29 「ごめんなさい」
州浜はわざとらしく泣きながらも、「三潮が強固に抵抗したため、やむを得ず始末した」と、上司に報告する旨を提案して来た。
三潮にも十和にも異論はなく、それに賛同した。
「しかし……その代償がこれだとは……」
監禁場所から飛び、ショッピングモールへと戻って来た三潮は、額を押さえて顔をしかめている。なお、もう片方の焼けただれた手には、水に浸したハンカチが巻かれている。
殺害の証拠として、州浜に前髪を切られたのだ。ざっくりと。
普段は隠れがちだった目元はおろか、眉まで露出している。積み重なった恨み辛みが、その短さから伺える。
「あら、すっきりしてお似合いですよ」
十和は三潮を仰ぎ見て、にっこりと笑った。
短い前髪のおかげで、いつもよりも表情が分かりやすい。切れ長の瞳も照明にさらされ、その淡い色調を際立たせている。
だが彼は、口を尖らせてすねたままだ。
そして何故か赤い顔になり、にらみつけんばかりに十和を凝視する。
「露芝も明瞭に見える故、動悸が止まらん」
「ば、ばかっ!」
相手が年長者で、しかも教師であることも忘れ、思わず直球にののしってしまう。
痴話喧嘩か、とちらちら二人を見ながら、通り過ぎる人たちの視線がむずがゆい。
「変なことを言っていないで、八重ちゃんを探すのを手伝って下さいっ」
「すまん」
額を押さえたまま、三潮がうなだれる。
その白い手を、十和は握って引きはがす。
「それから、手で隠すのもだめです。かえって目立ちますよ?」
「ぜっ、善処する……」
握られた手を震源地に、全身を真っ赤にした三潮は小さく応じた。
「あっ、えと、その」
たちまち気恥ずかしさを覚えた十和も、跳ねるように手を離し、慌てて一歩下がった。
どぎまぎする彼女へ、一人の通行人が肉薄する。
「人のことほっといて、何いちゃついてんのさ?」
「きゃあっ!」
耳元でぼそりと呟かれ、十和は飛び上がった。
「あ、八重ちゃん……」
バクバクと脈打つ心臓を押さえ、ふてくされた顔の親友と向き直る。
ご丁寧に彼女の荷物も持った八重が、仁王立ちで二人を見据えていた。
「遅い! すごく遅い! トイレって言ってたのに、どこほっつき歩いてんだ! 二人でお茶とかしてないでしょうね! あたしもケーキ食べたいのにぃぃッ!」
歯を見せてうなり、八重が悔しさを吐露する。
胸をなでおろしながら、十和は微笑んだ。
「お茶なんてしてません。ごめんね、ちょっと変な人に絡まれちゃって」
「変な人って、みっちゃんより?」
「何だと」
ムッとした三潮を見上げた八重が、勝気そうな目を大きくした。
「あれ? みっちゃん髪切ったんすか? 髪切り魔にでも襲われたの?」
咄嗟に額を隠そうとして、十和の視線に気づき、居心地悪そうに三潮は手を降ろす。
代わりに、ふてくされた顔を八重へ向ける。
「そんなわけあるか。何だその、髪切り魔とは」
「通り魔の一種っすよー。この前ニュースでやってて……そうそう、今もウチの近所で、えらい事件があったみたいっすよ」
二人へ手招きしながら彼女が指さしたのは、ショッピングモール内の広場に設置された、大型テレビだった。
そのテレビには、真っ赤に燃える二階建ての集合住宅が映し出されていた。
「火災発生 辻が花市のアパートに、大型トラックが衝突」
とのテロップも、画面上部に流れていた。
赤々と燃える木造家屋を見つめ、十和は不安げに眉をひそめる。
「このアパートって、学校の近くよね? 怪我人がいなければいいけれど……」
「うーん、どうなんだろ。運転手のおっちゃんは、軽傷だってさ」
首をひねる八重も、苦い顔だ。
三潮だけが、表情をどこかへ置き忘れたかのように、ぼんやりとしていた。
「私の家だ」
「えっ?」
「はぁ?」
少女二人が、声を裏返らせて彼を見上げる。
彼女たちの視線を受けても、三潮はぼんやりとしたままだった。表情と共に、思考も遠くへ放置してきたらしい。のろのろと、画面を指さす。
「私の借りているアパートに、トラックが衝突したらしい」
「そんな……」
三潮の代わりに、十和が血の気を失くす。
この状況下での事故となれば、お人好しの彼女だって邪推してしまう。誰かの企てではないか、と。
それを読みとったのか、十和を拉致した女性を伴って、州浜が唐突に現れた。
「ぎゃあ! 眼鏡割れた、変なオッサンが出た!」
事情を知らない八重は、群衆と共にのけぞる。
ようやく思考の回復した三潮が、咄嗟に十和を庇う。
「今更何の用だ、九太郎」
殺気立つ彼へ、殴られた痣も痛々しい州浜は、ペコペコと頭を下げた。
「九太郎ではなく、州浜ですってばぁ。いえね、こちらの事故のご説明をと、思いましてぇ」
「貴様がこれをやったと?」
「はい。延焼にも、少しばかり手を貸しましたぁ。こうでもしないと、上を納得させられないものでぇ。もちろん、住民の皆さまは避難させましたので、ご心配なくぅ」
「ご心配なく、じゃないですっ」
三潮を押しのけ、十和が叫んだ。
「先生や、無関係な方の家を焼いておいて、よくヘラヘラできますね! やっぱりあなたたちは──ふわっ!」
しかし言い終わるより早く、三潮に口をふさがれてしまい、間の抜けた声が出た。
視線を上げて訴えかけるが、彼はそれを顧みることなく、州浜たちへ獣の眼差しを投げつける。
「これで手打ちとして、貴様たちは今後一切、私の捕獲から手を引くのだな?」
「はい、もちろんですぅ。むしろ事故を引き起こしたのに、アナタを生かしておいたとバレてしまえば、ワタクシの首が飛びますのでぇ」
揉み手の州浜へ、三潮は軽く顎をしゃくった。
「ならば、とっとと消え失せろ」
更に一段、声を低くする。
「さもなくば、私が貴様の首を手折る」
「ご冗談をぉ! 鶴菱サンのお顔で言われると、本気にしか聞こえませぇん。恐ろしい、恐ろしい」
大仰に体を震わせて、州浜は女性と共に忽然と消えた。
同時に、三潮の身体からも力が抜ける。
十和は猛然と彼の腕を振りほどき、きつくにらみつけた。
「どうして、あの人たちを逃がしちゃうんですっ!」
「これが手切れ金となるのならば、安いものだ」
「でもっ……先生のお家、燃えちゃったんですよ?」
悔しさから涙ぐんだ十和を見下ろし、三潮も険のない表情へ変わる。
「元より家に、執着心はない」
「だけど、大事なものだって、家にたくさん」
「画材は学校に置いている。財布もこれも、手元にある」
ジーンズの後ろポケットをまさぐり、三潮は使い込まれた革の財布と、白い猫のキーホルダーを取り出した。
思わず、十和の涙が引っ込む。ガラス細工の猫がくっついたキーホルダーは、以前に彼女が渡したものだ。
ハンカチの巻かれた手で猫をいじりながら、三潮はぼそぼそと続ける。
「これがあれば、特に問題はない」
「先生って……やっぱり、馬鹿だと思います」
「そうかもしれん」
十和がぎこちなく笑えば、赤い顔もわずかに眉を下げる。
前髪が短くなって、そんな変化もつぶさに見てとれた。
しかし、そこに乱入する影が一つ。
「みっちゃんの財布、いただき!」
忍び足で三潮の背後を取った八重が、骨ばった手から財布をかすめ取る。
情けない表情だった三潮は、途端に鬼となった。
「市松、貴様ァァッ!」
「ヒャッハー! 十和にデレデレのみっちゃんなんて、怖くないっすよー!」
三潮が素早く腕を伸ばすが、全て紙一重で避けられた。
こういう時は瞬間移動を使わないのか、と十和はしげしげと二人を眺めていた。
にやけ面の八重が財布を開けば、ヒラリと一枚の紙が落ちた。素早く紙を拾い上げた彼女は、首をかしげる。
「なにこれ、写真?」
「あっ……アアァァァーッ!」
写真の内容を思い出したらしい三潮は、今まで聞いたこともないような声量で絶叫した。
もちろん、そんなことで動揺する八重ではない。むしろ笑みを深くして、写真を表に返した。
校外学習の際にこっそり撮られたらしいそれには、笑顔の十和が写っていた。
被写体も、八重に並んで写真を眺め、続いてくるりと三潮を見る。
「これ、何ですか?」
「それは、その、たっ、立涌、から」
浅い息で、途切れ途切れに三潮があえぐ。今にも赤い汗を、吹き出しかねない形相だ。
対する十和の表情は、恐ろしいまでに冷え切っている。まるで氷の女王だ。
「立涌君から、どうされたんです?」
「うば……いや、も、もらった」
「うば? 奪ったんですね?」
「それは、」
「奪ったんですね?」
語調が強くなる。びくり、と肩を跳ねさせた三潮は、観念するようにうなずいた。
「……はい……」
「どうして?」
「つ、露芝をいつでも、眺められる、と思い」
いつもなら十和も、まっすぐな言葉に赤面してしまうところだが。
今は違った。
「それでこの、明らかに隠し撮りされた写真を奪ったんですか」
「は、はい」
「そうですか」
及び腰となっている三潮へ、十和は微笑み返した。
大輪の花を思わせるその笑顔に、三潮はつい気を緩める。その瞬間を狙い澄まし、平手が白い頬をぶった。
いつもの猫の手パンチとは異なり、小気味良い音のする張り手だ。
頬を打たれた姿勢のまま、固まる三潮。
十和は大きく息を吸い込んで、腹の底から怒鳴った。
「盗撮は犯罪です! 先生の考えなし!」
「ごめんなさい」
激怒する十和と、塩をまかれたナメクジのように縮こまる三潮を見て、八重はケラケラと笑った。




