第95話 背中の軽さ
東京ダンジョン第九層・清掃区画。
腐食した床。
歪んだ壁。
バグの残滓がまだ微かに揺れている。
カイ・シノハラは、
モップを静かに床へ滑らせていた。
そこへ、ナカニシ・コウイチがやってくる。
「おーい、カイくん。
ここ、わてがやるつもりやったんやけどな」
「そうなんですか。
もう少しで終わりますよ」
ナカニシは頭をかいた。
「……ほんまはな」
カイが顔を上げる。
ナカニシは、いつもの調子で笑った。
「お前に“ざまぁ”って言わせたかったんやけどな。
どう頑張っても無理やったわ」
カイは瞬きをした。
「そんなこと言いませんよ」
「せやろなぁ。
そこがまた腹立つんやけど、ええとこでもあるわ」
ナカニシは、
モップを持つカイの手元を見て、
ふっと息を吐いた。
「……ほな、ここは任せるわ。
わて、別の区画行ってくる」
「分かりました」
ナカニシは背を向ける。
その背中は、
いつもより少しだけ軽く見えた。
肩の力が抜けて、
どこか晴れやかで、
長年の重荷が少し落ちたような――そんな背中。
リサ・カミシロが後ろから歩いてきて、
その背中を見送りながら言う。
「……あいつ、ああ見えて気にしてたのよ。
あんたに助けられっぱなしだったこと」
カイは首を傾げた。
「ただ掃除してるだけです」
リサは小さく笑った。
「そういう言い方しかできないの、
あんたくらいよ」
カイはモップを動かしながら答えた。
「……誰かがやらないと、汚れは残りますから」
リサは肩をすくめた。
「ほんと、変わらないわね」
【SYSTEM LOG】
【Cleaner Morale : Slight Increase】
【Team Dynamics : Stable】
【Note : Emotional Load Reduced (Nakanishi)】
カイは静かに作業を続けた。
世界は今日も、ほんの少しだけ――軽くなった。




