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なさねばならぬ事

「……。」

 朝が来た、昨日は疲れてたからか、良く寝れた。

 その割に目覚めは悪くて、夢の中で見た事を思い出す。

 ホントは生きていたい、浩介達と一緒に生きていきたい、ホントは死にたくなんてない。

 ただ、それを言った所で、何もかわりゃしない、何も望みは叶わない、俺の願い、欲望、想い、夢は叶わない。

 だから、諦めるしかないんだ。

「……。」

 少しだけ、涙が零れてくる。

 もっと生きていきたい、もっと一緒にいたい、もっと一緒にいてやりたい。

 そんな想いは叶わない、俺の旅路は、もうすぐ終わる。

 医者がどういった所で、浩介達が何を言った所で、それは理解してる、俺の本能が、もうすぐ人生を終えると言ってる。

 だから、諦めるしかないんだ。

 そんな事に心を奪われてる暇なんてない、俺には俺にしか出来ない事がある、俺にまだ出来る事がある。

 何の為に痛みと戦いながら生きているのか、何の為に麻酔に頼らず痛みで苦しんでるのか、それを思い出す。

 だから、神様。

 もう少しだけ時間を下さい、もう少しだけ、これを書き上げるまでで構わない。

 だから、最期まで、俺はやり遂げたい。


「悠介、今日も来ちゃった。」

「おはよう、浩介。そうだ、浩介にも話しておこうかな。」

「何かあったの?」

「サイン会って言うか、ファンレターをくれてた子達と、会おうと思ってるんだ。死ぬ前に、会っておきたいから。看護師趙さんに許可貰ってさ、相田さんには朝一で連絡しておいたから、近々そういう日が来ると思う。」

「……。そっか、喜んでくれると良いね。」

 朝九時、点滴が終わった位の時間に、浩介は来てくれた。

 浩介にサイン会の事を話すと、浩介は一瞬苦しそうな顔をして、それをひっこめて笑った。

 わかってる、浩介は俺が死ぬ準備をしてるみたいで嫌なんだろう、でも、俺は出来る事をしておきたい、我儘かもしれないけど、でも。

 死ぬ準備と言われたとしても、間違いじゃない、けど、それはネガティブな事じゃない、未来へ向けて必要な事だから。

「浩介も来てくれないか?俺一人とか、相田さんも来てはくれるだろうけど、サイン会なんてやった事がないから、不安なんだ。」

「良いの?」

「勿論だ。浩介にも、見ていてほしいんだ。俺の仕事っぷりって言うか、普段は見せてなかっただろ?」

「ありがとう、悠介。」

 浩介の予定も加味して、俺が生きてる内にと思って、ちょっと急ぎめでって相田さんに連絡を入れる。

 浩介と他愛ない話をして、昼頃に点滴の時間ちょっと前に、浩介は病室を出ていった。


「悠介、サイン会するんだって。」

「サイン会?」

「うん、ファンレターをくれてた子達に会いたいって言ってた。……。死んじゃう準備してるんだろうな、って思うんだ。僕、ちょっと怖いよ。悠介がいなくなっちゃったら……。」

 浩介が家に帰ってくる、悠治は昼食にパスタを用意して待っていた。

 悠介と浩介の馴れ初めは幼い頃で、小学一年生の頃に出会い、そして小学四年生の頃から付き合っている。

 かれこれ十四年、もうすぐ十五年間、ずっと隣にいてくれた人が、今いなくなろうとしている、それが浩介にとっては、怖いのだろう。

 悠治も、悠治が四歳の頃から遊んでくれていて、二年前に両親を亡くした時、家に来いと言ってくれた悠介がいなくなってしまう事を怖がっていた、二人にとって、それだけ悠介は支えだったのだろう。

 二人の関係が崩れる事はないだろう、兄弟としてずっと一緒にいた二人だ、悠介が死んでしまったら、などという事もないだろう。

 しかし、生活が一気に変わる、それは間違いない、今でさえ、生活に若干の支障をきたしているのだから、悠介が死んでしまったら、それは免れないだろう。

「でも、悠にぃがサイン会なんてやってる所、想像出来ないや。悠にぃって人見知りって言うか、あんまり外交的なタイプじゃないと思ってたから。」

「僕もだよ。悠介って、深く狭く付き合うタイプの人だと思ってたから。でも、ずっとファンレターでやり取りしてたって言ってたし、その子達と会いたいって言うのは意外とわかるかも。悠介の言葉に救われた子達だから、きっと会いたがってると思うしね。」

 恐らく、ファンレターを送ったり返したりしている中で、仲良くなったのだろうと浩介は考えていた。

 ファンレターは何度か見せてもらった事がある、それに返事を返している事も知っていた、だから、そういった関係になっていても、おかしくはない話だ、と。

「悠にぃ、ファンレターが初めて届いた時は、すっごい嬉しそうだったもんね。普段あんまり笑わないのに、ニコニコしてさ。それだけ嬉しかったって事なのかな。」

「だと思うよ。悠介ってあんまり感情を表に出さないから……。笑うと可愛いよって話はしてるんだけど、眉間の皺が取れないなって、悩んでたよ。」

 悠介は、あまり感情を表に出すタイプではない、寡黙な訳でも無いが、いつも怒っている様に見えなくもない。

 ただ、悠介は家族との折り合いが悪く、眉間にしわを寄せたり、表情を表に出さない癖があるだけなのだが、学生時代は、良く誤解されていた。

 高校を卒業してからも、中々会社に馴染むのに時間がかかった、と言っていたし、浩介は大学に通いながら、良く悠介にアドバイスをしている立場だった。

 そんな悠介が、とても嬉しそうにしていた、それは浩介が覚えているだけでも二回、浩介に悠介が告白した時と、ファンレターを貰ったと喜んでいた時だけだった。

 浩介は、子供ながらにずっと眉間にしわを寄せていた悠介が、とても嬉しそうに笑っていた事、そしてそれが自分に関係する事だった、と言うのは、とても印象深いのだろう。

「悠介ってさ、感情がないって自分では言ってるけど、繊細なんだよね。ずっと人に気を遣って、人の目に怯えながら生きてたと思うんだ。だから、執筆を始めてから、自分のやりたい事が初めてできた、生涯を賭ける価値がある、って言われた時は、すっごい驚いたなぁ……。でも、悠介って何に対しても一生懸命だから、きっと出来ると思ったんだ。」

「悠にぃが書き始めてから、デビューまで三年くらいかかったんだっけ?学校卒業した位から書き始めたって言ってたもんね。悠にぃがあんなに色んな事考えてる、って小説読んで知った時は、驚いたよ。僕とも遊んでくれてたけど、あんまり笑う事って無かったもんね。ぎこちないって言うか、なんて言うか……。でも、ファンレターを読んだって喜んでた時、この人はこんな幸せそうに笑うんだ!って思ったもん。」

 悠治は、昔から少し強面で怒った顔をしている、と言う印象が強かった為、悠介が心の底から笑っていると認識した時は、心底驚いていた。

 そして、悠介の作品を読んでいくにつれて、口下手なだけで、秘めている想いは誰よりも深く、そし慈愛に満ちている、と言うのも、驚いた記憶があった。

 そんな悠介が会いたいと願う子供達、一人は悠治より年上だったと言っていたが、そんな人達はどんな人間なのだろう?と想像する。

 浩介も、ファンレターの返事は読んでいなかった為、悠介がどんな交流の仕方をしていたのか、どんな話をしていたのか、は知らない。

「きっと、良い子達なんだと思うよ。悠介が会いたがってるって事は、そう言う事なんだと思う。悠介って、人を見る目はある方だと思うから。繊細で、人一倍人を見る目があるから、馴染めない環境が多かったんだと思うな。」

「高校の頃とかも、あんまり友達作ってなかったもんね、悠にぃ。浩にぃがいるからいらないのかなーって思ってたけど、違うんだ。」

「うん。悠介は、人と関わるのを怖がってた、相手の本性がわかるから、まるでその人の全てを見ちゃった様な感覚になるって言ってたよ。だから、あんまり人と関わる気になれないんだって。今は病院で話が出来る看護師さんがいたり、相田さんがいてくれるから、僕ちょっと寂しいけど安心してるんだ。僕と悠治だけじゃない、悠介だって、仲良く出来る人がいるんだ、って。」

 浩介は、自分だけのポジションだと思っていた、悠介の隣、と言う立場を、誰かに譲る気はなかった。

 まだ小さい頃からずっと一緒にいて、少しおませさんだった悠介に告白をされて、そして今の今までずっと、付き合ってきて。

 悠治にすら譲る気はない、悠介の隣は、自分にしか考えられない、と思っていたが、最近は誰かと仲良くしている姿を見かける、それが少し寂しい。

 独占欲、と言う訳でも無いとは浩介は思っていたが、ずっと隣にいた悠介が、少し離れてしまう様な気がして、寂しいのだろう。

「悠にぃと浩にぃ、ずっと一緒だもんね。僕、浩にぃの弟で、悠にぃに弟だって言って貰えて、嬉しかったよ。険しい顔しながらさ、お前は俺にとっても弟なんだ、なんて言ってくれてさ。」

 悠治は、小学生の頃は友達がいなかった、少々浮いていたと言うか、孤立していたと言うべきか、友達と呼べる人がいなかった。

 そんな悠治を嫌と一言も言わず、俺にとっても弟なんだ、と言ってのけた悠介、悠治にとっても、悠介は特別な存在だった。

 大好きな兄である浩介を取られたと思っていた悠治にとって、それは嬉しい誤算だったのだろう。

 まさか、自分と仲良くしてくれる人がいるとは思わなかった、しかも弟だと思ってるとまで言ってくれる人が近くにいるとは思わなかったのだろう。

 それが、悠治が小学二年生の頃の記憶、掠れている記憶の中で、鮮明に覚えいている記憶だ。

「あの頃、もう悠にぃって今と雰囲気変わらなかったからさ、ちょっと怖かったんだ。でも、優しい人なんだって、すぐにわかったから、嬉しかった。浩にぃを取られちゃった様な気がしたんだけど、それでも、お兄ちゃんがもう一人増えたんだ!って思えて、嬉しかった。」

「悠治、すっごく喜んでたよね。僕も嬉しかったよ、悠治はあの頃あんまり遊ぶ相手もいなかったから、悠介が相手してくれて、まさか兄弟として見てくれてたなんて、って。だって、悠介は弟君と凄く仲が悪かったでしょ?だから、兄弟に良い思い出が無いのかなって、思ってたから。悠介は優しい子だったけど、そこは意外だったなぁ。」

 浩介も思い出す。

 当時から、悠介は家族との折り合いが悪く、末っ子次男な弟ばかりを可愛がり、長男である悠介を疎んでいた両親と、それに感化されて反抗的だった弟、そしてそれを咎める事もなく、当たり前だと言っていた親戚、と家族や血の繋がった人間に良い思い出がなかった、と言っていた。

 それが、血の繋がらない悠治を弟だと言い出した時は、小学生ながらに驚いたものだ、と。

 当時を思い出すと、少し微笑ましい、と浩介はやつれた頬を緩める。

 悠介を少し怖がっていた悠治と、繊細で不器用だった悠介が、少しずつ仲良くなっていく、自分と同じ様に、少しずつ悠介に絆されていく悠治を見て、嬉しかったと。

「浩にぃ、久々に笑ってくれたね。浩にぃはずっとニコニコしてる人だと思ってたから、寂しかったよ。」

「……。ごめんね、悠治。悠介が入院して以来、なんだか気が落ち着かなくて。」

「それは僕も一緒だよ。」

「悠治も、少しやつれたよね。最近、筋トレしっかり出来てないんじゃない?」

 そう言えば、お互いにお互いの事をあまり見れていなかった。

 二人揃って悠介の心配ばかりで、思い返せばお互いの顔をしっかりと見るのも久しく感じる。

 お互い、頬がこけてきたり、筋力が落ちて来たり、余裕が無かったのだろう、と言うのは理解していたが、それに触れる機会も無かった。

「悠介は、そんな事望んでないって、良くわかってるんだけどね。中々、今の生活って慣れないや。」

「僕も。悠にぃは、きっといつも通りに生活して欲しいって思ってる、浩にぃにも僕にも、笑って過ごして欲しいって思ってる。でも、中々そう簡単にはいかないよね。僕達にとって、悠にぃってそれだけ大きな存在だったしさ。」

「そうだね。僕達、思った以上に悠介がいないと駄目みたいだ。でも……。でも、生きていかないと。僕達まで共倒れになる事を、悠介は絶対望んでないよ。僕達がしっかりしないと、安心出来ないかもしれないしね。」

「そうだね。」

 お互い、悠介の死を恐れていて、きっと、悠介を愛している。

 愛しているからこそ、死んでほしくない、生きていてほしいと願う、神にも縋る想いで、願っている。

 ただ、それは叶わないとわかっていた、現代の医学では、悠介は治らない。

 わかっていた、ただ、受け入れるのには時間がかかる、受け入れる為には、もう少し時間が必要だろう。

「僕達、頑張れるかな。悠介がいなくなっちゃった後も、頑張れるかな。」

「……。わかんない。でも、悠にぃはきっと、頑張って欲しいって思ってる、僕達に生きて欲しいって思ってると思う。」

 きっと、それは悠介には聞いていない事だ。

 悠介は本心を語りたがらない、あまり話をする事もなかった、だから、悠介の本心と言うのは、いつだって予想だった。

 ただ、その予想は当たっている気がしていた、浩介も悠治も、それだけ長く悠介と関わってきた、と言う自負はある、悠介の感情はよくわかる、と。


「相田さん、来週で良いんですかね?」

「はい。急な話ですが、四人とも良いと言ってくれましたよ。浩希君と悠介君は、初めて二人で出かける良い機会になる、とお母さまが言ってました。」

「有難いですね、本当に……。」

「坂入さん、このサイン会が終わったら死のう、とか考えてませんよね?せめて、今書いてる作品を仕上げてからじゃないと、やり切れませんよ。」

「……。後どれ位持つか、は俺もわかりません。ただ、書き上げますよ。最期に伝えたい想い、最期まで伝えたい想い、俺にしか書けない、俺にしか伝えられない、大切な想いですから。」

「そのくせ、坂入さんは言葉には出来ないんですから、驚きですよ。いや、貶してる訳じゃないんです。ただ、随分と遠回りをされていらっしゃるんだなと。」

 わかってる、直接言葉にして、声をかけてやった方が聞いてくれるのはわかってる。

 相田さんの言葉は尤もだ、俺は口下手だから、って言い訳して、言ってないだけで。

 ただ、こうした方が良いなって思ってから、こういう風にしか出来なくなった、やり方をやっと知ったから、って言うのもある。

「……。分かっちゃいるんです。直接伝える、それが一番だって。ただ、俺は書き続ける道を選んだ、選んでしまった、だから仕方が無いと思ってます。こればっかりは、治そうとしても、生涯治らなかったですね。」

 眉間にしわがよる、いつもの癖だ。

 それも治らなかったな、笑顔が似合うって浩介は言ってくれたけど、俺は笑う事に慣れて無い。

 笑ったとしても不格好になる、どうせそんな人生だったんだろう。

 笑う事を許されなかった、家族と一緒に暮らしてる頃は、笑うと決まって父親と母親に馬鹿にされて、弟からも貶されて、俺は笑う事を止めてしまった。

 ただ、覚えてる、二回だけ、心の底から笑った記憶がある。

 それは、浩介に告白した時、俺が浩介の事が好きだって気づいて、それがゲイって言われる人達だって知って、怖がりながら告白した時。

「僕も悠介の事大好きだよ!」

 あの言葉に、救われた。

 あの言葉に、生かされた。

 あの言葉に、希望を、生きる意味を、与えられてしまった。

「坂入さん、それじゃあ予定調整はこっちでしておきますので、体に気を付けてくださいね。」

「はい、ありがとうございます。」

 そう言って、相田さんは病室を出ていく。

 俺は思い出す、幸せだった日々を。

 浩介と悠治が、俺を変えてくれた、俺の人生を変えてくれた。

 友達がいなかった俺の傍にいてくれた浩介、そんな浩介の影にいながらも、一緒に遊んでくれた悠治。

 二人のおかげで、俺はこうして今を生きている。

 それは終わってしまう、終わる事になる、その時間は、きっと遺されてない。

 でも、伝えたい。

 伝えなきゃならない、きっとそれは、俺に与えられた最期の天命だから。


「坂入さーん、また小説書いてたんですかぁ?」

「加納君、お疲れ様。」

「いえいえー。なんだか坂入さん、難しそうな嬉しそうな顔でしたよー?」

 夜の点滴の時間になって、俺は小説に打ち込んでたもんだから、時間の感覚がなくなってた。

 いつもそうだ、俺は集中すると意識が遠くなるって言うか、時間とかを気にしなくなる、書けるなら書けるだけ、ってタイプだから、時間を忘れて書く事が多い。

「さ、点滴打っちゃましょうかー。夜はちゃんと寝れてますかー?」

「まちまちって感じかな。寝れる日もあれば、寝れない日もあるよ。」

 加納君は、慣れた手つきで点滴をしながら、俺にちょっとした質問をして来る。

 加納君は夜勤に入る事はまだ少なかった、その練習って言えば良いのか、時たまそういう類の質問をしてくる。

「はーい、じゃあ点滴終わった頃にまた来ますねー。」

「了解です。」

 加納君が出ていく、俺はもう少し小説を進めようかな、なんて思いながら、そう言えばって思い出す。

 最近、痛みが酷くなってきた気がする。

 感覚的に、だからホントの事かどうかはわからないけど、鈍痛が強くなってきてる気がする。

 これはいよいよ、いつまでもつかわからないだろう。

 だから、気を引き締めて書かないと。

「ふー……。」

 こういう時、普段ならコーヒーでも淹れて、一服してから小説に戻るんだけど、生憎と俺の胃袋がそれを許してくれないし、病院側も許可はくれないだろう。

 気を引き締める、頬を数回叩いて、パソコンに向きなおる。


「加納君、点滴終わる時間じゃない?」

「そうですねー。そろそろ良い時間だと思いますー。秋原先輩、行かなくて良いんですかー?」

「そうね、行かないと。加納君は上がりだものね。」

 ナースステーションで、加納と先輩看護師の女性、秋原が話をしていた。

 秋原はここに勤め始めてから十五年、割とベテランの方なのだが、新人の加納になにかと気を使っていて、サポートしていると言えば良いのだろうか、加納が何かポカをやらかしそうな時に、察してカバーする、と言うのがいつもの事だった。

 最近では加納もミスをしなくなってきた、それが嬉しい様な寂しい様な、とぽっちゃりした顔に笑顔を浮かべ、いつも笑っている看護師だ。

「さ、お疲れ様、今日は彼女さんとは会うの?」

「会いますよー?この後デートの約束ですー。」

「そう、良いわね、そう言うの。じゃ、叔母さんも行ってくるかしらね。」

 秋原はそう言うと、ナースステーションを出て患者の元に向かう。

 加納は、お疲れ様でしたーと言いながら、帰る準備をした。


「坂入さん、点滴終わりましたよ。」

「あ、秋原さん。ありがとうございます。」

「小説、書いてたの?」

「はい、出来るだけ書いておこうと思いまして。」

 ベテラン看護師の秋原さんが、加納君の代わりに点滴の終わりに来た。

 秋原さん、この人は俺と対照的でいつも笑ってる人で、この人から笑顔を失わせるのは難しいんだろうな、でも良い事なんだよな、っていっつも思ってる。

 それだけ強い人なんだろう、笑顔でいられる人は強い、張り付けた笑顔じゃなくて、心の底から笑ってる人は、強い。

「楽しみねぇ、入院してから三本目位かしら?坂入さんが作家さんだって知ってから、皆読んでるのよ?」

「有難い限りです。」

「それで、伝えたい想い、って言うのは、伝わったの?」

「……。まだまだ、書き足りないみたいですね。なかなか伝わってくれません、これだけ書いて、素直な想いをぶつけてるはずなんですけど、これがまた難儀な話ですよ。」

 想いを伝えたい人、には伝わらないもんだ、なんて自傷気味に言ってみたりするけど、ホントにそうなるとは思わなかった。

 それだけ思慮深いと思ってたから、俺が書きたい事なんて、すぐに見破られると思ってた。

 でも、事実は違った、中々想いは届いてくれない、中々伝わってくれない。

 ただ、それも良いのかな、とは思ってる、伝わったら伝わったで恥ずかしい気もするし、伝わらないままでいるのも、良いのかもしれないって。

「まったく……。貴方は、心を閉ざしてしまった訳ではないんでしょう?ただ、物を言うのが苦手なだけ。私の旦那そっくりだわ。」

「秋原さんの旦那さんって、どんな方だったんですか?」

「頑なに本心を言わない人だったわ。去年亡くなったんだけどね、手紙一つ残して逝ってしまって。手紙に、これでもかと本音を書いていてね。まるで、坂入さんの生き写しみたいな人よ。男の人って、不器用なのねぇ。すっと言えば良いだけの事を、言わずに心に留めて、手紙になんてしちゃって。わかってたのよ、あの人の本心は。でも、言葉にしてくれないと、こっちからは言えないでしょう?貴方が想いを伝えたい相手、もきっとそうだと思うわ。きっと、貴方の想いは伝わってる、ただ、ちゃんと言葉にしてあげないから、不安になるだけなのよ。」

 秋原さんが未亡人なのは驚きだけど、でも、その言葉は耳が痛い。

 伝えれば良いのに、ホントにそうだ。

 伝えれば良いのに、言葉にすれば良いのに、言葉に出来なくて、恥ずかしいなんて思って、伝えたい事を言わずに、小説になんて書いて。

 まどろっこしいって言うか、えらく遠回りな道を選んだ、それは俺自身わかってる。

 でも、今更言う事も出来ないと思う、幼少期の感情、考え方、それが染みついてるのは、重々承知してる。

「貴方のご両親がどんな人だったか、貴方の弟さんが、親戚の方がどんな方だったのか、貴方がどんな子供時代を過ごしてきたのか。坂崎さんとお話して、それはわかってるの。ただ、伝えたい事を伝えずに逝ってしまったら、遺された方は辛いのよ?」

「……。」

「それでも、貴方はきっと言わないんでしょう。きっと、書く事を選んだのだから。伝わると良いわね、最期までに。」

「そうですね。俺が書き続けてる理由は、伝わって欲しいから、ですから。」

 まったく、ってため息をついて、秋原さんは病室を出ていく。

 俺は、こんな正確になった原因は自分にはない、って開き直ってるけど、でも、浩介達には悪い事をしたな、とも思う。

 ただ、それしか出来ない、そうでしか在れない自分の事を、少しだけ恨む。


「悠介、今日も……。」

「手紙書いてたの?」

「うん。読まないって言ってるのにね。」

 夜十時、そろそろ寝る準備をしようかと思っていた悠治は、浩介が呟いた言葉から、何があったのかを想像する。

 それは当たっていた、悠介の行動パターン、どう動いて何をするか、も大体わかっている。

 ただ、心がわからない、悠介の心は、いつだって煙に包まれていて、わからないと思っていた。

 それこそ、幼心に本心を語ってくれた、自分を弟だと思っている、と言うのが、悠治が聞いた、最初で最後の本心だ、と思っていた。

「なんで、書き続けるんだろうね。悠にぃ、言葉にするのが苦手だって言ってたけど、そこまで書き続けるのかなぁ。」

「分かんない。悠介って、本当に本心をさらけ出さないから。悠介が悪いんじゃない、悪いのはそれを許さなかった家族だって言うのはわかってるけどさ、でも……。最期位、話して欲しいなって、そう思うんだ。」

 浩介も、悠介の本心を聞いたのは二度だけだ、と思っていた。

 悠介は語りたがらない、悠介は本心を言わない、そしてこれから先、聞く事が出来なくなってしまう。

 だから、最期位悠介の口から聞きたい、どう思っていて、何を感じていて、何をしたいのか。

 死ぬ前に、しておきたい事、話しておきたい事、語りたい事。

 もう、家族の呪縛からは解き放たれている、もう、家族が何か言ってくる事もない。

 だから、最期位、聞いておきたい。

「でも、悠介らしいって言っちゃうと、そこまでなんだよね。悠介は、最期まで話さないと思う。自分の想いだとか、心のうちだとか、そう言う事。」

「悲しいね。……。でも、悠にぃはそういう人だもんね。」

「うん。それは僕がよくわかってる、だから、無理に聞こうと思えないんだ。無理して聞いたって、悠介は困っちゃうだけだから。」

 浩介は心の根っこから優しい、と悠介が言った事があった。

 それは、浩介が中学に上がり、少し先輩と折り合いが悪くなった時、悠介が何の気なしに言った言葉だ。

「浩介は、誰にも負けない優しさを持ってる。だから、大丈夫だ。」

 その言葉を信じて、先輩達と和解して、そして生きてきた。

 悠介の言葉はいつだって少ない、少ないが、いつも核心を得ている、いつだって、浩介の中で心に寄り添ってくれる言葉を話してくれる。 

 そういった話をした後は、決まって黙る時間が増える、無理して話をした反動だ、と悠介は言っていたが、実際の所がどうなのかを、浩介は知らない。

 浩介が悠介と出会った、小学一年の頃、もう悠介は今とそう変わらない悠介だった。

 語る事もなく、我儘を言う事もなく、何かをするわけでもなく。

 ただ、浩介を好きだと言ってくれた、それだけが、悠介の本音だと思っていた。

「悠介は……。どう思ってるんだろう。死んじゃう事。」

「……。わかんない、でも、どうなんだろう?悠にぃって、良くも悪くも感情が希薄だと思うから……。」

 死に対する概念、そして、そこに向かっていくという事。

 浩介達がいつかは経験するのであろう、そして今、悠介と共有出来ない、その感情。

 共有出来ない苦しみ、そして悠介の苦悩を、二人は知らずにいる。

 悠介は、まるで死を受け入れている様に見える、死ぬ事など、些末な事なのだと、そう思っている様にすら見える。

 だから、わからない。

 悠介が何を思い、そして何を願っているのか。

「もしかして、手紙に何か書いてたりしてね。」

「……。でも、今は読みたくないんだ。読んだら、悠介が死んじゃう様な気がするから。」

 それは、最期の気がかりとも取れるだろう。

 悠介の気がかりを残しておく事で、悠介が死ぬのを一日でも遅くしたい、と言う願い、願掛けの様なものだ。

「悠にぃが浩にぃになんて言いたいのか、知っておいた方が良いんじゃない?」

「でも……。でも、駄目な気がする。それは、今じゃないと思う。」

 浩介は頑なだ。

 悠介の事を頑固と思っていたが、似たもの同士なのだろう、浩介も中々に頑固だ、と悠治は思っていた。

 お互い、想いあっていて、互いの為に行動しているはずなのに、それがいまいちかみ合っていない。

 昔からだから慣れているが、ここまで来てそれは悲しい、とも思ったのだろう。

「悠にぃが本心を文章に載せてる気がする、って浩にぃ言ってたでしょ?なら、手紙には、本当の想いを書いてるんじゃないかなぁ。」

「でも……。」

 浩介は、怖がっている。

 本当に、これが最期の心残りだったら。

 手紙を読んだ事を悠介が知ったら、悠介が死んでしまう。

 それは嫌だ、まだ一緒にやりたい事が沢山ある、と涙目になる。

 そんな浩介を見て、悠治は困った顔をする。

 浩介が泣く所、と言うのもあまり見た事がない、良き兄であった浩介が、泣くというのは、不思議な感覚なのだ。

「もう少しだけ、待ってみたい。もしかしたら、癌が治るかもしれないって、僕が信じなきゃ駄目だと思うから。」

「……、わかった。」

 浩介の頑固さは良く知っている、それはそれは頑固頭である事も。

 だから、悠治は考えた結果、それ以上をいう事を止めた。


「痛いな……。」

 夜中、痛みで目が覚める。

 もう、長くは持たないだろうな、余命三か月って言われてから十日位経ったけど、意識を保っていられる時間は、あとどれ位残されているんだろうか。

「……。」

 体を起こして、少しだけ考え事。

 浩介の事、悠治の事、これからの事、これまでの事。

 これから先、俺がいなくても浩介と悠治はやっていけるだろうか、俺がいなくなった後、寂しがって何も出来ないなんて事にならないだろうか、天寿を全う出来るのか。

 そんな事を考えてると、ぽろぽろと涙が零れてくる。

 ホントは、もっと生きていたかった、もっと一緒に、浩介と、悠治と、一緒にいたかった。

 もっと色々な事を一緒にしたかった、小説を書きながら、色んな想いを伝えたかった。

 でも、それは叶わない願い、求めてはいけない願望だ。

 だから、俺は今出来る事をする、今しか出来ない、生きてるうちにしか出来ない事を。

 そう決めたんだ、そうするって決めたんだ。

 もう、残り時間は少ない、俺に遺された時間は、ほんの少しだけだ。

 だから、やりきらないと。

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