66 最終話 灰の向こうで
それから、季節がいくつか巡った。
谷の入口に、妖精たちが小さな灯を吊るすようになった。
人の目にはただの蛍火にしか見えないが、竜の目にはそれが「結界の結び目」だと分かる。
巣の外では、ときどき風が噂を運んでくる。
王都は新しい王を立てた。
王家の血ではなく、貴族たちの合議が選んだ男だという。
広場には、焼け焦げた石の上に新しい石が積まれ、古い旗は引き剥がされて別の色が掲げられた。
それでも。
灰は、完全には消えない。
人の国がどれほど塗り直しても、焦げた匂いは土に残る。
焼けた夜は、石の隙間に眠り続ける。
ヴィーラは、その話を聞いても、ただ一度だけ瞬きをした。
「ふうん」
興味がないわけではない。
ただ、関わらない。
竜のやり方だった。
◇
洞の奥。
泉の水音が、ずっと同じ速さで落ちている。
焚き火の前で、シャルルが木櫛を握っていた。
手つきはまだ不器用だ。
けれど、もう痛くしない。
「……じっとしてろよ」
「指図しないで」
口では言うのに、ヴィーラは動かない。
梳かれるたび、深紫に銀の髪がほどけて、火の光を吸う。
その光が揺れるのを見るのが、シャルルは好きだった。
「前より、絡まなくなったな」
「あなたの手が、ましになっただけよ」
「素直じゃねぇな」
笑って言うと、ヴィーラは小さく鼻で息を吐いた。
巣の中は、静かだ。
静寂は、復讐で得られなかった。
けれど、今はここにある。
火の前に、ひとつの小さな石が置かれていた。
灰色の、掌に収まるほどの石。
紋章石ではない。
もう崩れてしまった、あの家の欠片でもない。
ただ、谷の底で拾った丸い石だ。
ヴィーラが、無意識にそれを指でなぞる。
シャルルが気づいて、問いかけた。
「……まだ、うるさいか」
胸の奥。
あの火の名残。
ヴィーラは答えないまま、火を見た。
少しだけ。
ほんの少しだけ、首を縦に振る。
シャルルは、櫛を置いた。
そして、ヴィーラの手を取った。
焚き火の熱の向こうで、指先が触れ合う。
「俺はさ」
シャルルの声は、巣の中の音に合わせて小さかった。
「お前が災厄でも、竜でも、たぶん好きだったと思う」
ヴィーラの睫毛が、わずかに揺れた。
「……馬鹿」
「知ってる」
それでも、手は離さない。
「でも、災厄のままのお前は嫌だ」
そこだけ、少しだけ強く言った。
「お前が、お前でいられなくなるのは嫌だ」
ヴィーラは、火の前で目を伏せた。
返事はない。
ただ、絡めた指に、ほんの少し力が籠もる。
それが答えだった。
◇
その夜、夢を見た。
青すぎる空。
処刑台。
木の匂い。
枷の冷たさ。
あの笑み。
あの「不要」。
いつもなら、そこで胸が燃える。
けれど、その夢の中で。
誰かが、後ろから肩を抱いた。
深紫の鱗の温度ではない。
人の体温。
震えるほど現実の温度。
目を覚ましたヴィーラは、息を吐いた。
隣で眠るシャルルの髪が、頬に触れている。
胸の奥は、まだうるさい。
でも。
そのうるささは、破壊を求めていない。
生きている音だった。
ヴィーラは、そっと翼を半分だけ出した。
夜の冷え込みから、番を覆うために。
そして、眠りに落ちる直前。
自分でも驚くほど小さな声で呟いた。
「……次は」
何が“次”なのか、自分でも分からない。
復讐の次か。
生の次か。
それとも、ただの明日の次か。
けれど、隣の呼吸がそれを肯定するように続いている。
ヴィーラは、目を閉じる。
灰の向こうで。
拾われた魂は、今度こそ散らずに、巣の熱の中で眠っていた。
読んでくださり、ありがとうございました。
もし少しでも楽しんでいただけましたら⭐︎やブクマで応援していただけると嬉しいです。
☆☆☆☆☆→★★★★★ (*_ _)人




