31 ここにいる選択
朝は、思ったより普通に来た。
特別な光も、重い空気もない。
窓の外で鳥が鳴き、妖精が遠くで何かを運んでいる気配がする。
ルイは目を覚まして、まず自分がまだここにいることを確かめた。
胸が上下する。
身体は、ちゃんと自分のものだ。
昨夜のことは、夢じゃない。
◇
食堂に行くと、いつもの配置だった。
アルシェは湯を注ぎ、アランは書き物をし、ライハルトは静かに佇んでいるだけだ。
それがこの家のやり方だ。
踏み込んだことは忘れないが、踏み荒らさないのだろう。
ルイは席に着き、パンを取った。
噛む。
飲み込む。
ちゃんと味がする。
「顔色、悪くないわね」
アルシェが言った。
「……眠れた?」
「少し」
「十分よ」
それ以上は聞かない。
ライハルトの視線が、一度だけこちらをかすめた。
刺さるほどではない。
確認だけだ。
――生きているな。
そう言われた気がした。
◇
食堂を出ると、廊下の先にヴィーラがいた。
待ってはいない。
でも、そこにいる。
それだけで分かる。
「……おはよう」
「えぇ。おはようございます」
声は、昨日と変わらない。
変わらないからこそ、少し緊張した。
二人で並んで歩く。
歩幅は合っている。
合わせたのか、自然にそうなったのかは分からない。
「昨夜」
ルイが言う。
「……後悔は?」
「ありませんわ」
即答だった。
「あなたは話した。私は聞いた。それだけです」
それだけ。
その言葉が、ひどく正確だった。
ルイは、少しだけ肩の力を抜いた。
「……俺は、少しある」
「それは、普通です」
彼女は立ち止まり、こちらを見る。
「後悔があるから、選び直せます」
逃げない言葉だった。
◇
庭に出る。
朝の風が、まだ冷たい。
木剣が立てかけられたままになっている。
ルイは、それを見て言った。
「……俺、ここに来てから」
一拍。
「初めて、自分で選んでる気がする」
ヴィーラは否定しない。
肯定もしない。
ただ、聞く。
「逃げるか、話すか、触れるか、触れないか、残るか、出ていくか」
言葉が、少しずつ整っていく。
「前は、選ばされるだけだった」
名前も、場所も、役割も。
ヴィーラの視線が、わずかに強くなる。
怒りではない。
理解だ。
「……それが、怖いです」
正直だった。
「選ぶってことは、責任を持つってことだから」
ヴィーラは、少しだけ微笑んだ。
「えぇ」
「竜も、そうですのよ」
その言葉に、ルイは驚いた。
「……竜も?」
「選ぶ数が少ない分、重いですわ」
それは、彼女自身の話だった。
◇
しばらく、風の音だけがあった。
妖精が一匹、二人の間を横切る。
近づきすぎず、離れすぎず。
境界の見張り役だ。
ルイは、息を吸った。
「……俺は」
昨夜より、声が安定している。
「まだ全部は言えない。でも、ここにいる選択は続けたい」
それは、告白ではない。
けれど、約束に近い。
ヴィーラは、ほんの少しだけ距離を詰めた。
触れない。
だが、逃げ場を作らない。
「それなら」
静かな声。
「今日は、触れなくていいですわ」
意外な言葉だった。
「え?」
「選んだという事実だけで、十分進んでいます」
彼女は、誇らしげでもなく、残念そうでもなく、ただそう判断した。
ルイは、思わず笑った。
「……厳しいな」
「竜ですもの」
さらりと言う。
◇
何も劇的なことは起きなかった。
剣を振り、食事をし、刺繍の横に座り、夜が来た。
だが、ルイの中では確実に一つ進んでいた。
過去を話したからではない。
触れたからでもない。
――選んだからだ。
ここにいること。
ヴィーラの前に立つこと。
そして、次も自分で決めるということ。
糸は、まだ絡まっている。
だが今度は、誰かに引きちぎられる心配はなかった。
ほどく手が、すぐ隣にあると知っているからだ。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




