十二 難解な恋愛を簡潔にする完璧な論理
翌日。一体どうやって俺の家の場所を知ったのか、一体どうして咲が俺の家にいることを知ったのか、全くわからないが、咲のお母さんの秘書である扇町さんが俺の家を訪ねてきた。
もしや咲の家の扉の鍵が開いていたのは彼女が仕組んだことなのではないだろうか。などと過剰に性急な結論に至りもしたが、咲を父親のもとへ連れていくという彼女の言葉を咲は信じたようで、俺は彼女を見送ることしかできなかった。
そのまま咲と会うことなく時は過ぎ、気付けば、夏休み最終日となっていた。
部活もなく、宿題も全て終わらせ、友人達はやり残した課題に追われているために遊び相手がおらず、日がな一日、自分の部屋でごろごろと寝転がっていた。
暇というものは、否応なしに人を思考の沼に追いやるようで、俺は浜川咲と、川の土手で密会していた彼女と瓜二つの少女のことを考えてしまっていた。
綴人の推理が、二人が同一人物であるという可能性を消し去ってしまった。
残されたのは、二人が完全に別人であるという可能性だけだ。咲には姉妹や従姉妹もいないようなので、二人は赤の他人、ということになるのだろう。
だが、姿も、声も、手の感触も、何もかも一緒、そんなことが、果たしてあり得るのだろうか。
俺の頭の中には、非現実的な考えばかりが浮かんでいた。もしかしたら、咲は二重人格なのではないか。もしかしたら、咲の生霊なのではないか。もしかしたら、平行世界の咲なのではないか。
例えそのような空想のどれかが真実であったとしても、俺の慰めには少しもならなかった。
一番あり得そうな二重人格という可能性でさえ、二人が別人であると認識してしまっている俺にとっては、咲にもう一人の記憶がない時点で救いなどなかった。
だが、そういう妄想をすると、しばしば自分の救いを求めて見付かってもいない可能性に縋り付きたくなってしまうのだ。
そう。例えば、二つの人格が統合されたり、二つの人格が持つ記憶が共有されたりすることを。
あることをすれば、記憶を取り戻す。何かをすれば、もう一つの人格が目覚める。こうこうして、二つは一つになる。
仮にそれらの方法がわかったとしても、今の咲との関係を粉々に砕きかねないことであることは、具体的な方法など知らずとも容易に想像することができた。
また例え俺が想像できないほどご都合主義な展開が起きて全てが上手くいったとしても、そうして残った少女は一体誰なのだろうか。浜川咲か。それとももう一人の少女か。はたまた、どちらとも違う存在なのか。
だからそういった空想は全て捨て去って、俺はただ目の前の現実について考えなければならなかった。
初めは咲への想いをもう一人に投影していたかと思えば、いつの間にかもう一人への想いを咲へと投影していた。間違いなく別々の人間であるのにもかかわらず、俺の中で二人の少女への想いは、完全に分割するほどができないほど巧妙に組み合わさっていた。それこそ、組み合った二つの手のように。
だが、今ある気持ちに何らかの区切りを付けることがなければ、きっと、俺は咲と手を繋ぐ度に、天上の喜びを感じながら、地獄の沼へと身を沈めていくことになるだろう。
やがて顔まで沈み、息のできぬまま確実に衰弱していくのだ。
もしその時が来たら死ねばいいなどと思えるほど、俺は頑丈な心を持ち合わせてはいなかった。今すぐ綴人に縋り付きたいし、今すぐ尻手に土下座をしたい。そういう発作に駆られるほど、浜川咲ともう一人の少女、二人への想いに考えを巡らせることは苦痛だった。
もしも、初めから浜川咲のことが好きだったという確信があったならば、きっとこれほどまで悩むようなこともなかったのだろう。
ほんの少しのタイミングのずれで、俺はいつも大きな過ちを犯している。もっと早く、浜川咲に恋をしていれば、もっと早く、もう一人の少女に想いを伝えていれば、これほどまでに苦しむこともなかった。
いや、そんなことは言い訳で、浜川咲への想いを強くしたのはもう一人の少女と出会ったからで、また例えもう一人の少女に対し自分が想いを告げていたとしても、彼女がいなくならなかったという保証はどこにもない。
だけど、もしかしたら。
そう、何度も、何度も後悔している。
こういう心情の時、いつも考えてしまう。もしも、人生をやり直せたならば、と。
だが、同時にこうも思うのだ。例えやり直すことができたとしても、自分は同じ失敗を繰り返してしまうのだろうと。
仮に時間を自由に巻き戻せることができて、今ある全ての記憶を過去に持っていくことができたとしても、その瞬間自分が選ばなかった相手のことがいつまでも自分の心の中に残り続け、本当はもう一方の相手のことを好きだったのではないか、という問いに一生縛られ続ける。そんな確信があった。
何かを選ばないといけない時に必要なのは、後悔を受け入れられるほど強い確信だ。そしてそれを与えてくれるものは、自分の意識とか思い込みが生み出したまやかしのものなどではなく、自覚した瞬間に思わず涙があふれてきて、ああ本物だ、と自然に気が付いてしまうような真の感情なのだ。
しかし、俺はそういった真の感情というものを感じたことがない。自分の中にある嬉しいとか悲しいとかいう気持ちが、本当に自分の中で生まれたものか、それとも周囲の状況や置かれている話の流れによって強制的に作り出されたものなのか、ちっともわからなかった。
そう。いつもいつも、自分の気持ちが本物なのかわからなかった。だから夢だったり、根拠のない助言だったりを用いて、自分の気持ちが本物であるという証拠を欲していた。誰かに、あなたの気持ちは本物ですよ、と認めて欲しかった。
そういう意味で、綴人は非常に都合が良かった。彼は俺の気持ちを肯定してくれた。自分の気持ちを信じられるようになるために、彼の友情をとことん利用した。自分の気持ちを暴かれたくないから、事情を知らなければわからないような抽象的な質問を押し付けた。しかし本当に駄目そうになった時には、自分の気持ちを彼に吐き出した。綴人だって平昭さんや明日葉のことで悩んでいたはずだろうに、一方的に俺は自分の悩みを押し付けて、少しも彼の悩みを受け止めて一緒に考えようとはしなかった。
尻手に対してもそうだ。俺は浜川さんとの関係を断ち切ろうとはしなかった。もう一人の少女に気持ちが傾いていっても、彼女から向けられる好意に薄々気が付いていて、その快感に浸りながら、彼に対してある種の優越感を覚えていたのだ。それでいて彼に怒りをぶつけられた時には、綴人に助けてもらって、その上彼を見下すような形で同情していた。自分もああなるかもしれないと、そんな風にはなりたくないと、人として堕ちたくはない領域にいる人間だと見ていた。
そうやって散々友達を利用していた一方、咲や明日葉、川崎の前ではさも善人ぶった素振りをしていた。どうして家から懐中電灯を持ってきた? 称賛されたかったからだろう? どうして公式戦の後に食事を奢ったりした? 綴人に頼っているくせに自分も人を思いやれる人間だという振りをして良く見られたかったからだろう? どうして平昭さんと仲直りするように助言を施した? 他人を思い通りに操って、他人が救われたような顔をしているのを眺めるのが気持ちよかったからだろう?
どれもこれも最低な理由だ。自分が苦しんでいることを言い訳に、他人の人生を貪り食っているのだ。
そして、浜川咲ともう一人の少女。顔や姿、声が同じだからといって、片方への好意をもう片方へと投影しあって自分が恋をしているなどと勝手に思い込み、二人が別人だとわかってからだって、浮気性だなんだと自分を罵りながらどちらか片方へでも通うことを止めようとしなかった。
二人の美少女から浴びせられる好意が気持ちよかったから自分の気持ちに気付かない振りをして甘い汁を吸っていたのだ。
薄々気付いていた。自分が好きな相手は浜川咲ではないと。でもその感情から目を背けて毎朝彼女と会っていた。他の誰もできない自分だけが彼女を独占する時間が何よりも気持ちよかったのだ。でもそれは一番大切な時間じゃなかった。もう一人の少女と土手で会う時間の方が何倍も大切だったのだ。俺はそれを知りながら浜川咲へと会っていた。彼女からの好意に応えることなく保留していたのだ。
だから、因果応報というやつかもしれない。もう一人の少女が土手に来なくなったのは、俺が隠していたそういう腹黒いものが見えていたのかもしれない。人を散々利用した挙句、自分の好意に気付いていながら浜川咲との好意と一緒に天秤にかけている俺の内なる邪悪に気付いてしまい、自分の抱いていた想いが本当につまらなく意味のないものだと気付いてしまったのかもしれない。
そうしてもう一人の少女と会えなくなってから、俺は浜川咲への依存を止めなかった。もう一人の少女への想いを自覚していながら、自分の傷を癒すために浜川咲を、彼女の好意を利用できるだけ利用したのだ。ついには思い出を塗りつぶすとかいって、もう一人の少女を諦める理由を全て浜川咲に押し付けた。彼女をとことん弄んだ挙句、彼女に自分を救ってもらおうとしていたのだ。
その上、俺はもう一人の少女の存在を無かったことにしようとしている。「もう一人の少女」などと呼ぶことで名前を思い出さないようにし、浜川咲を利用してもう一人の少女との思い出を上書きした。自分の頭の中から、もう一人の少女が存在した全ての情報を消去して、初めからそのような女の子がいなかったことにして、いま自分を襲っている苦しみから逃れようとしている。
果てには、今、俺の頭の中に、その馬鹿げた発想を実現する考えが浮かんでしまった。自分の記憶を自分で書き換えて、自分自身に嘘をついて、自分自身をだまし切れるのならば、そもそも初めから、出会った瞬間から、浜川咲に対してだけずっと好意を抱いていたことにしてしまえばいいのだと、悪魔のような、されど、確かに自分をこの苦しみから救済してくれる考えに辿り着いてしまった。
自分は出会った瞬間から浜川咲のことが好きで、それが初恋であったから彼女と口付けを交わす自分が上手く想像することができず、もう一人の少女を浜川咲の積極的な人格だと思い込んで、浜川咲へ抱いていた恋心をもう一人の少女に向けていたものだと思い込み、そしてもう一人の少女がいなくなった今、ずっと隠し続けてきた好意を自覚して、浜川咲のことが好きだと思うことができるようになった。
もし最初から浜川咲のことだけが好きであったならば、俺が彼女と手を繋ぐ度に湧き上がる想いも、全て浜川咲に対してだけのもので、そこには罪悪感や自己嫌悪といった苦しみを挟む余地など一切なく、無条件に自分に至福の喜びを与えてくれるものになる。そもそも思い出を塗りつぶすなどという馬鹿げた行いをしたわけではなく、ただ認識を改めただけ、真実を発見し理解し直しただけということになるのだ。
そして俺の中に渦巻くありとあらゆる苦しみの全てをもう一人の少女に押し付けて、彼女と彼女にまつわる全ての思い出の価値を無に帰して、自分の中でゴミくず以下の価値へとなり下がったそれらを脳の片隅に追いやって、今後一切思い出すことのないまま、かつてそれらの廃棄物が存在していた場所に浜川咲との思い出を、出会いから構築し直して、あらゆる過去など存在せず、全てが幸福でしかなかったという事実だけを永遠に残し続けるのだ。
つまり、俺は運動していない日に体にかゆみなどを覚えたことはなく、そのために部活のない日でも川の方に走ったことなどなく、土手で同年代の少女とキャッチボールなどしたことはなく、追い駆けっこをして手を握り合ったことなどなく、初めてに名前で呼び合った場所は土手などではなく、自転車で二人乗りをしてその川を越え都会に行ったことなどなく、浜川咲との「出会い」は一年前の秋に懐中電灯を渡した時で、その時の記憶を無意識のうちに抱えたまま彼女の存在を無意識の中で意識しつつ高校二年生の四月に「再会」して、彼女と毎朝会うようになって、勉強会をして、口付けをされ、恋をして、夏休みに一緒に川沿いを散策して、花火大会に一緒に行くことは出来なかったが「初めて」好きな人と手を繋いで、「初めて」名前を呼び合う仲になった。俺と浜川咲を繋ぐものは紛れもない運命で、そこに対して他の何者も介在したことはなく、ただ幸福な瞬間だけがあり続けたのだ。
そうだろ?




