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処刑された公爵令嬢は竜となって蘇る(※復讐は竜をも狂わせます)  作者: ゆうらり薄暮


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9/11

9 歩く練習



 翌日から、私は毎朝「床」と戦うことになった。


 戦う相手としては、あまりにも地味だ。

 剣でもなく、魔物でもなく、床。

 屋敷の廊下の、つるりと磨かれた木の床。


 けれど、油断するとそれは容赦なく私の膝を奪う。


 ◇


 朝食のあと、私は外套のフードを深めに被って、廊下の端に立った。


 左右の壁がやけに近い。

 天井がやけに低い。

 人の身体は、世界を狭くする。


「……いきますわ」


 誰に宣言するでもなく呟いて、私は一歩踏み出した。


 足の裏が、床に触れる。

 竜の時は感じなかった“面積”が、妙に主張する。

 支えているのは、二点。

 二点しかない。


 こわい。


 こわいけれど、嫌じゃない。


 私は二歩目を出した。


 ――ぐら。


 視界が斜めにずれる。

 慌てて腕を振って、壁に手をついた。


「……っ」


 木の感触が、直接指に刺さる。


 この身体は、全部が直接的だ。

 触れることも、痛いことも、熱いことも。

 呼吸の上下すら、うるさい。


 でも、その“うるささ”の中に、確かに生きている感じがある。


「……もう一回ですわ」


 私は壁から手を離し、姿勢を整えた。


 ◇


 廊下の途中で、妖精が二匹、こそこそと顔を出した。


『お嬢様……転びませんでしたか?』

『今日は爆発しませんか?』


「爆発はしませんわ」


『昨日もそう言ってました……』


「……」


 妖精の信用というものは、簡単には戻らないらしい。


 私は、歩き直す。

 ゆっくり、ゆっくり。

 五歩。

 六歩。


 いつもなら、ここで膝が笑う。

 今日は――少しだけ、耐えた。


「……っ」


 最後の一歩を出した瞬間、膝が震えた。

 私はすぐに壁へ手をつく。

 転ばない。

 転ばないというだけで、今日は勝ちだ。


『すごいです!』

『お嬢様、成長です!』


「……当然ですわ」


 言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。

 当然だと言えるほど、私はまだ強くない。


 けれど、妖精たちは嬉しそうに羽をぶるぶる震わせた。

 それが、妙に救いだった。


 ◇


 庭へ出ると、空気の温度が変わった。

 屋敷の中の柔らかい静けさが、外へ出ると少しだけ薄くなる。


 芝生は、廊下より歩きやすい。

 土が、少し受け止めてくれるから。


 私は芝生の上に立ち、足の指を動かした。

 靴の中で指が動く感覚が、変で、少し面白い。


「……」


 深呼吸する。

 そして、もう一度、歩き出す。


 十歩。


 自分の足で、十歩。


 胸の奥が、ふわっとした。

 竜の時には当たり前すぎて感じなかった種類の達成感だ。


 ――その時。


「やっとか」


 冷たい声が飛んできた。


 振り向くと、お兄様が木にもたれていた。

 腕を組み、いつもの余裕の顔。


「おはようも言えないの?」


「言っただろ。見てる、が挨拶」


「挨拶ではありませんわ」


「うちの文化だ」


 私が睨むと、お兄様は鼻で笑った。


「重心が前だな。あと、肩に力入りすぎ」


「……分かっていますわ」


「分かってない顔」


「……分かっていますわ!」


 言い返しながらも、私は素直に肩の力を抜いた。

 すると本当に、少しだけ楽になる。


 悔しい。


「そのまま歩け。転ぶなよ」


「転びませんわ」


「転ぶ」


「転びませんわ!」


 ◇


 少しして、お父様が庭へ出てきた。

 湯のみを持っている。

 朝の光が、お父様の髪の金と銀を柔らかく照らしていた。


「どうだ?」


「……十歩、歩けましたわ」


「偉いな」


 お父様の“偉い”は、ちゃんと私の胸に落ちる。

 お母様の“偉い”は雑で軽いのに、お父様の“偉い”は重い。

 良い重さだ。


「今日は、歩くのを少しだけ増やそう」


「……はい」


 私は頷いた。

 頷きながら、ふと、交易路の方角を見る。


 あの道の向こうに、人間の街がある。


 昨日までは、空から眺めるだけだった世界。

 豆粒みたいにしか見えなかった人間の群れ。


 ――同じ高さで歩く、ということ。


 胸の奥が、ちくりとした。


 私は、自分の首筋に無意識に触れた。

 熱はない。

 でも、触れると、なぜか落ち着く。


「……ヴィーラ」


 お父様が名前を呼んだ。


 私は、びくっとする。

 名前を呼ばれると、心が引き戻される。


「どうした?」


「……」


 見透かされている。

 お母様ほど露骨じゃないのが、余計にずるい。


「……街のことを、考えていましたの」


「そうか」


 お父様は、それだけ言った。

 否定もしない。

 肯定もしない。


 でも、その短い返事の裏に、いくつも言えない言葉があるのを私は感じた。


「行きたいか?」


 質問が、静かに落ちた。


 私は、答えを飲み込むのに一拍かかった。

 行きたい。

 でも、怖い。

 でも、行きたい。


 私は、結局、正直に言った。


「……行きたいですわ」


 お父様の瞳が、ほんの少しだけ細くなる。

 笑ったのか、困ったのか、私はまだ分からない。


「なら、もう少しだ」


「……もう少し?」


「人の姿で、半日。崩さずにいられるようになってから」


 半日。


 今の私は、朝から昼までが限界だ。

 午後になると手が震えて、足が重くなって、視界の端が少し揺れる。


「……分かりましたわ」


 分かる。

 自分でも分かる。

 今の私は、まだ“外”に連れていってもらうには不安定すぎる。


 お兄様が口を挟む。


「父上、甘い」


「甘くない」


「甘い」


「お前が厳しすぎる」


「俺は普通」


「普通じゃない」


 お父様の返しが淡々としていて、私は少し笑ってしまった。

 お兄様は、むっとした顔をする。


「笑うな」


「笑いますわ」


「笑うな」


「笑いますわ!」


 ◇


 その日の夕方。


 私は寝室の鏡の前に立っていた。


 深紫に銀の髪。

 濃紺の瞳。


 外套を脱いで、肩の線を確かめる。

 竜の身体の記憶がまだ残っているせいで、人の身体はどこか借り物みたいに感じる。


 私は、鏡の中の自分に小さく言った。


「……まだ、変な感じですわね」


 肩を回してみる。

 首を傾けてみる。

 つま先立ちしてみる。


 どれも、ぎこちない。


 でも。


 ――昨日よりは、少しだけ上手く動いている。


 私は、鏡の前で一歩だけ歩いた。


 転ばない。


 それだけで、胸の奥がちょっとだけ誇らしい。


「……明日も、歩く練習をしますわ」


 それは、逃げでも、焦りでもない。


 ちゃんと“前に進んでいる”という実感だった。


 私は、外套をたたんで寝台に置いた。


 人の形のまま、布団に潜り込む。


 天井が、まだ少しだけ近い。


 でも。


 この身体にも、きっと慣れる。


 私はそう思いながら、静かに目を閉じた。


※完結まで毎日投稿です。

よろしくお願い致します。

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