表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑された公爵令嬢は竜となって蘇る(※復讐は竜をも狂わせます)  作者: ゆうらり薄暮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/58

27 おやすみ



 夜の屋敷は、静かに息をしているようだ。


 風が回廊を抜ける音。

 どこかで水が落ちる、一定の間隔。

 遠い火のはぜが、たまに思い出したように鳴る。


 生活の音だ。


 それなのに、今夜はその「生活」が少しだけ薄い。

 薄いというより、整いすぎている。


 ルイは自室の椅子に腰掛け、膝の上で両手を組んでいた。

 窓は閉まっている。

 灯りは低く。

 部屋の影は柔らかい。


 眠れないわけではない。

 眠るのが怖いわけでもない。


 ただ、寝台に横になってしまったら、今日という一日が終わる気がした。


 ――終わらせたくない日がある。


 そんなことを考える自分に、少し遅れて腹が立った。


 扉が軽く叩かれる。


 次の瞬間、返事を待たずに扉が開いた。


「入りますわよ」


 ヴィーラだ。


 手には何も持っていない。

 それが、逆に「用がある」のだと分かった。


 彼女はいつも通りの顔で部屋に入る。

 いつも通りの歩き方で、いつも通りに遠慮なく。

 けれど、その視線はいつもより少しだけ慎重だった。


 妖精が一匹、彼女の肩のあたりをくるりと回ってから、窓辺の陰に消える。

 見張っているのか、見守っているのかは分からない。


「まだ起きていましたのね」


「……起きてた」


「体力がついたのなら良いことですわ」


 良い、という言葉が、評価ではなく事実みたいに聞こえた。


 ヴィーラは椅子を引かなかった。

 寝台の縁に腰掛けるでもない。


 部屋の中央に立ち、ルイの正面に立つ。

 距離はある。

 けれど、逃げ道はない。


 彼女はこの巣で、そういう立ち方をする。


「今日は」


 ヴィーラが口を開く。


「あなたが話したことを、わたくしは聞きました」


 昨日の「一人だった」という言葉。

 たったそれだけ。


 それなのに、胸の奥が少し痛む。


 ルイは視線を逸らした。


「……大したことじゃない」


「大したことではありませんわ」


 即答。


 否定ではない。

 軽視でもない。


 ただ、彼女の基準で言っている。


「大したことではないのに、あなたはそこで止まりました。だから、大したことなんですの」


 ルイは息を飲んだ。


 言い返す言葉が見つからない。

 見つからないのが悔しくて、さらに黙る。


 ヴィーラは一歩近づいた。

 一歩だけ。


 近づくことで、圧をかけるのではない。

 近づくことで、逃げないと示す。


 竜の巣のやり方だ。


「……邪魔をします」


 宣言だった。


「今夜は、触れてもいいですか」


 許可を求める言い方が、妙に真面目で、妙に不器用だった。


 ルイは顔を上げた。


「……脅しじゃないのか」


「脅しは、許可を取りませんわ」


 真顔で言い切る。


 妖精が、くすりと笑った気配がした。

 音にはならない笑い。


 ルイは、少しだけ口の端を上げた。

 笑いかけて、すぐに消す。


「……いい」


 短い返事。


 それを聞いて、ヴィーラは迷わず動いた。

 椅子の背後に回る。

 背中のすぐ後ろ。

 気配が肩に触れる距離。


 それから、彼女の手がルイの頭に置かれる。


 昨日と同じだ。

 ただ、昨日よりも少しだけ重い。


 重いのに、圧はない。


 存在の重さだ。


「動かないで」


 優しい命令。


 指先が髪をすく。

 絡まりを探すように。

 痛くない場所から整えるように。


 ルイは息を吐く。


 自分の呼吸が、こんなに大きな音を立てることに気づく。

 屋敷の夜が静かだからだ。


「……あなたは」


 ルイがぽつりと言った。


「俺が何を言えば満足なんだ」


 問いは低く、荒くなりかけていた。


 ヴィーラの手は止まらない。


「満足はしませんわ」


 さらりと返す。


「あなたが言いたいことを、あなたの速度で言えるようになれば、それでいいんですの」


「……俺の速度」


「えぇ」


 指先が、髪の根元の方を整える。

 少しだけ、頭皮に触れる。


 ルイの肩が小さく跳ねる。


「びっくりしました?」


「……ちょっと」


「慣れますわ」


 慣れますわ、という言葉は、慰めじゃなかった。

 未来の約束みたいな言い方だった。


 ルイは、その言い方が怖かった。

 未来を当然のものとして扱う彼女が。


 怖いのに、拒めないのがもっと怖い。


「……俺は」


 言葉が喉に引っかかる。


 言ってしまえば、何かが変わる。

 変わってしまえば、戻れない。


 でも、もう戻れない場所にいる。


 彼女が竜だと知った夜に、線は消えた。

 それ以降、消えた線の上に、毎日が積もっていく。


「……一人だった」


 昨日と同じ言葉。

 でも、今夜は続けるために出した。


 ヴィーラの手が、ほんの一瞬だけ止まる。

 止まって、それからまた動き出す。


 催促しない。

 けれど、聞いている。


 ルイは、膝の上で組んだ指をほどいた。

 手のひらが汗ばんでいる。


「倒れる前も、倒れた後も……俺は、いつも一人でいるのが普通だった」


 言ってみると、意外と簡単だった。

 簡単だからこそ、空虚だった。


「誰かに世話をされるのも」


 息を吸う。


「……触れられるのも」


 喉がひきつる。


「自分の中に入ってこられるのも」


 最後の言葉は、少しだけ震えた。


 ヴィーラの指先が、髪をすくのをやめる。


 代わりに、手がルイの肩に置かれる。

 置くだけ。

 けれど、逃げられない位置。


「嫌ですか」


 短い問い。


 ルイはすぐには答えられなかった。


 嫌ではない。

 むしろ、ここにいるのが楽になっている。


 けれど、楽になることが怖い。


 楽になると、人は油断する。

 油断すると、奪われる。


 そういうことを知っている。


 ルイは、息を吐いた。


「……嫌じゃない」


 声が掠れた。


「でも、怖い」


 言ってしまった。


 言ってしまった瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 同時に、逃げ場が消える。


 ヴィーラの手が、肩から離れない。


「怖いなら」


 彼女は言う。


「怖いままでいいですわ」


 あまりに当たり前のように言うから、ルイは顔を上げた。


「……それでいいのか」


「えぇ」


 ヴィーラは頷いた。


「怖いまま、ここにいればいいんですの。この巣は、怖がる者を追い出しません。生きているなら、居場所はあります」


 ルイは、笑いそうになって止めた。


 それは、甘い言葉ではない。

 けれど、甘さよりも強い。


 彼女の家の掟。

 竜の巣の倫理。

 それが彼を受け入れている。


「……俺は」


 もう一度、言葉を探す。


「俺は、たぶん」


 口に出してしまうと、確定してしまう。

 でも、確定しないまま抱える方が苦しい。


 ルイは、ゆっくり息を吸った。


「……ここにいるのが、好きだ」


 好き、という言葉が出た瞬間、部屋の空気が少し変わった。


 妖精が一匹、宙で止まる。

 火が、微かに鳴る。


 ヴィーラは、瞬きを一度する。


 それだけだ。


 驚かない。

 笑わない。

 からかわない。


 ただ、目が少しだけ細くなる。


「それは」


 彼女の声が、いつもより低い。


「良いことですわね」


 そう言って、彼女はルイの肩に置いた手を、ほんの少しだけ滑らせる。


 肩から、首の付け根へ。

 そこに触れる。

 そこだけは、昨日触れなかった場所。


 ルイの背筋がびくりと震えた。


「……ヴィーラ」


「はい」


「それ、反則だ」


「反則?」


 ヴィーラが首を傾げる。

 本気で分かっていない顔。


「……いや」


 ルイは言葉を飲んだ。


 反則なのは、触れることではない。

 触れた後に、引くことだ。


 彼女は触れて、離れる。

 支えて、放す。

 選ばせて、見守る。


 そのやり方が、ルイの中の何かを少しずつ崩していく。


 崩しているのに、壊してはいない。


「……まだ、続きは言えない」


 ルイは言った。


 言い訳のように。

 許しを求めるように。


 ヴィーラは、すぐに頷く。


「えぇ。今日は、ここまでで十分ですわ」


 その返事が、許しではなく「認める」だった。


 彼女は手を離した。

 離したのに、距離は戻らない。


 ヴィーラはルイの正面に回り、しゃがむ。

 椅子に座るルイと、目の高さが合う。


 逃げ場のない距離。


「ルイ」


 名前を呼ぶ。


「あなたは、ひとりでいるのが普通だった」


「……あぁ」


「でも今は、ひとりではありません」


 断言。


 それは慰めではない。

 事実の提示だった。


 ルイは視線を逸らした。

 逸らした先で、窓辺に小さな光が揺れている。


 妖精だ。

 今夜は静かに、ただそこにいる。


 巣の中の小さな生き物が、こちらを見ている。


「……分かってる」


 声が小さくなる。


「分かってるのに、慣れない」


「慣れなくていいですわ」


 ヴィーラは言った。


「慣れないまま、少しずつでいい」


 それから、少しだけ口元を緩める。


「わたくしは、少しずつが好きですの。刺繍も、そうでしょう?」


 ルイは、息を吐いた。


「……刺繍に負ける気がする」


「負けませんわ」


「……根拠は」


「あなたは切れていませんもの」


 ヴィーラの声は、軽いのに、芯があった。


 切れていない。

 だから、ほどける。


 それは、彼女の世界の論理だ。


 ルイは、目を閉じた。

 胸の奥で、硬かったものが少しだけ動く。


 ヴィーラは立ち上がる。


「眠れます?」


「……たぶん」


「では」


 扉へ向かいかけて、ふと止まる。


 振り返る。


「今夜は、許可をもらったので」


 一拍。


「……なに」


 ヴィーラは近づき、ルイの額に指先を軽く当てた。


 熱を測るでもない。

 治療でもない。


 ただ、そこに触れて離す。


「おやすみなさい」


 それだけ言って、扉の外へ出ていく。


 扉が閉まる直前、妖精が一匹だけ、部屋の中に残った。

 小さな光が、床に丸い影を落とす。


 ルイはしばらく動けなかった。


 額に残る感覚が、熱みたいにじわじわ広がる。

 嫌ではない。

 むしろ、落ち着く。


 落ち着くことが、怖い。


 でも。


 今夜、言葉にしてしまった。


 ここが好きだと。


 その言葉は、巣の中に落ちた。

 拾われるかどうかは分からない。


 けれど、落ちた事実だけは消せない。


 ルイは寝台に横になった。

 妖精の光が、少しだけ近づく。


 眠りに入る直前、ルイは自分の胸の奥に小さく問いかける。


 ――好き、はどこまで言えばいい。


 答えはまだ出ない。


 けれど、答えを出す日が来ることだけは、なぜか確信できた。

 

※完結まで毎日投稿です。

よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ