45 砂糖の数だけ
窓辺のテーブルに落ちる陽射しが、白磁のカップを淡く照らしている。
湯気は細く、紅茶の香りは強すぎない。
――ちょうどいい。
私は、その「ちょうどよさ」を無意識に選んでいた。
「それで?」
向かいに座るエレーヌが、身を乗り出す。
「王太子殿下って、どんな方なの?」
その声には、遠慮も緊張もない。
親友の声だ。
「いきなりですわね」
「いきなりじゃないわよ。昨日からずっと我慢してたんだから」
エレーヌは頬杖をついて、にやりと笑う。
桃色の髪が、肩からさらりと落ちた。
「さぁ、聞かせて。未来の王妃様?」
「その呼び方、やめてください」
「まだ“未来”でしょ?」
そう言われて、私は言葉に詰まった。
未来。
その言葉は、まだ私の中で形を持っていない。
「……優しい方でした」
結局、最初に出てきたのは、その一言だった。
「ふーん」
エレーヌは、わざとらしく紅茶を一口飲む。
「それ、誰にでも言えるやつじゃない?」
「そうかもしれません」
私はカップに角砂糖を一つ落とした。
音は小さい。
「そしてとても美しい方でしたわ……」
「男なのに美しいの?」
「えぇ」
どう説明すればいいのか、少し考える。
「絵画や彫刻のように整っておられる方でしたわ」
エレーヌが、ぴたりと動きを止めた。
「……それは相当ね?」
「どうでしょう?」
私は首を傾げる。
それは逃げでも謙遜でもない。
本当に、そう思った。
「世の中、美しい人は案外多いですわ。エレーヌだって美しいですもの」
赤面するエレーヌを尻目にふっとアンリ殿下の顔が思い浮かぶ。
アンリ殿下は、何も誓わなかった。
甘い言葉も、未来の約束も、口にしなかった。
それでも――
「不幸にするつもりはない」と言った。
その言葉が、妙に私の中に残っている。
「ねぇ、ヴィーラ」
エレーヌが、少しだけ声を落とす。
「……好きになりそう?」
紅茶の香りが、ふっと濃くなった気がした。
「分かりません」
即答だった。
「まだ、恋とか……そういうのじゃありません」
それは本当だ。
胸が高鳴ったわけでも、眠れなくなったわけでもない。
「でもね」
私は、カップの縁を指でなぞる。
「嫌じゃありませんでした」
エレーヌの目が、丸くなる。
「それって、結構すごくない?」
「そうですか?」
「だって、嫌じゃないってことはちゃんと好きになれる可能性があるってことよ。戦略結婚で恋ができれば最高じゃないの!」
エレーヌは、楽しそうに笑った。
「でも……王妃になるのは怖くない?」
不意に、そう聞かれる。
私は、少し考えた。
「……怖くはありません」
「ほんと?」
「えぇ」
怖くない。
それは嘘じゃない。
私は守られている。
家族がいて、友がいて、立場があって、次期王妃に選ばれた理由がある。
この世界は、私に優しい。
「じゃあさ」
エレーヌが身を乗り出す。
「手、触れられた?」
「触れてません」
エレーヌは笑った。
「じゃあこれからね?」
私は、答えなかった。
分からないからだ。
分からないという状態が、今までの私にはなかった。
「ねぇ」
エレーヌは、くすっと笑う。
「もしかして、もうちょっと好きになってから、怖くなるつもり?」
「……意地悪ですわ」
「親友だもの」
二人で笑う。
午後の光は、まだ柔らかい。
カップの中身は、少しだけ冷め始めている。
「ヴィーラ」
エレーヌが、何気なく言う。
「あなた、幸せそうよ」
私は、その言葉を否定できなかった。
「……そう、なのかもしれません」
幸せ。
それはまだ、確信じゃない。
でも、疑う理由もない。
私は角砂糖をもう一つ、カップに落とした。
少し甘すぎるかもしれない。
それでも、今日はそれでいいと思った。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




