15 糸の色
街へ通うようになって、私はいくつかの“決まり”を作った。
刺繍のある日は布屋へ行く。
その前に屋台で串焼きを一本。
帰りは、同じ道を通る。
決まりというより、習慣だ。
習慣は、安心する。
◇
布屋の戸を開けると、今日は少し賑やかだった。
「マリ、こっちの色どう思う?」
「派手すぎ」
「えー」
店の中には、見知らぬ女の人が二人いた。
一人は背が高く、もう一人は私より少し年上くらい。
どちらも布を抱えて、真剣な顔をしている。
「来たよ」
マリアナが、私を見て言った。
「……こんにちは」
私は、小さく頭を下げた。
「あら」
背の高い女性が、私を見る。
「新しい子?」
「違う。週一で来る変な子」
「……変な子ですわ」
もう訂正するのも面倒になってきた。
人間の呼び名は、案外すぐ定着する。
女性たちは笑った。
「美人ね」
「可愛いじゃない」
「刺繍やるんだって?」
「……はい。まだ、線だけですけれど」
「最初はみんなそうよ」
当たり前のことを言われただけなのに、少し肩の力が抜けた。
◇
今日は、模様を一つ増やす日だった。
線に、小さな丸。
丸に、葉っぱ。
マリアナは、布の上に指で描きながら説明する。
「そうそう下縫いを怠ると形が歪むから気をつけて」
「……今は小さいからいいですけど、範囲が広くなると下縫いが面倒になるますわね」
「面倒臭がると仕上がりが悪くなるよ」
その言葉が、少しだけ胸に引っかかる。
私は、針を動かした。
面を埋めていくと丸が、少し歪む。
でも、先週よりはましだ。
「……最初に比べれば、ずっといい」
マリアナが言った。
それだけで、今日はもう十分な気がした。
◇
途中、年配の男性が店に入ってきた。
「マリ、この前頼んだ修繕、どうだ」
「ああ、できてるよ」
マリアナは奥から上着を出す。
ほつれた袖が、きれいに直っている。
「助かる」
男性は、礼を言ってから私を見た。
「そこのお嬢さんは?」
「刺繍習ってる」
「ほう」
男性は、私の手元を見る。
「指、気をつけな。針仕事は、慣れるまでが怖いぞ」
「……はい」
それだけだった。
詮索も、好奇の視線もない。
私は、少しだけ驚いた。
人間は、もっと騒がしいものだと思っていたから。
◇
昼前、布屋を出ると、空が明るかった。
私は、いつもの屋台へ行く。
「今日は二本にする?」
女主人が、にやりと聞いてくる。
「……一本で」
「成長したねえ」
なにが成長なのかは分からないけれど、否定はしなかった。
串焼きを受け取って、かじる。
変わらない味。
でも、今日は少しだけ違う。
横で食べている子供がいて、
後ろでは誰かが笑っていて、
それが、うるさく感じなかった。
◇
帰り道。
私は、布屋で買った糸を取り出した。
今日は、薄い緑。
先週の紫より、ずっと地味だ。
「……悪くありませんわ」
誰に言うでもなく、呟く。
派手じゃなくても、
目立たなくても、
ちゃんと役目がある色。
私は、その糸を外套の内側にしまった。
人間の街は、相変わらず音が多い。
匂いも、視線もある。
でも。
ここには、
名前を呼ばなくても話しかけてくる人がいて、
仕事のやり方を教えてくれる人がいて、
余計なことを聞かない優しさがある。
それは、竜の里にはない種類の温度だった。
◇
屋敷が見えてきた頃、私は足を止めた。
振り返ると、街がある。
戻ろうと思えば、戻れる距離。
私は、深く息を吸って、吐いた。
「……また来ますわ」
約束じゃない。
誓いでもない。
ただの、予定。
そういうものが、一つ増えた。
私は、歩き出した。
転ばずに。
糸を抱えて。
次は、どんな色を選ぼうか。
そんなことを考えながら。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




