53 面会
扉が開いたのは、私が数を数えるのをやめた頃だった。
石の床を踏む音。
重く、ためらいのある足音。
その音を聞いた瞬間、胸の奥が強く跳ねた。
「……お父様!」
顔を上げるより先に声が出た。
そこに立っていたのは、確かに父だった。
リュミエール公爵。
この国で、私を最も強く守ってくれるはずの人。
けれど――
一歩近づいた父の姿を見て、私は言葉を失った。
背筋は伸びている。
服装も乱れていない。
けれど、明らかにやつれていた。
一晩で老け込んだ、と言っていい。
「……ヴィーラ」
父は、私の名を呼んだ。
それだけで、声が震えているのが分かる。
「無事で……」
言いかけて、父は言葉を切った。
“無事”ではない。
それを言えば嘘になると、父自身が分かっている。
私は立ち上がり、鉄格子の前まで歩いた。
「お父様、どうして……」
問いは山ほどあった。
けれど、口をついて出たのは、別の言葉だった。
「アンリ様には、会われたのですか?」
父の瞳が、わずかに揺れた。
その揺れを、私は見逃さなかった。
「アンリ様が……」
声が、少しだけ強くなる。
「アンリ様が、わたくしに会いに来てくださらないのです!」
堪えていたものが、堰を切った。
「事情を聞いてくださらない。
説明する場も、与えられない。
これは、何かの手違いでしょう?」
父は、答えなかった。
それが、答えだった。
「お父様……?」
喉が、ひどく乾いた。
「お父様、アンリ様は無事なのですか?
毒だなんて……そんな話……
アンリ様に、何かあったのですか?」
それだけは、確認したかった。
父は、ゆっくりと首を振った。
「殿下は……無事だ」
その言葉に、私はほっと息を吐いた。
「それなら……」
言葉を続けようとして、止まる。
父の表情が、あまりにも苦しそうだったからだ。
「……では、なぜ?」
父は、私から目を逸らした。
「殿下は……」
言葉を探すように、間を置く。
「今回の件について、
“司法に委ねる”と……」
その言い方は、慎重すぎた。
「司法、に?」
聞き返すと、父は小さく頷いた。
「殿下ご自身が、判断される立場にある。
だからこそ……距離を置く、と」
距離を置く。
その言葉が、ゆっくりと胸に沈んでいく。
「……では」
声が、少し掠れた。
「わたくしに会わないのも、
殿下のご判断なのですか?」
父は、否定しなかった。
肯定もしなかった。
ただ、黙っていた。
私は、指先を強く握りしめた。
「お父様」
今度は、震えない声で言った。
「これは……裁判になるのですか」
父は、重く頷いた。
「形式上、な」
形式上。
その言葉が、やけに冷たく響いた。
「証拠も、証人も……すでに揃っている」
父の声は、低かった。
「わたしは、抗議した。
再調査も求めた。
だが……」
言葉が、そこで途切れる。
「聞き入れられなかったのですね」
私が言うと、父は目を閉じた。
肯定だった。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
それでも。
それでも私は、まだ言った。
「……裁判になれば、説明できます」
自分でも驚くほど、必死な声だった。
「事実を話せば、分かってもらえます。
アンリ様だって……
殿下なら、きっと……」
父は、ゆっくりと首を振った。
「ヴィーラ」
その声は、父親のものだった。
「……これは、裁くための裁判ではない」
その一言で、世界が止まった。
「“終わらせるため”の裁判だ」
私は、言葉を失った。
父は、私を見た。
まっすぐに。
逃げ場のない視線で。
「すでに、結論は決まっている」
その言葉を聞いた瞬間。
私の中で、ようやく一つの理解が形を持った。
――ああ。
私は、もう守られていない。
父は、鉄格子越しに手を伸ばした。
触れることはできない。
「すまない……」
その謝罪が、胸を締めつける。
「お父様のせいではありません」
反射的に言った。
それだけは、譲れなかった。
父は、わずかに笑った。
泣きそうな笑顔だった。
「時間がない」
彼は、低く言った。
「明日……形式的な裁判が行われる」
明日。
その言葉が、静かに現実を確定させる。
「……その後は?」
私は、聞いた。
聞かなければならなかった。
父は、一拍置いた。
そして。
「執行は、早い」
それだけ言った。
それで十分だった。
父は、これ以上何も言わなかった。
言えなかったのだと思う。
扉が、再び開く。
時間切れだ。
「ヴィーラ」
父は、最後に言った。
「お前は……何も、間違っていない」
私は、微笑もうとした。
けれど、うまくできなかった。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。
私は、ゆっくりと椅子に座り込んだ。
アンリ様。
あなたは、どこにいるのですか。
わたくしは、まだここで待っています。
――あなたが話を聞いてくださると。
その期待がどれほど愚かだったのかを。
この時の私は、まだ知らなかった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




