中編 美人女流棋士、ストーカーの目星をつける
「人気者って大変なんですね」
莉央は画面を見つめたまま、しみじみと言った。
友人とのやり取りを除外しても、残ったIDは百を優に超えていた。捨てアカウントから送られたDMも含まれているとはいえ、相当な数だ。純粋なファンレターもあれば、誹謗中傷や、読むだけで気分が沈むようなメッセージも混じっているに違いない。
「これ、全部読むのは面倒だから、AIに投げてもいいですか? 個人情報をAIに渡すのが心配ならやめておいて、別の方法を使いますけど」
莉央はそう尋ねてから、リサの返事を待った。自分の作業を効率化することよりも、本人がどう感じるかを優先しているらしい。
「大丈夫です。お願いします」
「了解です」
莉央は再びキーボードに向かった。
先ほど友人とのやり取りを除外したJSONファイルを、AIによる分析にかける。各アカウントから届いたメッセージをもとに、内容の傾向や、相手がどのような意図で連絡してきているのかを分類させるのだ。
出力されたファイルには、アカウントごとに分析結果が記録されていた。
分類は、誹謗中傷、ファンメール、いわゆるガチ恋、怨恨、マルチ商法など、いくつかのカテゴリーに分かれている。さらに、それぞれのアカウントについて、ストーカー的な言動の兆候がどの程度見られるかを、三段階で判定させていた。
レベル一は、特に目立った兆候が見られないもの。レベル二は、ストーカー的な傾向が一部に見られるもの。レベル三は、そうした傾向が比較的強く疑われるものだ。
莉央は出力されたファイルを確認すると、コマンドプロンプトに戻り、先ほどのJSONファイルと分析結果を統合した。
画面上では、無数のメッセージがアカウントごとに整理され、それぞれの特徴を示す情報が付け加えられていく。
「この人たちは、リサさんのファンですね」
莉央は画面をスクロールしながら言った。
「せっかく応援してくれているんですから、心を痛めるような内容でなければ、読んであげてもいいと思います。ただ、ストーカー気質の判定もAIにやらせているので、レベル三の人は、ファンであっても少し注意したほうがいいかもしれません」
「AIが、そこまで分かるんですか?」
「いえ、そこは過信しないでください。文章の特徴から、それらしい傾向を拾っているだけです。本人が本当に危険な人物なのか、実際にストーカー行為をするのかまでは分かりませんから」
莉央は念を押すように続けた。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦、くらいに考えておいてください。これは、あくまで調べる順番を決めるための目安です」
リサは、画面に並んだIDと、その横に付けられた分類を見つめた。
これまで、ひとまとめにして考えるしかなかった大量のDMが、少しずつ別々の顔を持ち始めている。
ただのファンなのか。自分に悪意を向けているのか。それとも、応援という言葉の陰に、別の感情を隠しているのか。
まだ答えは出ていない。
それでも、何から調べればいいのかさえ分からなかった先ほどまでとは、状況が変わり始めていた。
「問題は、レベル三の人たちですね。ソートすると……十五人います」
莉央が画面を操作すると、ストーカー気質のレベルが三と判定されたアカウントが一覧の上位に並んだ。
「意外と多いんですね?」
「当たるも八卦、当たらぬも八卦ですから。AIが怪しいと判断したものを、ひとまず上に持ってきただけです」
莉央はそう説明しながら、一覧を順に確認していった。十五人。数字だけ見れば多く感じるが、百を超えるアカウントの中から絞り込めたのだから、最初の手がかりとしては悪くない。
そのうちの一つに目を留める。カテゴリー欄には「マルチ」と表示されていた。
莉央がアカウントを開くと、情報商材の勧誘らしきメッセージの件名が、画面いっぱいに並んだ。
「うわ、これは……」
メッセージの送信間隔は、ほぼきっかり六時間。しかも、未読件数は千件近くに達している。
「あー、なるほど。ロボットが自動送信してる広告メールまで、ストーカー気質レベル三に判定されてますね」
「そんなこともあるんですか?」
「ありますよ。何度もメッセージを送ってくる、相手の反応を無視している、という部分だけ見れば、確かにしつこいですから。でも、機械的に広告をばらまいているだけなら、今回探している相手とは違いますよね」
莉央は苦笑しながら、マルチ商法や情報商材の勧誘と判断されたアカウントを分析対象から外した。
再び一覧をソートする。
十五件あった候補は、五件にまで絞られた。
「おー。出てきましたね、『ガチ恋』のレベル三。アカウント名は……@kuramubon_1988」
莉央は、どこか面白がるような口調で読み上げた。
「ガチ恋、ですか……」
リサは思わず苦笑した。自分のファンに好意を寄せられること自体は、珍しくもない。女流棋士として活動していれば、そういうファンがいることも承知している。ただ、それがどこまで行き過ぎた感情なのかは、本人にも判断が難しかった。
莉央は続いて、Instagramのアカウント情報を分析する海外のサービスを開いた。検索欄に先ほどのIDを入力する。
しばらくして、英語で書かれた分析結果が表示された。
そこには、次のような人物像が並んでいた。
location:Sendai,Japan
Age:Around 40
Gender:Male
Relationship Status:Single,likely has little or no sexual experience
Interests:Shogi(Japanese chess)
Occupation:Unemployed
莉央はざっと目を通し、首を傾げた。
「うーん。仙台在住みたいですね。だとすると、多分、この人ではなさそうかな」
「プロフィールには、不動産経営者って書いてありますけど?」
リサが画面をのぞき込んで言った。
莉央は、今度は自分のInstagramを開き、検索欄に同じIDを入力した。表示されたアカウントのプロフィール画像には、男性の顔写真が使われていた。
年齢相応の落ち着いた顔立ちだが、肌には張りがあり、目にも曇りがない。プロフィール欄には、確かに「不動産経営者」と記されている。
「これも、あくまでAIが判定しているだけですからね。本当の職業なんて分かりません。投稿の頻度や内容から、無職っぽいと判断したのかもしれませんけど」
「そんなに適当なんですか?」
「適当というか、推測です。投稿内容から生活パターンを推測することはできても、それが正しいとは限りません。プロフィールに書いてあることだって、どこまで本当か分からないですし」
莉央は肩をすくめた。
「だから、こういう情報は参考程度ですね。これだけで怪しい人だと決めつけるわけにはいきません」
リサは改めて、そのアカウントのプロフィールを眺めた。
「あっ、この人……!」
何かに気づいたように、声を上げる。
「よく見たら、東北でイベントをやると、よく来てくれる人です! 指導対局をしたこともありますよ。結構強い人なんです」
「へえ。実際に会ったことがあるんですね」
「はい。何度か。顔も見たことがありますし、将棋の話もしました」
リサは画面の男性を見つめた。
AIが推測した人物像と、彼女が知っているファンの姿。その二つは、必ずしも一致していない。
少なくとも、画面の情報だけで危険人物と決めつけられるような相手ではなかった。
「まあ、この人は白でしょう。こっちも多分、白ですね。二人とも、警察に渡す資料には一応載せておいてください」
莉央はそう言って、二つのアカウントに印をつけた。
残るガチ恋カテゴリーのレベル三は、あと二人。そのうち一人は大阪在住の四十歳独身で、高校教師という分析結果が出ていた。
リサは画面を見ながら、なんとも言えない気分になった。どうやら自分は、中年の文化系男性に恋愛感情を抱かれやすいらしい。将棋という趣味のせいなのか、女流棋士という立場のせいなのか、それとも単に自意識過剰なのか。
「これは怪しいかなあ?」
莉央が三人目のアカウントをクリックした。
IDは @anisakis_ponponitai。
先ほどと同じプロファイリングサービスに入力し、AIによる分析を実行する。ほどなくして、英語で書かれた結果が画面に表示された。
Location: Tokyo, Japan
Age: Early 20s
Relationship Status: Single
Interests: Military-related topics
Occupation: University student
Notable Traits: Strongly polarized political views
「こいつかなあ? 東京だし」
莉央は画面を見つめながら、独り言のように呟いた。
「でも、東京に住んでいる大学生なんて、いくらでもいますよ」
「確かに、これだけでは何とも言えませんね」
「そうですね……」
リサも頷いた。居住地が近いというだけで、ストーカーだと決めつけるわけにはいかない。とはいえ、三人目にしてようやく、身近にいる可能性を感じさせる相手が出てきたのも事実だった。
ひとまず、五人のうち、ガチ恋カテゴリーに分類された三人の確認が終わった。二人はひとまず可能性が低そうで、残る一人は判断材料が足りない。莉央はその結果を記録し、一覧へと戻った。
次のカテゴリーには、「怨霊」と表示されていた。
「……怨霊?」
リサは思わず身を引いた。画面に表示された文字が、妙に不吉に見える。
「ああ、これ、悪戯の類も怨霊扱いされるんですよ。AIがメッセージの内容を見て、恨みや敵意があると判断したんでしょうね」
莉央は慣れた様子で説明し、該当するアカウントを開いた。
IDは @shogi_tanosiiiii。
捨てアカウントらしかった。プロフィール画像は初期設定のままで、フォローもフォロワーも一桁。投稿もなく、アカウントの持ち主を推測できるような情報は見当たらない。
試しにプロファイリングサービスにかけてみても、居住地、年齢、性別、職業など、すべての項目が不明と表示された。分析するための材料が、そもそも存在しないのだ。
「DM、開きますか?」
「一応、お願いします」
莉央がメッセージ一覧を開く。
そこに並んでいたのは、意味をなさない文字列だった。
アルファベットや数字、記号が無秩序に混ざり合い、ところどころに見慣れない文字が入り込んでいる。文字化けしたデータをそのまま貼り付けたようにも見えたが、すべてが同じ形式というわけでもない。何かの暗号なのか、それとも単に意味のない文字を並べているだけなのか、画面を見ただけでは判別できなかった。
「うわー。手の込んだ悪戯」
莉央が呆れたように声を漏らした。
しかも、メッセージは一度きりではない。ほぼ一時間おきに、同じような文字列が送りつけられている。現在までに確認できた分だけでも二十四通。アカウント全体のDM件数は、すでに百五十件を超えていた。
「大体、私が人の気配を感じるようになったのが一週間前です」
リサは画面から目を離さずに言った。
それまでは、こうしたDMが届いても、気味の悪い悪戯だと思って放置していた。まさか自分が誰かにつけられているのではないかと意識するようになるとは、考えもしなかった。
「うーん……」
莉央は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「もしかしたら、これをやってる人がストーカーなのかもしれませんね」
「やっぱり、そう思いますか?」
「可能性はあります。ただ、これだけだと、嫌がらせをしている人と、実際にリサさんの後をつけている人が同一人物かどうかは分かりません。そこは分けて考えたほうがいいと思います」
莉央は慎重に言葉を選んだ。
リサは小さく頷いた。確かに、気味の悪いDMが届いていることと、誰かに尾行されていることは、別々の問題だ。けれど、時期が重なっている以上、無関係だと片づけることもできなかった。
「それで、残る一件は……」
莉央が一覧に目を戻す。
最後に残っていたのは、誹謗中傷カテゴリーのストーカー気質レベル三だった。
「誹謗中傷でレベル三もいるわね。一人だけですが」
莉央の声が、先ほどまでより少し低くなった。
画面に表示されたアカウントを前に、二人はしばらく黙り込んだ。
残るアカウントは一つ。IDは@kanbe_kuroda。
カテゴリーは「誹謗中傷」。ストーカー気質の判定もレベル三だった。
「最後の一人ですね」
莉央はそう言って、アカウントのプロファイリングを実行した。
ほどなくして、英語で書かれた分析結果が画面に表示される。
Location: Tokyo, Japan
Gender: Male
Age: In his 30s
Relationship Status: Single
Interests: Shogi
Occupation: Self-employed
Notable Traits: Misogynistic attitudes
「……ミソジニー、ですか」
リサが呟いた。女性に対する嫌悪や蔑視。将棋を趣味とする三十代の男性で、自営業。ここまでの情報だけなら、特別に珍しい人物像ではない。だが、誹謗中傷を繰り返し、ストーカー気質も強いと判定された相手である。これまでの候補とは、少し違う種類の不気味さがあった。
「見たくなければ、無理に見なくても大丈夫ですよ。開きますけど、向こうを向いていてください」
莉央はリサの表情を確かめるように言った。
「……いえ、大丈夫です。自分のことですから」
「分かりました。でも、つらくなったらすぐ言ってくださいね」
莉央がクリックし、DMの一覧を開いた。
画面には、過去のメッセージが時系列順に並んでいた。莉央はまず、送信履歴をさかのぼり、最初のメッセージがいつ届いたものなのかを確認する。
「一番古いのは……三年前ですね」
意外なほど昔だった。
莉央が最初のメッセージを開く。そこに書かれていたのは、リサの対局を褒める、好意的な内容だった。
『今日の将棋、面白かったです。終盤の粘りが素晴らしかったと思います。次の対局も応援しています』
その後も、半年に一度ほどの頻度でメッセージが届いていた。対局内容についての感想や、勝ったときの祝福。ときには厳しい指摘もあったが、少なくとも、最初から敵意をむき出しにしていたわけではない。
莉央は一通ずつメッセージを開き、内容を確認していった。
しばらくは、普通の将棋ファンからの応援と批評の範囲に収まっていた。リサも、このアカウントに特別な注意を払った覚えはなかった。数多くいるファンの一人として、ほかのメッセージと同じように受け取っていたのだろう。
ところが、送信履歴を進めていくと、ある時期を境に様子が変わった。
「……ああ。おそらく、誹謗中傷が始まったのはここからですね」
莉央が画面を指した。
最初の変化が現れたのは、一か月ほど前だった。DMの件数が急速に増えていた。
それまでの対局批評は、次第にリサ本人への攻撃へと変わっていた。将棋の指し手を批判するだけではない。女流棋士という立場そのものを否定する言葉が、目立つようになっていた。
『女流がプロ面するな』
『男のプロ棋士と同じ土俵に立っているつもりなのか』
そんな、女性であることを理由にリサの仕事や実力を貶める言葉が続いていた。
莉央は画面を見つめたまま、少し考えてから口を開いた。
「この人、女流棋士という制度そのものが気に入らないみたいですね」
将棋界には、男性棋士を養成する奨励会と、女流棋士になるための制度がある。両者は同じ将棋界に属していても、制度上の位置づけやプロになるまでの道筋が異なる。
奨励会は、厳しい昇級・昇段競争を勝ち抜き、四段に昇段して初めてプロ棋士となるための養成機関だ。入会しても、誰もがプロになれるわけではない。長い年月を費やしながら、四段に届かず退会する者も少なくない。
一方、女流棋士には独自の棋士資格制度があり、奨励会を突破しなくても女流棋士として活動できる道がある。もちろん、女流棋士にも独自の棋戦と昇級・昇段制度があり、その地位や実績は一律ではない。
また、奨励会を経て四段に昇段した女性のプロ棋士は、現在まで誕生していない。過去には、奨励会で三段まで進んだ女性が、編入試験に相当する特例的な制度を通じて四段に昇段した例が一人だけある。
こうした制度の違いは、将棋界を語るうえで避けて通れない話題だった。奨励会でプロを目指しながら夢を断たれた男性にとって、女流棋士として将棋界に残る道があることを、複雑な思いで受け止める場合もあるだろう。
しかし、それは女流棋士一人ひとりの努力や実力を否定していい理由にはならない。制度の違いを議論することと、女性だからという理由で相手を侮辱することは、まったく別の話だった。
「この人は、制度の違いを批判したいというより、女性がプロとして活動していること自体を認めたくないんでしょうね」
莉央の言葉に、リサは答えなかった。
自分がどれほど努力してきたかを、見ず知らずの相手に説明するつもりはない。奨励会を経由していないことも、女流棋士という資格で活動していることも、隠しているわけではなかった。それでも、そうした事情を理由に、積み重ねてきた対局や努力まで無価値だと言われるのは、やはり気分のいいものではなかった。
莉央はさらに履歴をさかのぼり、以前のメッセージと現在のメッセージを見比べた。
「でも、最初からこういう人だったわけじゃないんですよね」
「そうみたいですね。昔は、普通に応援してくれていたんですから」
リサは、三年前のメッセージを思い出していた。
対局を褒められれば、素直に嬉しかった。厳しい指摘を受けたときも、自分の将棋を真剣に見てくれているのだと思えば、受け止めることができた。
それが、いつの間にか変わってしまった。
何かをきっかけに、相手の中でリサを見る目が変わったのだろうか。それとも、もともと抱いていた不満が、少しずつ膨らんでいったのだろうか。
メッセージの履歴だけでは、そこまでは分からない。
「熱心なファンだった人が、アンチに変わった……という感じですかね」
莉央はそう言ってから、すぐに付け加えた。
「ただ、これも推測です。昔の応援メッセージが本心だったのか、今の攻撃的な言葉が何かのきっかけで始まったのか、本人に聞かなければ分かりません。それに、誹謗中傷をしていることと、実際にリサさんを尾行していることも、まだ結びついていませんから」
画面には、過去の応援と現在の罵倒が、同じアカウントから送られたものとして並んでいた。
リサは、その変化を見つめた。
知らない誰かが最初から自分を憎んでいたのなら、まだ分かりやすかったかもしれない。けれど、この相手は、かつて自分の将棋を見て、感想を送り、応援してくれていた人なのだ。
その事実が、画面に並ぶ侮辱の言葉を、いっそう不気味なものにしていた。
最後に表示されたメッセージは、それまでのものとは明らかに違っていた。
『見たぞ。全部バラしてやるからな。裏切り者』
短い一文だった。だが、そこには将棋への批判も、女流棋士という立場への侮蔑もない。相手が何かを目撃し、リサがそれを知られたくないと思っていると決めつけている。そして、それを暴露すると脅していた。
画面に表示された短いメッセージを、莉央はもう一度読み返した。
「裏切り者? バラす? リサさん、何かこの人を裏切ったことに心当たりはありますか?」
「いえ……。そもそも、この人に何か約束した覚えもありません」
「ですよねえ」
莉央は首を傾げた。さらにDMの履歴を下へスクロールすると、続きのメッセージが見つかった。
『マスコミにバラした。終わりだな』
「……何を?」
リサは眉をひそめた。
莉央はひとまず、@kanbe_kurodaから届いたDMをまとめてコピーし、AIに読み込ませた。先ほど取得したプロフィールの分析結果も合わせ、この人物が何を「裏切り」と呼んでいるのか、メッセージの文脈から推測させる。
「まあ、当たらぬも八卦、ですね」
独り言のように呟きながら、莉央は分析結果を待った。
やがて画面に文章が表示された。
AIは、現時点のDMだけでは判断材料が不足していると指摘していた。推測の精度を上げるため、リサのInstagramへの投稿や、それに対する当該アカウントの返信も確認してほしいという。
「あー、なるほど」
莉央は小さく頷いた。
「DMだけだと、話の前後関係が分からないんですよね。普段どんなことを書いていたのか見れば、何か手がかりがあるかもしれません」
そう言って、莉央は自分のスマートフォンを手に取った。Instagramを開き、検索欄に北条リサと入力する。本人のアカウントを見つけると、フォローした。
「リサさん、ちょっとアカウントを覗きますね」
「はい。どうぞ」
莉央は今度はノートパソコンでInstagramを開き、リサの投稿を確認した。
続いて、コマンドプロンプトのコンソールを立ち上げる。Pythonの画面に切り替えると、キーボードを軽快に叩き始めた。
今度は、リサの投稿に付けられたコメントの中から、@kanbe_kurodaのものだけを拾い出し、投稿日時とともに一覧化するためのプログラムだった。
莉央は必要な処理を書き終えると、動作を確認して実行した。
一分も経たないうちに、画面には該当するコメントが並び始めた。
「結構、コメントしてますね、この人」
莉央は一覧を古い順に並べ替えた。
初期のコメントは、DMと同じく好意的なものだった。対局への感想や、勝利を祝う言葉。リサの将棋を評価し、次の対局にも期待を寄せている。少なくとも、表面上はごく普通の熱心なファンだった。
さらに新しい投稿へと目を移していく。
意外なことに、直近のコメントにも、明確な悪意は見当たらなかった。相変わらず応援するような言葉が並んでいる。ただし、コメントの投稿は一か月ほど前を最後に途絶えていた。
「……一か月前から、コメントがなくなってますね」
莉央はDMの送信履歴と照らし合わせた。
ちょうどその頃から、DMの内容が攻撃的になり、送信頻度も増えている。一方で、リサの投稿に対する公開コメントは、ぱたりと止まっていた。
それまでは表立って応援していた人物が、ある時期を境に公開の場から姿を消し、非公開のDMで攻撃するようになった。
もちろん、これだけで同一人物の心理や動機を断定することはできない。単にInstagramの使い方が変わっただけかもしれないし、公開コメントを控えるようになった理由が別にある可能性もある。
それでも、時期が重なっているのは気になった。
「表で応援するのをやめた頃から、裏で攻撃するようになった……ってことですかね」
莉央はそう呟きながら、抽出したコメントの一覧と先ほどのDM、プロフィールの分析結果をまとめてAIに読み込ませた。
今度は、公開コメントとDMの内容の変化を比較し、相手が何を問題視しているのか、また「マスコミにバラした」という言葉が何を指している可能性があるのかを分析させる。
「さて。これで、何か分かるといいんですけど」
莉央は画面を見つめた。
リサもまた、息を詰めて分析結果が表示されるのを待った。
AIの分析結果が表示されるまで、しばらく時間がかかりそうだった。
手持ち無沙汰になったリサは、ふと思い出したように自分のスマートフォンを取り出した。先ほど莉央のアカウントにフォローされたのだが、まだフォローを返していなかった。
莉央のアカウントは非公開設定になっており、承認された相手しか投稿を見ることができない。プロフィールだけでは、どんな写真を載せているのか分からなかった。
「莉央さん、フォローし返しました」
「了解です」
莉央はスマートフォンを手に取ると、届いていたフォローリクエストを承認した。
リサはさっそく、莉央のプロフィールを開いた。
一番上に表示されたのは、沖縄で撮影された写真だった。
青い海が広がる高台で、莉央と一人の男性が並んでいる。
莉央は赤い花柄のシャツを前で結び、デニムのショートパンツを合わせていた。短いブロンドの髪には白い花が飾られ、穏やかな瞳がカメラを見つめている。普段、大学のラウンジで見かける白いニット姿とは違い、開放的な南国の風景によく似合う装いだった。
隣の男性は、青いハイビスカス柄のシャツを着て、莉央の肩に腕を回していた。背が高く、引き締まった長い手脚を持つ筋肉質の体格。短い髪に、健康的な肌。両耳の耳介は潰れていたが、身だしなみは整っていて清潔感がある。莉央の隣で、静かに微笑んでいた。
「彼氏さん、イケメンですね」
リサが素直な感想を口にすると、莉央は画面から顔を上げた。
「ありがとう。本人に伝えたら喜ぶと思います」
そう言って、少しだけ口元を緩める。
莉央自身、恋人の蓮のことはいい男だと思っている。ただ、彼の魅力は外見だけではない。
胸の内に秘めた熱い思いと、それを実現するために動く行動力。周囲が無謀だと考えるようなことでも、必要だと思えば迷わず挑戦する。そして、一度決めたことを簡単には諦めない。
そんな強さこそが、莉央の知る蓮の一番の魅力だった。
リサは写真をもう一度眺めてから、プロフィールの投稿日時に目を留めた。最後の投稿は二か月前。頻繁に更新しているわけではなさそうだ。
「沖縄、いいですね。お二人で旅行に行ったんですか?」
「そうです。ちょっと前ですけど」
莉央は簡単に答え、再びノートパソコンへと視線を戻した。
ちょうどそのとき、画面に分析結果が表示された。
「お、終わったみたいですね」
莉央がウィンドウを切り替える。そこには、DMの内容と公開コメントの変化を照合した結果が、文章でまとめられていた。
AIの分析によれば、@kanbe_kurodaは、当初はリサに対して好意的な感情を抱いていた可能性が高い。ところが、ある時期を境に、その感情が攻撃的なものへと変化している。
公開コメントでは応援を続けていた一方、DMでは次第に敵意をあらわにするようになった。さらに、最近のメッセージには「裏切り者」「マスコミにバラした」といった、相手との間に何らかの特別な関係があったかのような表現が見られる。
AIは、この人物が単なる将棋ファンから、いわゆる「厄介ファン」へと変化した可能性を指摘していた。
「……あー。ガチ恋ファンが、厄介ファンに変化しちゃったパターンだ」
莉央が画面を読みながら呟いた。
さらに、分析結果には注意書きが続いていた。
強い好意を抱いていた相手が、自分の期待に応えてくれないと感じたり、恋人の存在が明らかになったりした場合、それを一方的に「裏切り」と受け止め、攻撃的な行動に出る可能性があるという。
もちろん、これはあくまでメッセージの文面から導き出した仮説だった。相手が本当にリサに恋愛感情を抱いていたのか、何を裏切りと感じているのかまでは、まだ分からない。
それでも、これまでの履歴を説明する一つの筋道にはなっていた。
リサは画面に表示された文章を読み、考え込んだ。
自分は、この人物に何かを約束したわけではない。個人的な関係を築いた覚えもなかった。
それなのに、相手は自分を「裏切り者」と呼んでいる。
まるで、リサが自分の期待に応える義務でもあったかのように。
「……勝手に期待されて、勝手に裏切られたことにされるんですね」
リサがぽつりと言うと、莉央は小さく頷いた。
「そういうことは、あるみたいですね。でも、今のところは推測です。これだけで、この人がリサさんを尾行していると決まったわけじゃありません」
莉央はそう釘を刺した。
「例えば、リサさんにお付き合いしている人がいて、その人とデートしているところを見られた、とか」
莉央が尋ねた。
女流棋士の仕事は、将棋の実力だけで成り立っているわけではない。将棋イベントを盛り上げたり、大盤解説で聞き手を務めたりと、将棋の魅力を一般の人々に伝える普及活動も重要な役割の一つだった。
そのため、メディアへの露出においては、棋力だけでなく、容姿や知名度が重視されることもある。テレビ番組などから出演依頼があった際、協会の広報担当者が若く、見栄えのする女流棋士を優先的に起用する。普及のためには仕方のない面もあるが、その結果として、アイドルのように扱われる女流棋士がいることも否定できなかった。
北条リサも、そうした棋士の一人だった。
「お付き合いしている人はいないけど……」
リサはそう前置きして、言葉を切った。
恋人はいない。けれど、二人きりで出かける男友達ならいる。食事に行ったり、どこかを見て回ったりすることもあった。そうした姿を誰かに見られれば、事情を知らない人間に勘違いされる可能性はある。
思い当たることがないわけではなかった。
ただ、それをもって「裏切り者」と罵られるのは、あまりにも身勝手な話だ。自分が誰と会い、誰と出かけようと、他人に責められる筋合いはない。そう思うと、リサの胸に怒りが込み上げてきた。
「何か、デートしているところを見られて、それをマスコミに売られた……。そう考えると、リサさんを後ろからつけているのも、マスコミかもしれませんね」
莉央は、思いついた可能性を口にした。
「マスコミに狙われるなんて、リサさんも大変ですね」
「……私じゃないんです」
「え?」
「多分、マスコミが狙っているのは、相手の方だと思います」
「相手の方?」
莉央は目を瞬かせた。それから、少しだけ声を潜める。
「全然、話したくなければ、イニシャルトークでもいいですし、仕事上の関係だけってことにしても大丈夫です。私、口が固いかって聞かれたら、固い方だとは思いますけど……つい、ぺろっとしゃべっちゃわないとも限らないので」
自分で言っておいて、ずいぶん信用の置けない口ぶりだった。
リサは困ったように微笑んだものの、やがて観念したように口を開いた。
「そのとき、テレビで共演させてもらった俳優の方なんです。名前は伏せますけど、Netflixの人気ドラマとか、連続ドラマとかにわりと出ている人で……。何度か食事に誘ってもらったり、一緒に博物館に行ったりしたことがあって」
「へえ……」
「でも、お付き合いしているとか、そういうわけじゃないんです」
もし、この件がマスコミに取り上げられれば、相手の俳優にも迷惑がかかるかもしれない。
リサはそのことを考えると、申し訳ない気持ちになった。向こうから食事に誘われたことは何度かあるし、一緒に出かけたこともある。けれど、それは互いに気の合う者同士として過ごした時間であって、世間に騒がれるような関係ではない。少なくとも、リサはそう思っていた。
それなのに、自分が女流棋士として人目を引く立場にいるせいで、相手の名前まで面白おかしく取り沙汰されるとしたら。自分の軽率な行動が招いたことだと責められるのも嫌だったが、何より、相手に余計な負担を背負わせることが心苦しかった。
「マスコミだとしたら、声を掛けて話をしてみれば、分かってくれますかね?」
リサが尋ねた。
「おすすめはしません。そもそも、マスコミがつけているっていうのは、あくまで仮説ですから。ガチ恋ストーカーだった場合、何をされるか分かりませんし。仮に声を掛けるとしても、人通りの多いところにしてください」
莉央は慎重な口調で答えた。
もっとも、人通りの多い場所では、誰かにつけられているような気配を感じることはなかった。足音が気になるのは、周囲に人が少なくなったときだ。相手がマスコミなのか、それとも別の誰かなのか。今の段階では、判断する材料が足りなかった。
「それに、マスコミって、書きたいことを好き勝手に書きますからね。こっちが弁明したところで、それすら面白おかしく記事にされるかもしれません」
「たとえば?」
「その俳優さんに遊ばれているとか、逆にリサさんの方がぞっこんで、夢中になっているとか。事実がどうかより、見出しがセンセーショナルになる方向に、勝手にストーリーを作られるんです」
リサは口をつぐんだ。
相手に迷惑を掛けたくないからこそ、誤解があるなら直接話して解いてしまいたい。けれど、下手に動けば、かえって騒ぎを大きくしてしまうかもしれない。何もしないことが正解なのか、それとも何もしないからこそ、相手の名前まで勝手に利用されてしまうのか。
考えれば考えるほど、簡単には答えが出なかった。
そんな話をしていると、学生ラウンジの入口から、一人の大男が入ってきた。
青いシャツにグレーのカーディガンを重ね、その上にネイビーのジャケットを着ている。黒のスラックスに、足元は艶のあるコードバンの革靴。背が高く、手足も長い。サイドを短く刈り上げた黒髪に、精悍な顔立ち。耳はレスリングで鍛えた者に特有の変形をしていたが、身なりはきちんとしていて、服装にも落ち着いた品があった。
いかにもアマチュアレスリングの選手といった体つきなのに、粗野な印象はない。むしろ、育ちの良さを感じさせる、堂々とした佇まいだった。
リサは思わず目を留めた。
先ほど莉央のInstagramで見た沖縄の写真にも、彼の姿は写っていた。しかし、写真で見るのと実物とでは、ずいぶん印象が違う。実際に目の前にすると、想像していた以上に身体が大きかった。
長い手足に、厚い胸板。ジャケット越しにも、背中の分厚さが伝わってくる。単に背が高いだけではない。鍛え上げられた身体そのものが、周囲の人間とは違っていた。
リサの身近には、こういうタイプの男性はいなかった。将棋界で接する棋士や関係者とも、テレビの仕事で出会う俳優たちとも違う。自分とはまるで異なる世界で身体を鍛え、勝負をしてきた人間なのだと、ひと目で分かった。
彼が莉央の恋人なのだろう。
莉央が指定していた待ち合わせの時間は、とっくに過ぎていた。話はすぐに終わるつもりだったのに、思いのほか長引いてしまったのだ。
「蓮。ごめん。もうちょっと掛かりそう」
莉央が申し訳なさそうに声を掛けると、蓮と呼ばれた大男は気にした様子もなく答えた。
「おっけー。そしたら下のコンビニでコーヒーでも買ってくるよ。莉央はブラックでいいだろ? お連れの方は?」
そう言って、蓮はリサにも気さくな笑顔を向けた。




