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処刑された公爵令嬢は竜となって蘇る(※復讐は竜をも狂わせます)  作者: ゆうらり薄暮


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番外編 赤の王太子の後悔 前編



 アンリは、幼いころから「正しい」と言われて育った。

 

 正しい姿勢。

 正しい言葉。

 正しい微笑み。

 正しい選択。

 

 王族は間違えない。

 間違えてはならない。

 

 その教えは骨の髄まで染み込んでいて、彼はそれを誇りにしていた。

 

 けれど、「正しさ」は剣でも盾でもない。

 体裁のための衣だ。

 脱げば寒い。

 着続ければ窒息するように。

 

 アンリが初めて窒息するような感覚を覚えたのは、婚約者が決まった日の夜だった。

 

 ――ヴィーラ・ド・ラ・リュミエール。

 家柄。

 財力。

 教養。

 美貌。

 人望。

 そして、あまりにも自然な品格。

 

 その公爵家の令嬢は、同じ年の王太子より落ち着いて見えた。

 礼儀が完璧で言葉は柔らかく、笑みには余裕がある。

 

 彼女が一礼し、「お久しぶりですわ、殿下」と言った瞬間、アンリは胸の奥で何かが鈍く鳴るのを聞いた。

 

 ――負けた。

 それは理屈ではない。

 幼い獣の本能がそう告げた。

 

 王太子として、彼女を妃として迎えるのは「正しい」。

 王太子妃となったヴィーラは王国を強くするだろう。

 貴族たちが膝を折り、民が安心することは政の盤面が整うということだ。

 

 正しい。

 正しい。

 正しい。

 だからこそ、腹の奥が冷えた。

 王太子の隣に立つ女が最初から完成していることが、どうしようもなく怖かった。

 隣に並べば、自分の粗が際立つ。

 彼女が微笑むたび、こちらの表情が作り物だと透けるとアンリは思い込んでしまった。

 

 ◇

 

 エレーヌ・ド・ラ・フォワと初めて言葉を交わしたのは、偶然だった。

 

 宴の片隅の雨の匂いが残る庭園で。

 

 彼女は噴水の縁で泣いていた。

 アンリは最初、声をかけるつもりはなかった。

 王太子が見知らぬ令嬢に声をかけることは、正しくない。

 

 だが、足が止まった。

 泣いている理由など、聞かなくても分かった。

 今日は婚約者候補を集めた日だ。

 選ばれなかった側は、こうして端で泣く。

 アンリは何も言わず立ち去ろうとした。

 

 その時、彼女が顔を上げた。

 泣いていたのに、笑おうとしている顔。

 隠しきれない弱さを、必死に隠そうとしている顔。

 

 彼女のその顔を見てアンリは、初めて「隣に立てる」と感じた。

 ヴィーラは完成品だ。

 隣に立てば、こちらが削れる。

 だがこの女は違う。

 弱さを隠せない。

 感情を堪えきれない。

 同じ地面に立っている。

 

 「泣いているのか」

 

 アンリは言葉をかけた。

 計算ではない。

 本当に、ただ慰めたかっただけだった。

 それが始まりだった。

 

 ◇

 

 何度か庭園で顔を合わせるうちに、アンリは気づいた。

 

 ――エレーヌはヴィーラを愛している。

 親友として、本物の意味で。

 そしてエレーヌはヴィーラを羨んでいる。

 愛しているのに、羨まずにいられない。

 

 その矛盾をエレーヌは自分一人で抱えている。

 誰にも言えないまま、一人で重さに潰されかけている。

 

 アンリはその矛盾を見て、初めて呼吸が楽になるのを覚えた。

 

 完璧な人間など、いないのだ。

 ヴィーラでさえ、親友が彼女の完璧さに押し潰されようとしているのに気がついていない。

 それがなぜか、救いだった。

 だが同時に、アンリの中で別の感情が動いた。

 

 エレーヌは自分でその矛盾を選んでいる。

 誰かに仕向けられたのではなく、自分の中の愛と嫉妬の間で毎日毎日選び続けている。

 

 それは、アンリには持てない強さだった。

 自分は嫉妬を「政治」と呼び替えて隠した。

 エレーヌは嫉妬を嫉妬のまま抱えて、それでもヴィーラを愛していた。

 

 アンリは、エレーヌに「君が必要だ」と言った夜のことを覚えている。

 彼女の顔が一瞬だけ壊れた。

 恋した人に必要と言われた喜びと、ヴィーラへの罪悪感が同時に溢れた顔。

 アンリはその顔を見て、自分が残酷なことをしていると知っていた。

 

 知っていて、言った。

 

 それが、アンリの醜さだ。

 仕向けたのではない。

 ただ、エレーヌが自分で選ぶ場所に、自分を置いた。

 選ぶのはエレーヌだ。

 裏切るかどうかも、沈黙するかどうかも。

 アンリは一度も「ヴィーラを売れ」とは言わなかった。

 言わなくても、エレーヌは選ぶだろうと知っていた。

 その確信が、アンリにとって最も甘い毒だった。


読んでくださり、ありがとうございました。

もし少しでも楽しんでいただけましたら⭐︎やブクマで応援していただけると嬉しいです。


☆☆☆☆☆→★★★★★ (*_ _)人


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