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先生はESPでストーカー  作者: 依馬 亜連
本編

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22/40

22 「体育のゴリ松が」

 その爆弾は、穏やかなお昼時に投下された。


「そういやさ、みっちゃん」

 弁当のおかずのナポリタンを飲み込んで、八重が三潮を見る。

 十和のそぼろ入り卵焼きを味わっている三潮は口を開かず、眼力だけで続きを促す。

「体育のゴリ松が、みっちゃんのこと探してたっすよ。体育準備室に来て欲しいって」


 ゴクリ。


 いつもは噛みしめる卵焼きを、咀嚼半ばで思わず飲み込む。

 そのまま三潮は固まった。

 じわりと汗が、全身に浮き上がる。


「きゃあああああ!」

「うわあああああ!」

 その汗が、少女二人の悲鳴を誘発する。


 二人は椅子を倒しながら立ち上がり、お互いの身体にしがみついて絶叫している。

「赤い! 汗赤い! あんたカバか!」

「何だと」

 半狂乱の八重につられて腕を見れば、赤い半透明の液体がびっちょり湧き出ている。


 たまらず、三潮も顔をしかめた。

「なんと醜悪な」

「それはこっちの台詞です!」

 十和もお弁当そっちのけで三潮を引っ立て、あろうことか彼の胸ぐらを掴む。


「シャツまで真っ赤じゃないですか、早く脱いで!」

「つっ、露芝の眼前で、脱げとッ?」

 今度は鼻から出そうになる赤い液体を押さえこみながら、三潮は裏返った声を絞り出した。


 だが今日の十和は、この程度では怯まない。恥じらわない。

「いいから早くして下さい! こんな格好では、外にも出られません!」


 煽る形で、八重も賛同する。

「そうだそうだ! 出た途端、一発で職務質問受けちゃいますよー!」

 二人に急き立てられるまま、三潮はくるりと背を向けて、まごまごとシャツを脱いだ。


 シャツを脱ぐや否や、十和にひったくられる。シャツはそのまま画材用の洗い場で、ゴシゴシと揉み洗いの刑に処された。

 十和の手つきは、慣れたものだった。

 洗い場に備え付けられているレモン石鹸の香りが、辺りへふわりと漂い出す。


 三潮はその匂いをかぎながら、鼻血対策用のタオルをズボンの後ろポケットから取り出し、上半身をくまなく拭いた。


 黙々と動く二人を、八重は机に頬を乗せてぼんやり眺めている。そしてとりとめのない話題を、三潮へ投げかけた。

「血の汗流すって、みっちゃんの体質どうなってんすか?」

「知るか」

「やっぱカバと一緒なんですかねー。あ、意外に鍛えてるんすね」

「見るな」


 ギロリと振り返ると、ニヤニヤ笑いが返された。

「見てるんじゃあなくて、視界に入って来るんですぅ」

 小馬鹿にした口調がいっそう腹立たしく、三潮は舌打ちを残して姿を消す。


 そして準備室内を漁り、辛うじて衣類の一種であるエプロンを被り、再び美術室へ飛ぶ。

「うわ、男の裸エプロンだ。変態臭い」

 今度はこんな嘲笑が返って来て、三潮はギリギリと歯ぎしりした。


 固い筋肉に薄い皮膚を被せただけの不健康な腕を、十和が遠慮がちに軽く叩く。

「何も着ていないよりは、いいですよ。ちょっと、フレディさんみたいですけど」

 この場合のフレディは、悪夢に出てくる殺人鬼ではなく、ミュージシャンの方であろう。


 ヒゲのフレディを思い返し、三潮は顔を歪めた。

「フレディは良いものか? 果たしてそれは、褒め言葉なのか?」

 思わず十和へ食い下がったものの、あいまいな笑顔で流された。


「どうして、赤い汗なんてかいちゃったんですか?」

 そしてはぐらかされる、というか核心を突かれ、ふたたびじっとり汗をかく。

 幸いにして、今度は透明の汗だった。


「……ゴリ松から、立涌を美術部へ入れてくれ、と打診されていた」

 苦痛にまみれた息を吐きながら、三潮は弱々しい声で語る。


 なお、誰もが「ゴリ松」と呼んでいるが、体育教師の本名は「笠松」である。

 あまりにもゴリラ似であるため、校内ではもっぱら「ゴリ松」で通っているのだが。


 窓の手すりに引っかけたシャツを見つめ、十和もひっそり柳眉をひそめる。

「なんだか、唐突なお話ですね」

 マイペースに食事を再開しながら、八重も首を傾げる。

「よく立涌とじゃれてるから、仲良しって勘違いされたんすかね?」

「誰が仲良しだ。そんな簡単なものではなく……奴の更生に助力しろ、と要請されている」


「あら。立涌くんって、そんなに不良でしたっけ?」

「女体に関する好奇心が、手に負えんらしい」

「ああ……」

「なるほど……」

 苦々しい三潮の言葉に、年頃の少女二人は頬を赤くする。


 それには気付かず、三潮は心底不愉快そうに言葉を続ける。

「体育の授業中にマラソンを途中放棄し、駅一つ離れた大学の女子寮へ、侵入を試みた前科もあるらしい」

「あらまぁ」

「うへぇ」

 思った以上の好奇心に、十和と八重の肌は粟立った。


「生活指導担当のゴリ松も手を焼いていたところ、奴に絵の才能があると聞きつけたそうだ。そして、奴を美術部へ入部させろ、と提言して来た。そうすれば好奇心の幅が広がり、女子寮へ侵入することもなくなるだろう、という考えらしい」


 今日の三潮は、やけに多弁であった。

 どうやらここしばらく、ゴリ松に翻弄され続けているようだ。


「それなら、お断りしちゃいましょうよ」

 心が折れかかっている三潮を見かね、十和は無意識にそう呟いていた。


 八重と三潮が、ほぼ同時に目を見開き、まじまじと彼女を見る。

「今日の十和、甘い」

 ピアスをいじりながら、八重が呆れたような、感心したような口調で言う。


 それに少々ムッとしていると、三潮が頬を強張らせ、おずおずと十和を見つめた。

「しかし露芝は私に、いつも、しっかりしろと言っているが」

 母親のご機嫌をうかがう子供のような仕草に、つい吹き出す。

「でも先生は、立涌君が苦手でしょう?」

 力強く、三潮はうなずく。


「殺したい程に」

「それなら、入部させない方がいいですよ。嫌なものは嫌って言うことも、大事ですから」

「言ってもいいのか?」

「たまには、いいんですよ」

 真っ直ぐな三潮の目に、十和も小さく微笑んでうなずく。


「そーそー」

 八重も弁当箱を閉じつつ、鷹揚に相槌を打つ。

「しょうもないことで我慢して、また血ヘド吐いたりしたら、シャレになんないでしょ。そもそも、美術部って葦手ちゃんいるよね? あの子も嫌がるんじゃないっすか?」


 はた、と三潮の脳裏に、反社会的ファッションに身を包んだ教え子が浮かび上がる。

「そういえば、そうだった……」

 呟いたと思った途端、三潮の顔が険しくなる。

「みっちゃん?」

「先生?」

 二人が何事か、と恐々見守る。まさか、また赤い汗を吹き出すのだろうか。


「へぶしっ」

 しかし飛び出たのは、間抜けなくしゃみだった。


 弛緩すると同時に、十和と八重は顔を見合わせて笑う。

 ここは日当たりの悪い特別棟。上半身はエプロン一丁なのだから、寒くても当然だ。

「よく見れば先生、顔も真っ青ですね」

 困り顔で笑いをこらえつつ、十和は乾燥中のシャツへ近寄る。


「あら、でもまだ生乾きですね。逆に体が冷えちゃいそう」

「そうか」

 歯を食いしばって寒気を押し殺しながら、三潮はじっと、一点を見ていた。

 視線の先にあるのは、薄汚いカーテン。


「それは学校の備品だから、駄目ですよ」

「……すまん」

 冷やかな声で先手を打たれ、三潮はうなだれた。


 そのやり取りをひとしきり堪能すると、八重はお弁当片手に立ち上がった。

「仕方ないなー。また男子から、体操服でも借りて来てあげましょう」

「ありがとう、八重ちゃん」

 友人の言葉にニッと笑い返し、八重は軽やかに美術室を出て行った。


 なお三人の予想通り、六斗の美術部入部は、古参部員から強固な反対を受けた。


 驚いたことに、葦手を含めた全ての女子部員から「否」と言い渡されたのだ。

「ヌードモデルになれとか言われるので、絶対嫌です!」

 彼女らは、異口同音にそう拒否した。


 六斗の女性への好奇心に果ては見えないものの、ひとまず三潮の心と、美術部の平穏は保たれた。

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