で、好き勝手するわけにもいかないだろ」
「急に真面目ですね」
「俺だって、やるときはやる」
「説得力が……」
「おい」
また笑いが起こる。
セドリックも笑った。
けれど。
次の言葉だけは、静かだった。
「王妃は別だ」
青い瞳が真っ直ぐ前を向く。
「国の未来がかかってる」
「俺一人の好みで決める話じゃない」
少しだけ間を置く。
「好きになったから選ぶんじゃない」
「選ぶべき相手を、好きになる努力をする。」
「厳しいですね」
「王族だからな」
肩をすくめる。
「ただ……妥協する気はない」
「贅沢ですね」
「王子だぞ?」
「今さらだろ」
訓練場が再び笑いに包まれた。
◇
笑い声の中心にいるセドリック。
人を惹きつける、太陽のような男。
その少し後ろで。
ヴェリスは呆れたように息を吐いた。
派手ではない。
けれど、目を離し難い。
静かな強さがあった。
正反対なのに。
並べば、誰もが認める。
この二人は、王国を代表する若き男たちだった。
◇
「なあ、ヴェリス」
セドリックが木剣を肩へ担いだまま言う。
「もうすぐ聖女選定会だ」
「ええ」
「五年ぶりだ。そして豊作だそうだ」
楽しそうだった。
「エリーゼ、ベアトリス。地方にも面白いのがいるとか」
青い瞳が細まる。
「全部見るつもりだ」
その瞬間だけ。
空気が少し変わった。
「国中から集めて、選ぶ」
セドリックはもう笑っていない。
「最高の聖女を妃にする」
静かな断言だった。
「力も」
「人格も」
「覚悟も」
「全部備えた聖女だ」
未来の王としての声だった。
ヴェリスは何も言わない。
だが、
その言葉だけが、不思議なほど耳に残った。
最高の聖女。
その言葉に、白い花が浮かんだ。
小さな教会。
痛みに耐えながら、それでも微笑む女性。
もし、彼女が王都へ来れば。
殿下はきっと、興味を持つ。
そう思った瞬間。
ヴェリスの指先が、わずかに止まった。
「ヴェリス?」
セドリックが片眉を上げる。
「どうした」
「……いえ」
「殿下に相応しい方が見つかると良いですね」
「他人事だな」
「事実です」
即答。
けれど。
いつもより少しだけ、声が硬かった。
◇
「そういや」
セドリックが何気なく言う。
「お前が遠征してた町、妙な噂あるよな」
ぴたり。
「人が異様に集まるとか。第二部隊が長居したんだろ」
面白がる声音。
「良い聖女がいるんだろ?」
短い沈黙。
「……そうですね」
返事が、わずかに遅れた。
「どんな聖女だ?」
ヴェリスは少しだけ視線を伏せた。
「おそらく、力は間違いありません」
「何より」
一瞬だけ、言葉が止まる。
「……目の前の人間を、見捨てない方です」
セドリックが、ふっと笑った。
「いいな」
青い瞳が楽しげに細まる。
「そういうの」
「結局、最後に人を動かすのは力だけじゃない」
「そういう人間だ」
ヴェリスの指先に、わずかに力が入った。
レオンハルトだけが、それに気づいた。
何も言わず、ヴェリスを見る。
そして。
小さく息を吐いた。
(……やっぱり……。隊長、やばいっすね)
◇
王都の空へ、鐘が鳴る。
まるで。
何かの始まりを告げるみたいに。




