59 謁見
王城の上空で、影が裂けた。
次の瞬間。
塔が折れた。
警告も、名乗りも、宣告もない。
ただ、破壊。
深紫の翼が城壁を叩き割り、
石が爆ぜ、窓が内側から砕け散る。
熱風が回廊を走り、吊り飾りが燃え、絨毯が焦げて縮む。
王城が誇った静謐は、最初の一撃で死んだ。
近衛兵が槍を構える。
その姿が、炎に飲まれる。
悲鳴が上がる。
魔術師が詠唱を始める。
その声は、途中で途切れた。
舌が、喉ごと焼き切れたからだ。
逃げる貴族。
転ぶ侍女。
押し合う人波。
竜は止まらない。
翼が振るわれるたび、人が宙を舞う。
炎が吐き出されるたび、影が床に貼りつく。
熱に溶けた金具が、雨のように落ちる。
甲冑が内側から焼けて、骨の音が乾いて響く。
――違う。
これは戦いではない。
掃除だった。
王に味方した者。
王の恩恵を受けた者。
王の名で私を裁いた国。
すべては敵だ。
竜の爪が柱を裂く。
扉が砕ける。
廊下の先で、複数の影が護衛に囲まれて逃げようとしていた。
赤い髪。
小さな背。
まだ幼い輪郭。
護衛が必死に盾を合わせる。
その盾ごと、炎が呑む。
火が走る。
悲鳴が――ひとつ、ふたつ。
すぐに消える。
「王子殿下!」
「王女殿下!!」
叫び声が遅れて届いた。
使用人たちが血相を変えて走り寄ろうとし、熱に弾かれて転ぶ。
床に散った赤い髪が、黒い灰に変わっていく。
――ああ。
今のが、そうだったのか。
「王家の赤」という印だけを追って、焼いた。
それだけ。
ほんの少しだけ、舌打ちをしたくなった。
残念。
王の目の前で首でも折ってやれば、もっと良い顔をしただろうに。
それでも、止まらない。
玉座の間へ続く扉が吹き飛ぶ。
赤い絨毯が炎に包まれ、金糸が溶けて、床に涙のように垂れる。
その奥に。
ようやく今回の「メインディッシュ」がいた。
赤い髪。
赤い瞳。
歳を重ねても変わらない、整った顔。
王の衣。
戴冠の外套。
アンリ・ド・ラ・フランク。
わたくしを殺した男。
前に出た近衛が、一瞬で灰になる。
逃げようとした者の足元を炎が這い、出口を塞ぐ。
もう、誰も守れない。
もう、誰も守らない。
竜が降り立つ。
大理石が割れ、玉座の間が揺れる。
熱で空気が歪み、壁の装飾が滴り落ちる。
アンリは、動けなかった。
竜の瞳に、自分が映っている。
そこに、情はない。
怒りも、涙も、ない。
ただ。
「終わり」だけがある。
翼が畳まれる。
熱が収束する。
鱗が消え、翼が溶ける。
深紫の髪が肩に落ちた。
廃墟と化した王城に似つかわしくないドレスを着た裸足の女が、瓦礫の中に立っていた。
この世のものとも思えないほど美しい女。
灰と血で赤黒く染まった玉座の間。
その中心で。
ヴィーラは艶やかに微笑んだ。
「ご機嫌麗しゅう」
ゆっくりと一歩、歩み寄る。
「お久しぶりですわ。アンリ王太子殿下」
視線を、王冠へと落とす。
「――いえ。今はアンリ国王陛下、でしたわね」
アンリの喉が、ひくりと動く。
「……誰だ」
声はかすれている。
だが王の声を保とうとしている。
ヴィーラは首を傾げた。
「あら」
笑みが、少し深くなる。
「わたくしの顔を忘れてしまいましたの?」
一歩、また一歩。
彼との距離が縮まる。
「処刑台の上でわたくし、無実ですと申し上げましたでしょう? どうして信じてくださらなかったの?」
アンリの瞳が、揺れる。
「……ヴィーラは、死んだ」
「えぇ」
あっさりと頷く。
「死にましたわ」
玉座の階段を上る。
「あなたが殺しましたもの」
その一言で、空気が凍った。
アンリの赤い瞳が、はっきりと恐怖を帯びる。
「……なぜ」
「さぁ? わたくしも知りませんの」
その声音だけが、鋭い。
「わたくしは、ヴィーラ・ド・ラ・リュミエール」
指先に深紫と銀の光が滲む。
「あなたに処刑された公爵令嬢ですわ」
アンリが一歩、後ずさる。
背が玉座にぶつかる。
「……証拠はあった」
「ええ、ありましたわね」
くす、と笑う。
「わたくしの部屋から出てきた毒薬。目を逸らした証人。あなたの沈黙」
近づく。
近づく。
「完璧でしたわ。本当に。なんて完璧な偽装!」
アンリの胸倉を掴む。
王の外套が破れる。
「わたくしの処刑の三日後に公爵家も焼きましたわね?」
赤い瞳が、はっきりと見開かれる。
その反応だけで十分だった。
「……国のためだ」
絞り出す声。
「王家の安定のために……必要だった」
ヴィーラの笑みが、ゆっくりと消える。
「国のため」
繰り返す。
「安定のため」
指先に力が入る。
「では」
アンリの体が宙に浮く。
「あなたの死も、きっと安定のために必要ですわね?」
赤い瞳が、初めて完全な恐怖に染まる。
「待て――」
「だって」
ヴィーラは、穏やかに言った。
「わたくし、あなたを殺しても怒りが収まりそうにありませんの」
処刑台を思い出す。
青い空。
木の匂い。
あなたの笑み。
「……最後に、言い残すことはありますか?」
静かな問い。
沈黙が落ちる。
アンリの喉が震える。
「……すまなかった」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
ヴィーラの瞳が揺れた。
だが、それはすぐに凪ぐ。
「遅いのよ」
次の瞬間。
玉座の間を、白熱した光が満たした。
王冠が溶ける。
外套が灰になる。
赤い髪が、炎に包まれる。
断末魔は、長く続かなかった。
光が消えたとき。
玉座の上には、何も残っていなかった。
ヴィーラは、ゆっくりと息を吐く。
「……静かですわね」
それでも。
胸の奥は、まったく静かにならない。
――すべて、焼けば静かになる。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




