46 恋とは呼ばない
それからの数年は、驚くほど穏やかに過ぎた。
季節は律儀に巡り、私の背は伸び、身体は女らしい曲線を描き、人からは美女と呼ばれるまでになった。
十二歳だった私は、気づけば十七の歳だ。
王城へ通う馬車にも、もう緊張はない。
城門をくぐる音も、衛兵の視線も、日常の一部になっていた。
私は少しずつ「迎えられる側」から「迎える側」へ変わっていった。
◇
アンリ殿下は、変わらなかった。
背は伸び、肩幅は広くなり、青年と呼ばれる年齢になったけれど人への接し方も、言葉の選び方も、十二歳の頃と同じだった。
「今日は寒いね」
「はい」
「外套は持ってきている?」
「えぇ」
それ以上、踏み込まない。
確認だけして、私の判断を尊重する。
それが、彼の距離感だった。
触れない。
急がない。
囲い込まない。
私はそれを「王太子としての教育の賜物」だと思っていた。
王太子妃教育も無事に終わり、私は城の書庫で過ごす時間が増えた。
同じ机に並んで座り、別々の本を読む。
時々、静かに会話を交わす。
「それ、難しい?」
「いえ。ただ、少し古い表現で」
「訳そうか」
「大丈夫です。自分でやってみます」
アンリ殿下は、頷いてそれ以上何も言わない。
助けすぎない。
放ってもおかない。
その距離が、心地よかった。
ある日、ふと気づいた。
彼が同席していない書庫は、少しだけ落ち着かない。
理由は考えなかった。
考える必要がないほど、日常に溶けていたからだ。
雨の日だった。
庭園を通る予定だった私たちは、回廊の下で足を止めた。
「濡れますね」
私が言うと、アンリ殿下は少し考えてから外套を脱いだ。
「どうぞ」
「殿下が……」
「僕は平気だ」
そう言って、私の肩にそっと掛ける。
触れたのは一瞬だけ。
それでも、熱が残った。
心臓が、少しだけ早く打った。
でも私は、それを恋とは呼ばなかった。
名前をつけなくても、困らなかったから。
周囲は、もう私を「未来の王妃」として扱っている。
呼び止められる時の声色。
席に案内される順番。
会話に混じる前提条件。
それらは、いつの間にか当然になっていた。
私はそれを拒まなかった。
不満もなかった。
アンリ殿下は、私を急かさない。
私を飾りにも、道具にもしない。
それだけで、この役割は受け入れられるものだった。
◇
「あと一年だね」
ある夕方、彼が言った。
「結婚式まで」
窓の外では、夕陽が城壁を染めている。
「……はい」
返事は、震えていなかった。
「怖い?」
「いいえ」
それも、本当だった。
私は守られている。
家族がいて、友がいて、彼がいる。
この世界は、私に優しい。
「不安になったら、言ってほしい」
「分かりました」
それだけの会話。
甘い言葉も、誓いもない。
けれど、彼がそこにいる未来を疑えなくなっている自分に、
私はまだ名前をつけていなかった。
◇
夜、一人で部屋に戻った時。
ふと、考える。
もし彼がいない日が来たら?
もし、この時間が終わったら?
胸の奥が、少しだけ冷えた。
私は、その感覚を振り払う。
考える必要はない。
今は、何も壊れていない。
それでいい。
それが、恋と呼ばない時間だった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




