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「お前はもう必要ない」と捨てられたヒーラー、魔王軍に拾われたら唯一の回復役として溺愛が止まらない  作者: 月代


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第2話 魔族には回復魔法がない


 目を覚ましたら、天井が黒かった。


 石造りの部屋。窓は小さく、朝日が細い帯になって床に落ちている。

 硬いが清潔な寝台。毛布は獣の毛皮で、少し獣臭い。

 ここが魔王城——の、一室らしい。


 昨夜のことを整理する。


 ルシェラに手を引かれ、灰の荒野を歩き続けた。

 途中、大型の騎乗魔獣が待機していた。

 馬よりも二回りは大きい、鱗に覆われた四足獣。

 空は飛べないが、荒野の岩場を信じられない速度で駆ける。

 その背に二人で乗り、夜明け前に城の門をくぐった。


 門番の魔族兵が、俺を見て槍を構えたのを覚えている。

 ルシェラが片手を上げると、兵は黙って道を空けた。


 それから部屋に案内され、倒れるように眠った。


 ——で、今に至る。


 体を起こすと、全身が軋んだ。

 昨日の回復魔法と徒歩の疲労が残っている。

 だが動けないほどじゃない。


 扉が叩かれた。


「起きた? 入るわよ」


 返事を待たずにルシェラが入ってくる。

 昨夜と同じ黒い軍服。ただし髪を後ろでまとめていて、少し印象が違う。


「朝食を持ってきたわ。食べながら城を案内する」


 木の盆に載っていたのは、黒いパンと干し肉、それに赤い果実。

 見たことのない果実だったが、口にすると甘酸っぱくて悪くない。


「美味いか?」

「……美味い」

「そう。なら良かった」


 ルシェラは壁に寄りかかり、腕を組んで俺が食べるのを見ていた。

 監視、というより——何だろう。

 珍しいものを観察している目、に近い。


 ◇


 城は、俺の想像を大きく裏切った。


 魔王城と聞いて思い浮かべていたのは、暗く陰惨な砦だ。

 壁に骸骨が飾ってあって、廊下に血の跡があって——そういう場所。


 実際は違った。


 確かに壁は黒い岩で出来ている。

 だが廊下は広く、等間隔に松明が灯り、床は磨かれている。

 すれ違う魔族たちは、種族も姿も様々だった。

 角のある者。翼を持つ者。尾を揺らす者。

 中には人間とほとんど変わらない外見の者もいる。


「ここが食堂。朝と夕に開く。昼は各自で」


 ルシェラが指さした広間では、長机に魔族たちが並んで食事をしていた。

 笑い声が聞こえる。

 誰かがパンを投げて、別の誰かの角に当たり、怒鳴り声と笑いが混ざる。


 ……冒険者ギルドの食堂と、何が違うんだ。


「そして——ここよ」


 ルシェラが足を止めたのは、城の東棟。

 扉を開けた瞬間、薬草の匂いが鼻を突いた。


 医務室だった。


 だが、その惨状に息を呑んだ。


 簡易寝台が二十ほど並んでいる。

 そのほぼ全てに、負傷した魔族が横たわっていた。

 包帯で巻かれた腕。添え木で固定された脚。高熱で呻く者。

 そして——明らかに、処置が間に合っていない。


「これは……」


「魔族には回復魔法がないの」


 ルシェラの声は淡々としていた。

 だが、その目は寝台の上の兵士たちに向けられている。


「攻撃魔法、強化魔法、幻術。魔族の魔法体系にはいくつもの系統がある。けれど傷を癒す魔法だけは、存在しない。千年の歴史で一人も発現しなかった」


 俺は医務室を見渡した。


 棚にあるのは薬草の束と包帯。

 煎じ薬の壺がいくつか。

 それだけだ。

 魔法による治療器具は、ひとつもない。


「だから、あなたを連れてきた」


 ルシェラが俺を見た。


「エイル。ここで、あなたの力を使ってくれないかしら」


 一瞬、迷った。


 ——が、迷いは一瞬だった。


 目の前に傷ついた者がいる。

 昨日と同じだ。

 俺の手は、傷を見ると光ってしまう。


「配置を教えてくれ。重症者から診る」


 ルシェラの目が、ほんの少し見開かれた。

 それから頷いて、最奥の寝台を指さした。


「あの子から。三日前の偵察で左脚を砕かれた。切断するしかないと言われている」


 俺は寝台に歩み寄った。

 若い魔族の兵士だ。小さな角が額に二本。

 灰色の顔に脂汗が浮いている。

 左脚は添え木と包帯で覆われているが、その下は——ひどい状態だろうと分かった。


 包帯を外す。

 周囲の魔族たちが身を乗り出した。


 粉砕骨折。

 膝から下の骨が三箇所で折れ、筋肉も裂けている。

 放置されていたせいで炎症が広がり始めていた。


 俺は右手を患部にかざした。

 紋章が光る。

 温かい光が手のひらから流れ出し、砕けた骨を包んだ。


 骨が繋がる振動。

 筋繊維が再接合される感触。

 炎症が引いていく。


 二分ほどで、処置が終わった。


 寝台の上の兵士が目を見開いた。

 恐る恐る左脚を動かし——そして、声を上げた。


「脚が——動く。痛くない。嘘だろ……?」


 医務室が、静まり返った。


 そして次の瞬間、爆発したように声が上がった。


「おい、見たか今の!」

「骨折が治った——包帯も巻いてないのに!」

「あの人間、何をした!?」


 ルシェラが片手を上げると、騒ぎが収まった。


「順番に診てもらうわ。列を作りなさい」


 命令口調だが、声には微かな温度があった。


 それから、俺は片端から治療した。


 裂傷。火傷。骨折。感染症。

 人間も魔族も、傷の構造は驚くほど似ている。

 治し方は同じだ。

 手をかざし、光を流す。それだけ。


 十二人を治療したところで、膝に来た。

 回復魔法は術者の体力を食う。当然の反動だ。


「休みなさい」


 ルシェラが椅子を持ってきた。


「無理をされて倒れられたら意味がないわ。明日もあるのだから」


 明日も。

 その言葉が妙に嬉しかった。

 明日も、俺がここにいることが前提の言葉だったから。


 椅子に座り、出された水を飲んだ。

 医務室を見渡す。


 さっきまで呻いていた兵士たちが、包帯の下の傷跡を見せ合っている。

 嘘みたいだ、と笑っている。


 一人の兵士が俺の前に来た。

 先ほど脚を治した若い魔族だ。

 松葉杖なしで立っている。


「あの——ありがとう、ございます」


 たどたどしい人間語だった。

 たぶん、必死で思い出しながら喋っている。


「痛くないか?」

「はい。全然。——あなたは、すごい」


 そう言って、深々と頭を下げた。


 俺は何と返していいか分からなくて、ただ頷いた。


 三年間、勇者パーティで治療を続けた。

 礼を言われたことは、ほとんどなかった。

 回復は当然の役割で、出来て当たり前。

 むしろ遅いと怒鳴られた。


 ここでは違う。


 この一言だけで——ここに来て良かったと、少し思った。


 ◇


 夕方。


 割り当てられた部屋に戻り、寝台に倒れ込んだ。

 体は重いが、気分は悪くない。


 窓の外に赤い月が見える。

 昨夜、荒野で見たのと同じ月だ。


 一日で世界が変わった。


 俺は魔族の城にいて、魔族の傷を治して、魔族に礼を言われた。

 勇者に捨てられた回復術師が、敵の城で「すごい」と言われている。


 ——笑えるな。


 だが、悪い気はしなかった。


 ふと、廊下の向こうに気配を感じた。

 扉の隙間から覗くと、誰かの影が角を曲がるところだった。

 小柄な影。ローブの裾が揺れたように見えたが、暗くて判然としない。


 気のせいだろうか。


 疲労で感覚が鈍っているのかもしれない。

 俺は窓を閉め、寝台に戻った。


 明日もここで治療をする。

 その事実が、不思議と心地よかった。


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