20 屋敷の昼
昼の屋敷は、朝とも夜とも違う顔をしている。
風は強すぎず、光はやわらかい。
時間がほんの少しだけ緩む。
人間にとっても竜にとっても。
気を抜くと境界が曖昧になる時間帯だ。
◇
ルイは、まだ完全には起き上がれなかった。
寝台の背を少し起こし、背中にクッションを入れている。
それだけで呼吸が楽になるらしい。
私は、昼食用に用意された盆を持って部屋に戻った。
「……いい匂い」
小さな声。
それだけで回復してきているのが分かる。
人間は、匂いに反応できるようになると強い。
「刺激の少ないものですわ」
お父様の判断で柔らかいスープと薄く焼いたパン。
それから、果実を煮たもの。
私は、寝台脇の台に盆を置いた。
「……自分で食べられそうですか?」
ルイは一瞬考えてから、首を振った。
「……まだ、少し……」
「そうですわね」
私は椅子を引き寄せ、スープの器を手に取る。
匙ですくって冷まし、ゆっくり差し出した。
距離は、指一本分。
近すぎず、遠すぎず。
ルイは、ためらいなく口を開けた。
飲み込むのを待つ。
急かさない。
「……おいしい」
ぽつりと言われて、胸の奥がわずかに温かくなる。
「よかったですわ」
それ以上は言わない。
食事は、会話のためのものじゃないから。
妖精たちは、今日も静かだった。
気配を消すのが最近とても上手い。
……上手くなりすぎて逆に分かりやすいくらいだ。
ルイは、ふと視線を動かして部屋の隅を見た。
「……さっきから……」
私は、匙を止める。
「はい?」
「……空気が、動いてる……」
妖精が一匹、慌てて柱の陰に隠れた。
『……見えてる?』
『……まだ半分くらい?』
私は、咳払いをひとつ。
「……風通しがいい屋敷ですの」
ルイは、少し困ったように笑った。
「……そう、ですね」
それ以上は、何も言わなかった。
――聞かない、という選択。
それができる人間は、そう多くない。
昼過ぎ。
お兄様が、部屋の外から声をかけてきた。
「ヴィーラ」
「はい」
「……人間はどうだ」
言い方は雑だ。
でも、心配しているのは分かる。
「落ち着いていますわ」
「そうか」
それだけで気配が離れる。
ルイは、少し驚いた顔をした。
「……あの人……」
「兄ですわ。あなたの様子が気になるようで」
「……声、怖いですね」
私は、少し考えてから答えた。
「……優しいですわよ」
ルイは、納得したのかしていないのか分からない顔で頷いた。
食事が終わると、ルイは疲れたように目を閉じた。
眠るというより、意識を休めている。
私は、盆を片付け椅子に戻る。
何もすることはない。
でも、離れない。
刺繍の時と同じ。
糸が絡む前に、ただ待つ。
しばらくして、ルイが目を開けた。
「……ヴィーラ」
「はい」
「……ここ、変わってるけど……」
一拍。
「……嫌じゃないです」
私は、思わず瞬きをした。
「……そうですの?」
「……はい」
理由も、説明もない。
でも、それで十分だった。
◇
窓の外で、風が木を揺らしている。
高い空。
遠い山。
交易路は、ここからは見えない。
私は、心の中で思った。
――今は、これでいい。
竜であることも。
人であることも。
名前の重さも。
全部、まだ。
今日はただ、同じ屋敷で昼を過ごした。
それだけの話。
けれど。
この静かな時間がいつか「当たり前」になる予感だけは、確かにあった。
静かに、何かが積み重なっていく音がしていた。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




