13 布と糸
街は、ひとりで来ると大きかった。
大きい、というのは建物の高さの話じゃない。
音と匂いと視線の数が、いっぺんに私へ降ってくる、という意味だ。
私はフードを深く被って、外套の前をきゅっと握った。
指先はまだ少し落ち着かない。けれど、足は動く。
一歩。二歩。三歩。
自分の足で歩く。
それだけで、胸の奥の灯りが少しだけ揺れた。
◇
まず、私は屋台へ向かった。
順番を守る。
距離を詰めすぎない。
目を合わせすぎない。
呼吸を浅くしない。
全部、お父様の“街の心得”だ。
串焼きの匂いが鼻を刺した瞬間、私は思わず足を止めた。
塩気と油と、肉の焼ける香り。
……あれは危険だ。財布が溶ける匂いだ。
「ひとり? 嬢ちゃん」
声がかかった。
私は心臓が跳ねるのを顔に出さないように頑張った。
屋台の女主人だった。
頬が赤くて、腕が太くて、目が笑っている。
「……はい」
「偉いねえ。じゃ、一本いかが? 出来立てだよ」
「では一つくださいな」
小銭を手渡し代わりに串焼きをもらう。
私は両手で受け取って、そっとかじった。
熱い。
しょっぱい。
油がじゅわっとして、舌がびっくりする。
……そして、最高だ。
私は、思わず小さく息を吐いた。
「……おいしい」
「だろ?」
女主人は、勝った顔をした。
自分の焼いたものが褒められるのは嬉しいらしい。
人間って、そういうところが可愛い。
「嬢ちゃん、どこから来たの」
来た。
人間の質問。
私はお父様の声を思い出す。
知らないことは言わない。
言えることだけ言う。
「……旅の途中ですわ」
「お、旅人さんか。いいねえ。道中気をつけな」
それ以上は聞いてこなかった。
助かった。
私は胸の奥で小さく頷く。
◇
次に、私は布の店へ行った。
店先に吊るされた布は、色が多すぎた。
赤、青、緑、金、紫。
糸の光り方が違う。
織りが違う。
触った時の沈み方が違う。
竜の里では、布は“必要なもの”だった。
でもここでは、布は“見せるもの”でもある。
私は、胸がわくわくしてしまって、つい手を伸ばした。
「触っていいよ」
店の奥から声がした。
若い女の人が出てくる。
髪はこげ茶で、目がくるくるとよく動く。
「……いいんですの?」
「買う気があるならね。ないなら、見るだけ」
現実的だ。
でも嫌いじゃない。
分かりやすい。
「……見るだけでもいいですの?」
「まあ、いいよ。あんた、布が好きなの?」
私は頷いた。
「刺繍も好きですわ」
その瞬間、女の人の目が少しだけ輝いた。
「……刺繍、できるの?」
「少しだけ」
嘘ではない。
妖精に教わった“飾り縫い”なら、できる。
でも人間の刺繍は、もっと細い世界だというのも知っている。
「じゃあさ、ちょっと見て」
女の人は、店の奥から刺繍枠を出してきた。
ピンと張られた布に、花の模様。
細い糸で、光のグラデーションみたいに色が重なっている。
私は息を止めた。
「……綺麗」
「でしょ。私の仕事」
誇らしげな言い方。
それが妙に良かった。
「……これ、教えてもらうことはできますの?」
「は?」
女の人が目を丸くした。
私は、言ってしまったあとで後悔する。
図々しかったかもしれない。
でも止まらない。
「私、街には来たばかりで……こういうの、ちゃんと知りたいですの」
女の人は私をじっと見た。
フードの影で表情は分からないはずなのに、見透かされる気がした。
それから、ふっと笑った。
「……変な子」
「よく言われますわ」
「言われるんだ」
「はい」
「……まぁ、いいよ。ちょうど弟子が欲しいってほどじゃないけど、教えるくらいなら」
思わず顔がゆるむ。
「本当ですの?」
「その代わり条件」
条件。
さっきから条件ばかりだ。
人間というものは契約でできている。
「私のとこ、週に一回は顔出すこと。手ぶらはなし。糸でも、布でも、何か買いな」
「……分かりましたわ」
「あと、名前」
私は一拍止まった。
名前。
「……ヴィーラですわ」
「ヴィーラね。私はマリアナ」
マリアナ。
布の店の刺繍の上手い人間、うんちゃんと覚えた。
「よろしく、ヴィーラ。刺繍やるなら、まず指の皮が厚くなる」
「……それは、嫌ですわ」
「やるなら我慢」
マリは即答した。
私は、少しだけ笑ってしまった。
「……厳しいですのね」
「甘いと続かない」
あ。
それ、どこかで聞いた。
◇
店の片隅で、私は刺繍枠を借りて。
針は細くて、糸はもっと細い。
竜の爪の方がよっぽど丈夫だ。
人間の指は繊細で、繊細すぎて、すぐ痛がる。
「指先じゃなくて、腹で押す」
マリアナが言う。
「……腹?」
「指の腹。爪の近くは痛いだろう?」
私は言われた通りにやってみる。
針が、布をすっと通った。
気持ちがいい。
まるで、糸が息をしているみたいだ。
「……楽しい」
「だろ」
マリアナはまた、勝ち誇った顔をした。
私はふと、窓の外を見た。
街の人が行き交う。
誰も私を知らない。
誰も私の“色”を知らない。
それが、少しだけ楽だった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




