63 真名の誓い
夜明けは、まだ来ない。
王城の残骸の上。
煙がゆるく漂い、灰が静かに降っている。
王は死んだ。
王妃も。
王家の血も。
人間たちは、崩れた国をどうにかしようと右往左往している。
ヴィーラは、それを一瞥するだけだった。
「人間は、せわしないわね」
淡い声。
ルイが隣に立っている。
まだ血の匂いがする夜。
「これからどうする」
ルイが問う。
国を壊した張本人に向けるには、静かな声だった。
ヴィーラは、空を見上げる。
「どうもしない」
即答。
「人間の国は、人間が何とかすればいい」
一拍。
「わたくしは竜だもの」
その言葉に、逃げはない。
責任も、罪も、背負わない。
それが竜。
ルイは、ゆっくりと息を吐く。
「……そうか」
否定はしない。
それが彼のやり方だ。
しばらく沈黙が落ちる。
やがて、ヴィーラが言った。
「ルイ」
「ん?」
「あなた、わたくしを止めたい?」
唐突だった。
でも、冗談ではない。
ルイは迷わない。
「止める」
「何度でも?」
「何度でも」
ヴィーラの瞳が、わずかに細くなる。
「なら」
風が止む。
煙が渦を巻く。
「あなたには資格がいるわ」
ルイが眉をひそめる。
「……資格?」
「ええ」
一歩、近づく。
距離が縮まる。
でもまだ触れない。
「竜を止めるには、竜の魂に触れなければならない」
静かな声。
「真名を知るということは、魂を繋ぐこと」
ルイの喉が鳴る。
ヴィーラは続ける。
「竜が真名を許すのは、一度だけ」
「それは契約ではない」
「従属でもない」
一拍。
「番になるということ」
夜が、完全に止まる。
ルイの呼吸が浅くなる。
「……番?」
ヴィーラは、まっすぐに見つめた。
深紫の奥で、銀が揺れる。
「竜の求婚よ」
はっきりと。
「真名を渡すのは、魂を差し出すこと」
「あなたが死ねば、わたくしも削れる」
「あなたが傷つけば、わたくしも痛む」
「あなたが呼べば、どこにいても抗えない」
淡々とした説明。
けれど重い。
「つまり」
ルイが言う。
「それは、結婚みたいなもんか」
「人間の制度は知らないわ」
ヴィーラは肩をすくめる。
「でも、竜にとっては一生に一度」
静かに、告げる。
「ヴィーラ=ルミナシア=フェル=ドラグナシオン=アストラリア=セレフィア=アルマディアール=インフィニタス=ソルヴァリア=レギン=オルフェリス=ヴァレンヌ=エテルナシア」
その名が夜に落ちる。
空気が震える。
石が微かに軋む。
それは名前というより、誓いだった。
「これが、わたくしの真名」
ルイの胸に、重く落ちる。
ヴィーラは、目を逸らさない。
「ルイ」
初めて、少しだけ声が揺れる。
「あなたを、選ぶ」
短い。
でも逃げ道がない。
「人間の国も、王も、どうでもいい」
「でも、あなたはどうでもよくない」
一拍。
「番になりなさい」
それは命令ではない。
求婚。
ルイは、言葉を失う。
王を殺した竜が。
国を放り出した竜が。
いま、真顔で求婚している。
「……お前」
掠れた声。
「それ、後悔しないのか」
ヴィーラは、わずかに笑った。
「するかもしれない」
「でも、しないかもしれない」
肩をすくめる。
「それを確かめるのが番でしょう?」
ルイは、目を閉じる。
国も、未来も、混乱も。
全部後回しだ。
いま目の前にいるのは、
災厄で。
竜で。
復讐者で。
そして。
自分を選んだ女だ。
ルイは、ゆっくりと目を開ける。
「ヴィーラ=ルミナシア=フェル=ドラグナシオン=アストラリア=セレフィア=アルマディアール=インフィニタス=ソルヴァリア=レギン=オルフェリス=ヴァレンヌ=エテルナシア」
丁寧に、呼ぶ。
真名を。
支配のためではなく。
拒絶のためでもなく。
受け取るために。
空気が、静かに震える。
ヴィーラの胸の奥で、何かが結ばれる。
見えない糸。
でも確かにある。
「……ルイ」
掠れた声。
ヴィーラが、初めて一歩踏み込む。
距離が消える。
指先が、胸元に触れる。
「これで、あなたはわたくしの番」
穏やかに。
「逃げられないわよ」
ルイは、苦笑する。
「最初から逃げる気なんかないさ」
夜が、少しだけ明るくなる。
王国は崩れた。
人間たちは混乱している。
でも。
崩れた王城の上で。
竜は世界を選ばず、
ただ一人を番にした。
それは契約ではない。
求婚だった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




