七 男達のあれこれ
浜川さんの家からの帰り道。川崎と別れた後、踏切が開くのを待っている間、スマホに電話がかかってきた。着信は綴人からで、出ると端的にこう聞かれた。
『今から俺んち来られるか?』
「いいけど、どうして?」
『明日葉を引き取ってほしいんだ』
全く話が見えてこないので、俺は電話に出続けながら綴人の家へ向かうことにした。
道中分かったことは、綴人と明日葉が殴り合いをして、綴人が自分の家で明日葉を介抱しているのだが、一向に帰ろうとしないらしい。
やはり全く何が起こっているのかわからないまま綴人の家に行くと、彼の住むマンションの部屋の扉を開けて出てきたのは、なぜか明日葉であった。
「おっす。栄治も泊まるのか?」
明日葉はいつもと変わらない様子で、本当に殴り合ったのかと内心疑ってしまった。
「とりあえず上がるね」
何度か訪れた綴人の家は昔と何も変わらず、とにかく物が少なかった。
玄関を上がってしばらく直進してから右手に見える二つ目の扉が綴人の部屋なのだが、道中あった家具といえば靴箱と靴だけだ。
今いるところは廊下だからと自分に言い聞かせながら部屋の扉を叩いて、綴人の返事を聞いてから開けた。
見えたのは、押し入れ、勉強机、のみ。やはり物が少ない。
綴人の様子を見ると、彼は怪我をしている様子はなく、俺の登場に安心したように表情を緩めていた。
「相変わらず物が少ないね」
「全部クローゼットの中に入ってるだけだよ。それより、明日葉を説得してくれないか?」
俺の後ろにいた明日葉に聞こえるようにわざと大きな溜息をつきながら綴人は言った。
「とりあえず、状況を詳しく教えてくれない?」
この問いに答えてくれたのは、人の家だというのに明らかに気の置けない様子で綴人の部屋の床に座った明日葉だった。
「まず、俺と和香、平昭はいま付き合っています」
知ってた。だが驚かないのもいかがなものかと思ったので、「へえぁ、ああ」という微妙な反応をしておいた。
しかし、名前呼びですかそうですか。
「次にいっても?」
やや固まっている俺に対し明日葉が尋ねてきたので、「どうぞ」と答えておいた。
「それで、ややあって、和香と綴人が連絡を取り合っていることを知ったんだ」
「それで?」
「連絡していること自体は別にいいんだけど、綴人が女子と連絡してるなんて珍しいだろ? だから綴人に理由を聞いてみたんだ」
俺は綴人が明日葉の彼女である平昭さんのことが好きであることを知っていたから、修羅場になることは容易に想像ついた。
「そしたらなかなか答えなかったんだけど、時間かけたらついに和香に片想いしてることを話してさ。親友なのにどうして話してくれなかったんだよって、俺が綴人を殴った」
「それで喧嘩に?」
俺がやや呆れながら尋ねると、意外なことに明日葉は「いいや」と首を横に振りながら言った。
「綴人がなんにもしてこないから、『親友なら殴り返してこいよ』って言ったら綴人に一方的にやられた」
「それは語弊がある。俺は一発しか殴ってない」
綴人が間髪入れずに反論を言うと、明日葉は「冗談だって。ちょっとした誇張だよ」と言って笑った。
「綴人の言った通り、俺は一発でノックアウトされて、こいつの家で介抱されてた」
一通りの説明を聞いたようなのだが、やはりいま一つわからない。
「えっと、二人の間では問題はもう解決したって認識でいいのかな?」
「いいや、解決してない」と明日葉。
「そもそも問題なんてない」と綴人。
「俺も平昭との関係を黙ってたし、やっぱり友達との間に隠し事があるのが良くないんだ。だから夜まで語り明かしたいんだよ。それで泊っていいかって聞いたら、綴人が嫌だって」
「いや、お泊り会そのものは別にいいけど、時期的に今は嫌だって言ったんだよ。テスト前だし勉強しなくちゃ」
話を聞く限り、どうやら明日葉は綴人との友情に対して危機意識を持っているのに対し、一方の綴人は仲の良い友達だからこそのお泊り会という程度の感覚しか持っていないようだ。
そもそも当初の問題である明日葉、平昭さん、綴人の三角関係は最早自然に解消されているという認識で大丈夫なのだろうか。少なくともそれは一切問題になっていないみたいだが。
「俺的には、夜お互いの家で勉強しながらスマホで通話するのがいいかなって思うんだけど?」
それほど深刻そうな問題でもないのでそんなひねりのない解決法を提案すると、綴人は「じゃあそれで」と言い、明日葉は「まあ、今はテスト期間だしな」と少し残念そうだった。
どうやら第三者が入ればすぐに決着がつく問題だったようで、俺はそのまま明日葉を家まで送ることになった。
道中、明日葉は心配そうに俺に尋ねてくる。
「綴人って、和香に告白したのかな?」
彼の知りたいことは、自身と平昭さんが交際していることが、綴人が平昭さんへ想いを伝えることを邪魔しているのではないか、ということだろう。
残念ながら俺はその答えは知らない。
でも、綴人ならきっとこう答えるだろうとはすぐに予想がついた。
「告白したかどうかはわかんないけど、納得はしているんだと思うよ。俺には平昭さんに片想いしていること教えてくれたし」
「はあ? 俺には何にも言ってなかったのに。ずるい」
「どうせ今夜いっぱい話すんだろ」
「栄治も一緒に話そうぜ?」
「ええ。どうしようかな」
殴り合いの過程は恐らく全く必要なかっただろうが、正面から向き合うことが明日葉と綴人の問題を解決の方向へと導いた。
川崎と平昭さんだってあるいは。
ふと、そんなことを考えた。
* * * * * *
帰宅後。夕飯までテスト勉強をしようと自分の勉強机に座ると、今日は色々あったなあ、と一日の記憶がふと脳裏に浮かんだ。
そんな折、スマホに着信が入った。綴人からだ。
「もしもし」
『さっきはありがとう。無理言って悪かった』
「いいよ別に。でも、ちょっと安心した。俺の友達同士で修羅場になるのかと冷や冷やしてたから」
『それは心配かけたみたいで。ちなみに、今日の通話、栄治も混ざるか?』
通話とはほぼ間違いなく、明日葉と綴人の仲直り電話のことを示しているのだろ。
「まあ呼ばれたら行くけど、どうして」
そんな受け身な態度を取っていると、電話口から『ああ』と言葉を濁すような声が漏れた。
『俺と明日葉の恋バナって多分そんなに長続きしなくて、それが終わったら後はだらだらと話すだけだと思うんだ。でも栄治が入ると、多分浜川さんのことになる。だから、話し辛いこともあるんじゃないかって』
無意識に忘れようとした泥のような感情が湧き上がってきた。そうだ。綴人には随分と抽象的な疑問をぶつけて困らせていたのだ。
「そっか。そうだよな。・・・・・・ごめん、それだったら、参加は見送らせてもらうよ」
『了解。今日は本当に助かった』
「うん」
電話が切れた後、胸の中の悲しい思いが晴れるように深呼吸をした。
会いたい。
いくらそう思っても、俺は彼女の電話番号を知らない。唯一知る手掛かりは、火曜日と木曜日の夕方に土手に現れることだけだ。
「・・・・・・エミ。どうしたら君に会える」
無意識にぼやいていたらしい。どうやら相当まいっているみたいだ。
どうしてツルミエミと連絡先を交換しなかったのか。いや、連絡先を知っていたところでそもそも今、繋がるのか。
そんなことを考えて、後悔ばかりが募っていく・・・・・・というわけではないみたいだ。
本当に不思議で最悪な話なのだが、この暗い気持ちは、浜川さんと交流している間は表に顔を出すことは無かった。
蓋をしているというべきなのだろうか。それとも、俺は浜川さんをエミの代替物としているのだろうか。
以前は、浜川さんへの好意をエミに向けているのではないか、と悩んでいたというのに、今は、エミがいない寂しさを浜川さんで埋めているのではないか、などという最低な発想に困っている。
自分への嫌悪感と、浜川さんとエミへの罪悪感を募らせながら、ふと、どうしようもないことを考えた。
二人が、同一人物であったら良かったのに、と。
* * * * * *
後ろめたい感情を抱えていても、朝日が昇れば、俺は浜川さんに会うために、そう、朝練のためではなく彼女に会うために開門前の校門にやってくる。
良くないという気持ちはあっても、一時の快楽のためにやめることができない。これが中毒というやつなのだろうか。
ふと、耳慣れた声で自分の名前が呼ばれた。声のする方を向けば、彼女の何も知らない笑顔が待っている。自分は、彼女を裏切っている。
幸福に満ちた朝の時間が終われば、孤独と苦痛に満ちた朝練の時間が始まる。テスト期間中なので本来朝練は中止なのだが、先生も咎めてこないので俺はこっそり行っている。綴人が来てくれるかはまちまちで、むしろ来ないことの方が多い。
広すぎる体育館で一人、シュートを打ち続ける。一つしかないドリブルの音が、開けた視界が、何よりも苛立ちを募らせた。むしゃくしゃしてできもしないダンクをするために飛び上がり、ネットの一番下の位置にすら届かないボールを着地する前に地面に思い切り叩きつけた。
床に跳ね返ったボールが顔面に当たりとてつもない痛みを覚えたが、肉体の痛みに悶えるわずかな間だけは心の痛みを忘れることができた。
朝練が終わると教室へと向かった。いつもの教室だったが、昨日と今日では、少しだけ違って見えた。
平昭さんと川崎。二人の微妙な距離感。どちらも、互いが自分の視界に入らないような位置で、川崎は明日葉、尻手と、平昭さんは浜川さんと話していた。
その日の休み時間。明日葉と尻手がトイレに行き、俺と川崎の二人が残されている隙に、俺は川崎に昨日思いついたことを話してみた。
「腹を割って話す?」
彼の声には、若干だが非難の色が混じっていた。
「なんか、通話とか、それこそ昨日の勉強会みたいな感じで、ちょっとした機会に話してみるのはどうかなって」
こんな風に彼に話していて思ったのだが、どうして俺は川崎と平昭さんの関係修復を望んでいるのだろうか。友達として当然? いや、そうではない。俺は二人の関係が改善することになった功労者として、自己肯定感を高めたいだけなのだ。
そう考えた瞬間、川崎と話すのが気まずくなってしまったためか、彼が「難しいかな。電話番号は知らないし、勉強会は多分、浜川さんの都合でもうできないし」などと話しているうちに明日葉と尻手が戻ってきたためか、それ以上川崎に平昭さんとの関係改善の話を振ることはなかった。
その日の放課後。テスト期間でなくとも普段から部活動のない夕方。エミは今日も、土手には現れなかった。
家に帰り、夕飯を食べ、勉強をし、お風呂に入って、布団に潜り、そして眠れなかった。目を瞑って、夢の中か想像の中かはわからないが、頭の中に浮かぶ土手の映像の中に、どこにもエミの姿がなかったのだ。
だからと言って、どうすることもできない。
やがて朝が来て、一時の気の休まりのために開門前の学校に向かった。朝練の孤独な時間で罪悪感に襲われ、頭を空にできていたはずの教室での友人達との会話も、なぜか疎外感を感じていた。放課後、無意味とわかっていても家を出て走り出し、待ち人が来るはずもない土手で日が暮れるまで過ごした。やはり今日も、孤独な映像が布団の中で浮かんだ。
そうして朝が来て、学校に向かった。朝練をして、教室では会話の端に紛れた。放課後、今日も彼女は来なかった。そして夜、孤独に震えた。
朝が来て学校に行く。朝練に行き、教室に向かう。放課後、土手で一人。夜。
ようやくやってきた休日に、なぜか「学校、行かなくていいのか」と考えていた。そうはいってもテスト勉強はせねばならない。
寝不足の頭で計算問題を解いていると、玄関でベルが鳴った。
休日は朝遅くまで寝ている両親に代わって応対すると、扉の向こうに立っていたのは、綴人だった。
「おはようさん」
「おはよう。どうしたの?」
「ちょっと散歩しない?」
勉強に乗り気ではなかったということもあり、俺は綴人に付いてぶらぶらと歩いた。彼はどこに向かうか明言しなかったが、車通りの少ない静かな道ばかり選んでいた。
「最近朝練行けなくてごめん」
「謝ることじゃないでしょ。本当は中止なんだし」
「でもさ、やっぱ顔合わせないとわかんないこともあるじゃん。・・・・・・栄治。お前いま相当顔色悪いぞ」
綴人に言われてはっとする。いま自分はどんな顔をしているのだろうか。
人に心配をかけてしまった。
しかし、綴人とここ三日近く会ってはいない。どこかで偶然俺の顔を見かける機会があったのだろうか。
「なんと言うか、ホットライン? 連絡網? そんな感じのがあるんだよ。浜川さんが栄治のことを心配して、そのことを平昭さんに話し、そして俺に回ってくる、みたいな」
「心配かけてごめん」
ふと、平昭さんのことで彼を傷つけてしまったことを思い出す。自分が辛い時ばかり綴人に頼っていて、彼を都合よく利用している自分に嫌悪感が湧いてきた。
「俺的には平昭さんと話す口実ができてラッキーくらいの感じなんだけどな」
嘘か真か。彼を責める口実を見付けると、少しだけ気持ちが楽になる。きっと、綴人はわざと言葉にしてくれたのだろう。
「なんかあった?」
また例え話をしようかと思った。でも、口は勝手に真実を話した。
「実はさ・・・・・・」
そんなありふれた語り出しから、ツルミエミの存在と、浜川さんとツルミエミの間で気持ちがぐちゃぐちゃになっていることという、恐らく彼にとっては予想外の話をした。
俺が話し終えると、綴人は驚いた様子で「そんなことが」と呟くと、自分の中で考えを整理するためにしばらく沈黙していた。
やがて口を開いても、歯切れ悪く言葉を紡いでいた。
「なんだか、すごく奇妙なことになってるみたいだな」
「奇妙、か。確かに」
世界に同じ顔の人は三人いるとはいわれても、俺一人が二人に関われるほど近くにいることとはきっと、相当珍しいのだろう。
しかし、これまた不思議なことに、ただ話しただけだというのに、胸のうちが少しだけ軽くなっていた。
「すまんな。想像以上の話で、これといったアイディアも思いつかない」
「聞いてくれただけで充分嬉しい。ありがとう」
「いや、それならいいんだが・・・・・・」
綴人の困ったような様子に、俺は「どうかしたの?」と聞いてみた。
「いや、平昭さんに説明を求められた時、なんて答えればいいのかわからなくて」
「確かに」
同級生が、自身の親友と、親友のそっくりさんとの間で、恋心と罪悪感に悩んでいる、などという話を聞かされても、平昭さんはきっと目が点になるばかりだろう。
この話を聞かされた時の彼女の反応を想像して、俺は思わず笑ってしまった。釣られて、綴人も笑っていた。
笑いが収まった後、綴人は優しい顔で言ってくる。
「これだけは言えるけど、前にリンゴの話で言ったみたいに、自分のとある気持ちが他の気持ちに影響を受けていても、全然気にすることなんてないんだからな。むしろ、人間としてはそれが普通なんだから」
「うん。ありがとう」
その日は、久々にしっかりと眠ることができた。




