65 拾われた魂
ヴィーラは火を見つめたまま言う。
「理由なんていらない」
「いるの」
アルシェはやわらかく、でも逃がさない声で言った。
「あなたが、壊れないために」
ヴィーラの指先が、わずかに震える。
アルシェはゆっくり話し始めた。
「30年前、私は卵を産んだの」
焚き火がぱちりと鳴る。
「でも、その卵は……器のまま割れた」
器。
その言葉が、石のように落ちる。
「魂が宿る前に、命として終わったのよ」
ヴィーラは目を閉じる。
胸の奥のどこかが、静かに痛む。
アルシェは続ける。
「竜にとって、卵はただの命を宿す器じゃないわ」
「魂を迎える器だから」
シャルルが息を呑む。
ヴィーラも、わずかに肩が強張る。
アルシェは火を見ながら言った。
「ただの竜ならあまり問題はないんだけど私は力が強いから。生まれる前から運命が決まっていたのね。生まれるはずだった強大な魔力持ちの穴を世界が無理矢理に埋めようとして場が乱れたの」
その静かな言葉が、妙に怖かった。
アランが口を開く。
「だから、俺が探しに行った」
ヴィーラは顔を上げる。
「……魂を?」
「そうだ」
アランは頷く。
「器に宿るはずだった“魂”を」
アルシェが言い添える。
「宿らなかった魂を探したんじゃない」
「宿るべきだった“魂”を探したの」
ヴィーラは、喉が乾くのを感じた。
それは運命の説明ではない。
言い訳でもない。
ただの事実の言葉だ。
アランの瞳がヴィーラを捉える。
「人間の世界で……処刑台の上にいる魂を見つけた」
ヴィーラの背筋が冷える。
青すぎる空。
木の匂い。
枷の冷たさ。
あの瞬間の自分が、焚き火の向こうにいるみたいだった。
「散る寸前だった」
アランが淡々と言う。
「放っておけば、そのまま消えていただろう」
ヴィーラは、息が止まる。
「……なぜ」
自分でも驚くほど掠れた声が出た。
「なぜ、わたくしが」
アランは一拍置いた。
「お前の魂は強かった」
ヴィーラの眉が動く。
「強い?」
「本当は人間だった頃の記憶なんて綺麗さっぱり忘れてしまうんだがな」
アランの声は平坦なのに、言葉だけが鋭い。
「……お前の魂はずっと覚えていたようだ」
アルシェが頷く。
「あなたは、人間として死んだのに」
「魂が折れなかったのね」
「折れない魂は、竜の器に入ると……鱗の色になる」
ヴィーラは、自分の髪に触れる。
深紫に銀。
家族の誰にも似ていない色。
ずっと悩んでいた色。
それが、魂の色。
アランは視線を少しだけ逸らし、ぽつりと言った。
「……それに」
珍しく言い淀む。
「お前の魂は……アルシェと似た波長だった」
ヴィーラの目が細くなる。
「似ていた?」
「守り方が、似ていた」
アランは言い直した。
「怒り方が、似ていた」
アルシェが小さく笑う。
「あら、アランにそっくりなところもあるのよ」
ヴィーラは、笑えなかった。
胸の奥が、きしんでいる。
自分は選ばれた。
拾われた。
救われた。
その事実が、嬉しいのか苦しいのか、分からない。
シャルルが、静かに口を開いた。
「……じゃあ」
銀の瞳が揺れる。
「こいつは……最初から、竜になる予定だったのか」
アルシェは首を振る。
「予定じゃない」
「ただ、世界が穴を埋めようとしただけ」
アランが続ける。
「そして、ヴィーラが消えたくない“魂”だった」
ヴィーラの喉が震える。
消えたくない。
そうだ。
あの時、死にたくなかった。
生きたかった。
ヴィーラは息を吐き、焚き火の光を見た。
「……それで、わたくしは生き延びた」
「そう」
アルシェは頷く。
「あなたは、竜として蘇ったの」
「それが祝福かどうかは……あなた自身が決めることよ」
ヴィーラは、黙った。
「ねぇヴィーラ? 今はシャルルと一緒にいて幸せ?」
そう問いかけてくるアルシェは穏やかな母の顔をしていた。
祝福?
呪い?
どちらでもいい。
ただ、今ここにいる。
シャルルが隣にいる。
それだけが、いまは現実だった。
ヴィーラは、ぽつりと言った。
「幸せよ」
アルシェがやわらかく微笑む。
アランは何も言わず、焚き火の火を少しだけ強くした。
シャルルは、きょとんとした顔でヴィーラを見る。
「……今、なんて言った?」
「聞こえたでしょう」
ヴィーラはそっぽを向く。
「聞き間違いかと思った」
「竜は同じことを二度も言わないわ」
「いや、言ってくれ。ちゃんと聞きたい」
真顔で言うから、ヴィーラは思わず睨んだ。
「面倒な番ね」
「番だからな」
あっさり返されて、ヴィーラの喉が小さく鳴る。
笑いをこらえた音だった。
シャルルは焚き火越しに手を伸ばす。
火の熱で揺れる空気の中、指先がヴィーラの手に触れる。
一瞬だけ強くなった火にシャルルは少しだけ顔をしかめた。
「……熱いな」
「当たり前でしょう」
指を絡めてくるシャルルにヴィーラは目を細めた。
「注意しないと火傷するわよ」
「それはその時だろ」
「愚かね」
「知ってる」
焚き火の向こうで、アルシェが小さく肩を震わせる。
アランは目を閉じたまま、口元だけが緩んでいる。
ヴィーラは、絡まれた指を解こうとしない。
むしろ、ほんの少しだけ握り返した。
「……シャルル」
「ん?」
「あなた、寒くないの?」
「ちょっと」
素直だ。
ヴィーラはため息をつき、立ち上がる。
次の瞬間、背中に深紫の翼が半分だけ現れる。
完全な竜にはならない。
でも、人間の姿のままでは足りない。
翼を広げ、シャルルの背後に回る。
「動かないで」
「……何する気だ」
「番を凍らせる趣味はないわ」
そう言って、翼で包む。
鱗の内側は、驚くほど温かい。
焚き火よりも、柔らかい熱。
シャルルが一瞬息を呑む。
「……あったかい」
「当然でしょう」
「これ、ずっとこうしてていいか」
「図に乗らないで」
でも、翼は畳まない。
シャルルはそのまま背中を預ける。
体温が、確かに伝わる。
ヴィーラの胸の奥の炎が、静かに揺れる。
破壊の炎ではない。
巣の中の火だ。
シャルルがぽつりと言う。
「なぁ」
「何」
「俺、お前の番になれて、幸せだ」
ヴィーラの心臓が、強く一度だけ鳴る。
それは戦いの鼓動ではない。
「……そう」
「そうだ」
「後悔するかもしれないわよ」
「しない」
即答。
ヴィーラは、ゆっくりと顎をシャルルの肩に乗せた。
重い。
竜の重みだ。
「潰れるぞ」
「番は簡単には潰れないわ」
「信頼重いな」
「当然でしょう」
アルシェがそっと立ち上がる。
アランもそれに続く。
「邪魔ね、私たち」
「若いな」
小さく囁き合い、二人は洞の入口へ向かう。
去り際に、アルシェが振り返った。
「お互いを大事にしなさいよ、二人とも。あとで何匹か妖精たちをこっちに寄こすわ。また来るわね」
ヴィーラは答えない。
代わりに、翼を少しだけ強く閉じる。
シャルルが笑う。
「なぁヴィーラ」
「何よ」
「もう一回」
嫌な予感がする。
「言え」
「何を」
「さっきの」
ヴィーラは目を閉じる。
竜は同じことを二度も言わない。
でも。
番には、例外がある。
「……幸せよ」
今度は、はっきりと。
シャルルは、翼の中で静かに笑った。
「俺もだ」
洞の外で、夜が静かに更けていく。
王国はまだ混乱しているだろう。
人間の世界は揺れている。
でも。
竜たる彼らの知ったことではなくて。
巣の中では、番の呼吸が重なっている。
復讐に狂った女ではなく。
災厄の竜でもなく。
ただ。
ヴィーラとシャルルとして。
静かに、生きていた。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




