22 街へ
――数ヶ月後。
屋敷の裏庭に乾いた音が響いていた。
木剣が風を切り、踏み込みと同時に地面が鳴る。
最後の一振りを止めたところでルイは息を吐いた。
肩を回す。
背中を伸ばす。
――痛みは、ない。
以前ならここで必ず違和感が残った。
傷があった場所が主張するように軋んだ。
今はそれがない。
ただ、筋肉が熱を持っているだけだ。
「……完全に治りましたわね」
木陰から涼やかな声。
ヴィーラは外套を腕にかけ、剣の稽古を眺めていた。
その視線は、観察というより確認に近い。
「はい」
短く答える。
彼女は満足そうに頷いた。
「では今日は、街へ行きますわ」
「……聞いています」
「布屋に行きます!」
「それも」
「串焼きも!」
「……それも」
少し間が空いてから彼女はにっこり笑った。
「私が選びます!」
「……覚悟します」
◇
街道を歩く二人の足音は、揃っていた。
数ヶ月前。
この距離は、ルイにとって“耐えるもの”だった。
呼吸を数え、歩幅を計算し、倒れないように気を張る。
今は違う。
周囲を見る余裕があり。
風の匂いを感じ。
ヴィーラの歩調を意識できる。
彼女は気づいたのか、わざと少しだけ歩く速度を上げた。
試すように。
ルイは黙ってついていく。
「……前より速いですわね」
「えぇ」
「人間って、回復するとこうなるんですのね」
「……普通です」
「普通ができるのは、立派ですわ」
軽く言うが評価だと分かる。
胸の奥がわずかに温かくなった。
◇
街に入ると音と匂いが一気に押し寄せる。
焼けた肉。
布の擦れる音。
行き交う人の声。
ルイは、無意識にヴィーラの半歩後ろに立った。
昔の癖だ。
「こっちですわ」
言われて、すぐ隣に並ぶ。
屋台の女主人が顔を上げた。
「あら、今日は連れがいるのね」
「えぇ」
「兄弟?」
一瞬、言葉に詰まる。
ヴィーラが即答した。
「違いますわ」
それだけ。
理由も説明もない。
女主人は何も聞かず、串を差し出した。
「はい、三本。嬢ちゃんに一本、坊やには一本おまけで2本だ」
「一本で十分です」
「だめ。今日は祝いの日でしょ」
「……何の?」
「知らない。強いて言うならルイの回復祝いかしら?」
なんだか理不尽だが悪くない。
受け取った串を見て、ルイは言う。
「……全部食べきれないかもしれません」
「半分くださいな」
「……最初からそれが目的でしたね」
「察しがいいですわ」
串焼きを分け合う距離が自然だった。
◇
布屋の前に着く。
風に揺れる反物。
光を含む色。
「いらっしゃい」
マリアナが顔を上げる。
「……あら」
ルイを見る。
「今日は護衛?」
「違います」
「荷物持ち?」
「それも違います」
「じゃあ何?」
ヴィーラが答える。
「同行者ですわ」
「へぇ」
それだけで納得する。
店の中でヴィーラは完全に別人になる。
真剣な目。
迷いのない手。
「これと、これ」
布を突きつける。
爽やかな青と柔らかな紫。
「どちらがいいと思います?」
「……用途は?」
「決めてません」
「……後で困ります」
「未来のわたくしに任せますわ」
無責任だが、楽しそうだ。
ルイは小さく息を吐きながら、色を見比べた。
「……こちらの方が、長く使えます」
ルイが指差したのは紫のものだった。
「理由は?」
「飽きにくい」
ヴィーラは一瞬考え、頷いた。
「採用ですわ」
胸の奥で何かが静かに鳴った。
◇
店を出る頃には、ルイの腕に布袋が増えていた。
「……重くありませんか?」
「全然」
即答。
それが自分でも少し嬉しい。
歩きながらヴィーラが言った。
「もう、大丈夫ですわね」
「何がですか」
「一緒に街を歩くこと」
一拍。
「……はい」
迷いはなかった。
彼女は満足そうに前を向く。
「では、これからもっと連れ回しますわよ」
「……覚悟します」
夕方の光が街を染める。
数ヶ月前にはなかった当たり前。
人と並んで歩くこと。
文句を言えること。
帰る場所があること。
それが、今はまだ壊れそうに見えない。
――今は。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




