16 久しぶりの飛行訓練
最近、私は空を飛んでいなかった。
飛べないわけじゃない。
翼はちゃんとあるし、魔力も足りている。
ただ――
飛ばなくても、困らなくなってしまった。
◇
街へ通うようになってから、私の生活はほとんど人型のままで過ごしていた。
刺繍をして、布を選んで、屋台で串焼きを買って、同じ道を歩いて帰る。
歩く。
止まる。
待つ。
それが、当たり前になっていた。
ある朝、久しぶりに庭で竜の姿に戻った時。
『……あれ?』
足は動く。
息も乱れない。
でも。
飛ぶ、という感覚が、少し遠い。
――飛ばずに済ませる癖が、ついている。
胸の奥で、嫌な予感がした。
その日の午後、再び私は竜の姿に戻った。
久しぶりに伸ばす翼。
風を受ける鱗。
……重い。
重い、というのは体重の話じゃない。
感覚が、鈍っている。
『……これは、まずいですわ』
私は地面を蹴った。
浮く。
けれど、軌道が低い。
もう一度。
今度は、意識して翼を動かす。
風が、遅れてついてくる。
――飛べてはいる。
でも、以前の私じゃない。
私は、空中で小さく旋回した。
「……飛行訓練、必要ですわね」
誰に言うでもなく、呟く。
◇
屋敷の上空を何度か回ったあと、私は進路を決めた。
交易路の見える山。
理由は、単純だった。
遠すぎない。
人の姿でも行ける距離。
そして――空から見慣れている場所。
私は、高度を上げた。
風が、はっきりと変わる。
耳元を流れる音が、街とはまるで違う。
――ああ。
これだ。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
私は、翼を広げて滑空した。
◇
上空から見る交易路は、相変わらずだった。
馬車。
人。
荷。
小さくて、忙しなくて、規則正しい。
私は、少し高度を落とした。
飛びながら、地面を見る。
竜の目で、細部を見る。
……違和感。
交易路の脇。
草が、乱れている。
轍じゃない。
獣でもない。
人の動きだ。
私は、反射的に旋回した。
◇
降りるか、どうか。
一瞬、迷う。
今日は飛行訓練だ。
人の問題に首を突っ込みたいわけじゃない。
でも。
私は、翼をたたんだ。
地面に降りる。
竜の姿のまま、距離を取る。
風下から、匂いを拾う。
血。
新しい。
そして――生きている。
私は、人の姿に戻った。
外套を羽織り、フードを深く被る。
心臓が、速くなる。
◇
草の影に、人がいた。
小さな人間。
大人じゃない。
痩せていて、汚れていて、動かない。
私は、しゃがみ込んだ。
「……聞こえますか?」
返事はない。
でも、魔力の流れはある。
弱く、細く、切れそうで――確かに、ある。
私は、喉を鳴らした。
治せるか?
私一人で?
答えは、すぐに出た。
――無理。
刺繍はできる。
糸は扱える。
でも、人間は布じゃない。
私には治せない。
私は、深く息を吸った。
「……お父様」
小さな声。
足りない。
私は、胸いっぱいに息を吸った。
「お父様!」
声が、野に響いた。
風が、逆巻く。
「お父様!」
次の瞬間、空間が歪んだ。
人の姿のお父様が、そこに立っていた。
状況を見て、一拍も置かない。
「この人間か?」
足元の少年を見るなり、お父様は理解したらしい。
膝をつき、傷を確認する。
「……生きているな」
その言葉で、胸が緩んだ。
「ヴィーラ」
「……はい」
「よく、知らせたな」
私は、黙って頷く。
お父様は、少年を抱き上げた。
「屋敷へ運ぶ」
「……はい」
歩き出しながら、私は思った。
人の姿に慣れるのは、悪いことじゃない。
でも、竜であることを忘れたら――
助けられる命も、助けられなくなる。
私は、空を見上げた。
翼の感覚は、まだある。
そして今。
人間を助けることもできた。
――それでいい。
それが、今の私だ。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




