7 人化の術 前編
私が「人の形になりたい」と言い出したのは、ある意味で必然だったのだと思う。
家族は、家では大抵の時間を人型で過ごしている。
それに交易路を眺めるようになってから、私はずっと考えていた。
――人間って、どんな感覚なのだろう。
あんなに小さくて、あんなに柔らかそうで、あんなに忙しなく動いている生き物の中に入ったら、世界はどう見えるのだろう、と。
◇
『……お母様』
朝食のあと、私はお母様の翼の影に入り込んでそっと声をかけた。
『なに?』
『人化の術、教えていただけませんかしら』
一拍。
お母様は、まったく驚いた様子もなく、私を見下ろした。
『いいよ』
即答だった。
『……え?』
『そろそろだと思ってた』
私は、思わず尾をばたっと床に叩いてしまった。
『そ、そんなに分かりやすかったですの!?』
『うん。最近ずっと人間の匂いさせてる』
『……』
それは完全に自覚がなかった。
そこへ、お父様が湯のみを置く音がした。
「理由があるんだろう?」
『……はい』
私は、少しだけ姿勢を正した。
『私、人間という生き物が、気になって……それで』
お父様は、ほんの一瞬だけ目を伏せたあと、穏やかに笑った。
「いいと思う」
それだけだった。
止めない。
反対しない。
でも、軽くも扱わない。
お父様らしい返事だ。
お兄様は、少し離れたところで腕を組んでいた。
「遅い」
『またそれですの』
「俺はそのくらいの歳でできた」
『お兄様は基準にしてはいけない存在ですわ』
「ひどくないか?」
『事実ですもの』
お母様が、私の額に鼻先を当てた。
『じゃあ、今日は感覚だけ』
『……感覚?』
『いきなり完全変化は無理。たぶん尻尾が残る』
『それは……少し恥ずかしいですわ』
『慣れ』
お母様は、あっさり言った。
◇
場所は、屋敷の裏庭になった。
妖精たちは、ものすごく遠巻きに見ている。
失敗して爆発すると思っているらしい。
それは流石してほしい。
多分爆発まではしないと思う。
私は、草の上に立った。
『どうすればいいのですの?』
「形を思い出す」
『……人間の?』
「うん」
お母様は、すぐ目の前で人の形から竜の形になり、また人の形に戻った。
相変わらず意味が分からない速さだ。
体の中の魔力の動きすらわからない。
「こんな感じ」
『参考になりませんわ……』
「慣れ」
またそれだ。
お父様が、少し後ろから声をかける。
「骨の位置を意識しろ。翼を“しまう”んじゃなくて、存在しない場所に戻す感じだ」
『存在しない場所……』
難しすぎる。
私は目を閉じた。
人間の姿を、思い出す。
交易路の人。
お父様の人の形。
屋敷に来る商人。
小さくて、二本足で、翼がなくて、尾がなくて。
――尾が、なくて。
『……』
私は、魔力を動かした。
ぐにゃり。
視界が一瞬、歪む。
『あっ』
身体の重心が急に変わった。
ばたん。
私は前のめりに倒れた。
「いった……」
草の感触が、いつもよりやけに直接的だ。
「……できた?」
恐る恐る目を開ける。
――前足が、ない。
代わりに、細い腕がある。
「……え」
私は、ゆっくり自分を見下ろした。
胴体は、細くなっている。
鱗が、ない。
胸が上下している。
でも――
「……尾、ありますわ」
しっかり残っていた。
深紫に銀のいつもの尾。
しかもちゃんと動く。
お兄様が、盛大に吹き出した。
「だっさ」
「笑わないでくださいまし!!」
私は慌てて尾を押さえた。
押さえても消えない。
当たり前だ。
お母様は、じっと私を見てから、首を傾げた。
「上出来」
「どこがですの!?」
「致命的に変なところがない」
「基準が低すぎますわ!」
お父様は、静かに近づいてきた。
「めまいは?」
「……少しだけ」
「吐き気は?」
「ありません」
「なら、大丈夫だ」
そう言って、外套を一枚、私の肩にかけてくれた。
「……あ」
布の重さ。
温度。
風の抜け方。
全部、違う。
私は、無意識にぎゅっと外套を掴んだ。
「……変な感じですわ」
「そうだろうな」
お父様は、小さく笑った。
「でも、お前はちゃんとそこにいる」
私は、もう一度、自分の手を見た。
細くて、小さくて、少し震えている。
でも。
――嫌じゃない。
「……私」
一拍。
「人間、ですの?」
お母様が、即答した。
「半分」
「……半分」
「今日はそこまで」
お母様は、私の額に指先を当てた。
「無理すると戻れなくなる」
「それは困りますわ」
「でしょ」
私は、深く息を吐いた。
胸が上下するのが、やけにうるさい。
でも、なぜか――
少しだけ、誇らしかった。
ちなみにあのあと魔力爆発を起こして妖精たちに遠巻きにされたのは余談である。
◇
その日の夜。
私は、寝台の上で仰向けになっていた。
人の形。
ちゃんと、尾も翼も消えている。
お母様が手伝ってくれてやっと完璧な人型になることができた。
魔力がある程度減るまではこの姿を維持できるはずだ。
天井が、やけに近い。
「……」
私は、両手を顔の前に持ってきて、ぎゅっと握った。
「……私、やれますわよね」
返事は、ない。
でも。
胸の奥が、少しだけ温かかった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




