香子の決心(香子視点)
★
なぎこが落としたバッジが香子によってひろわれたのは、翌日の午前五時ごろのことであった。いくらケンカしたとはいえ、夜中になっても戻って来ないなぎこのことを心配した香子は一睡もせずに文学部の学生寮や校舎の周辺を探し回っていたのである。あちこち探してもいないので、だんだん胸さわぎがしてきた香子はもっと別の場所も探そうと「桜の屋根の道」まで来た。その時、何かを蹴飛ばしたような気がして足元を見ると、文学部のシンボルマークであるペンのバッジが転がっていたのだ。
「これ、なぎこちゃんのだ」
なぎこは授業に集中しているとバッジを指でカリカリさわるくせがあって、メッキがほとんどはがれてしまっているのである。だから、ひと目でなぎこのバッジだとわかった。
香子は、直感で(これはなぎこちゃんのメッセージかもしれない)と考えた。香子となぎこは偉人学園に入学して以来の長いつきあいだ。ほんのわずかなヒントでもおたがいの考えが分かるのである。
「きっと、なぎこちゃんはだれかにさらわれたんだわ。頭の回転が早いなぎこちゃんは、自分が誘拐されたことを仲間に知らせるためにバッジを落としたのよ」
香子はそうつぶやくと、「仲間……か」とうつむきながらポツリと言った。なぎこは香子のことをまだ仲間だと……親友だと思ってくれているのだろうか?
日記を勝手に読まれたことに対する怒りはもちろんある。でも、普段のなぎこなら絶対にしないようなことをなぜあんなにもおそろしい顔で……。なにか悪い霊にでもとりつかれてしまったのだろうかと心配だった。なぎこの太陽のように明るい笑顔がもう二度と見られないのではと不安だった。
「早く仲直りしたいよ。私がなぎこちゃんの友だちをやめたいなんて思うはずないじゃない。私の気持ちも知らないくせに、勝手に怒って、勝手にいなくならないでよ……」
香子の大粒の涙が、なぎこのバッジに落ちる。その時、香子の後ろで「紫式部さん?」という声がした。おどろいた香子はビクリと肩を震わせて振り返った。
「和泉式部……さん」
「一葉ちゃんから聞いたよ。清少納言ちゃんがいなくなったんですって? どうして教えてくれなかったの? 私も探すのを手伝うのに」
香子は、「桜の屋根の道」へ来る前に一葉の部屋をたずねてなぎこが来ていないか聞いたのだ。まだ寝ぼけていた一葉は「来ていません」と答えると、ベッドにもぐりこんでもうひと眠りしようとした。しかし、
(いつも清少納言お姉ちゃんといっしょにいる紫式部お姉ちゃんが、清少納言お姉ちゃんのことを探しているなんておかしい)
ハッとそう思い、和泉式部の部屋へ行って相談したのである。
「…………」
香子は、和泉式部を無視して学園本館へと歩きだした。なぎこを誘拐する動機がある人間なんて藤原道長副学園長ぐらいだと思ったのだ。署名活動の中心人物であるなぎこがいなくなったら、授業改善の計画は失敗に終わるにちがいない。
「副学園長のところへ行く気? 私も行くよ。一緒に清少納言ちゃんを助けよう」
考えていることは同じだったらしく、和泉式部は追いかけてきて香子の左手をにぎった。ビックリした香子は右手で和泉式部の手を払った。
「ご、ごめん……」
さすがにやりすぎたと思った香子は気まずそうにあやまる。
「わたしのほうこそ、ごめん」
「……どうして和泉式部さんがあやまるの?」
「わたしね、あなたがやきもち焼いているのを知っていて、清少納言ちゃんに接近してたの」
香子は、自分のみっともない気持ちが和泉式部に見ぬかれていたのだと知り、恥ずかしくなって顔を赤らめた。穴があったら入りたい。
「私が必死になって、苦しんでいる時に、あなたはそれを見て笑っていたの?」
「ちがうよ。私も必死だったのよ。私が仲良くなりたかったのは、清少納言ちゃんと……紫式部さん。あなたたち二人だったんだから」
「え……? わ、私?」
「うらやましかったのよ。一年生の時からあなたたち二人は文学部のベストコンビだったでしょ。私、昔から男子にちやほやされていたけれど、女子たちはそんな私をいいふうに見ていなかった。だから、女子の友だちは少なくて、今まで親友と呼べる存在がいなかったの。……私も、二人みたいな親友関係になれる友だちがほしい、できたらあなたたちと仲良くなりたいって、ずっと思っていた。でも、紫式部さんは話しかけるとすぐに逃げちゃうから、まず清少納言ちゃんと仲良くなって、それから清少納言ちゃんの仲介で紫式部さんとも友だちになろうという作戦を考えたの。……それが、結局、あなたを苦しめることになってしまった。だから、ごめん」
「普通、そんなことを急に言われても信用できないよ」
「そう……だよね」
和泉式部はさびしそうに顔をふせ、涙ぐんだ声でつぶやいた。「でも……」と香子は言う。
「六年間なぎこちゃんと親友をやっていた経験上、私が自信を持って言えることが一つあるの。それは、あの子を好きになる人間に悪い人はいないということ」
「今、『なぎこ』って……。それが清少納言ちゃんの本名? 私に教えていいの?」
おどろいた和泉式部が顔をあげると、香子はほほえんでいた。緊張していてぎこちない笑顔だったが、さっきまでの和泉式部に対する警戒心はうすらいでいた。
たくさんのボーイフレンドがいて悩みごとなんか何一つないような和泉式部が、友だちがほしいと願っていた。そのことを知り、この子も自分と同じで実は人間つきあいが苦手なのかもしれないと香子は親近感を抱いたのである。
「一緒になぎこちゃんを探そう、大江もと子さん。私の名前は藤原香子」
「私の本名、知っていたんだ。紫式部……ううん、香子さん。ありがとう」
二人は同時に手を差し出し、握手をかわした。二人にとって大切な友人を救い出すため、香子と和泉式部――もと子は力を合わせようと誓ったのである。
香子ともと子は学園本館の副学園長室に行き、道長を問いつめたが、道長はちょっとおどろいた表情をしただけで、なぎこがどこへ行ったか知らないと言いはったため、二人は仕方がなく文学部に戻って作戦を練り直すことにした。
文学部の学生寮では、署名活動の助っ人である武蔵と源内が待っていた。武蔵は、芸術学部の署名二百八十五人分の名簿を持ってきていて、香子に手渡した。北斎はいちいち学生寮の各部屋をまわるという面倒くさいことはしたくないと言い、昨晩、学生寮の放送室を勝手に使ってみんなを芸術学部校舎の会議室に呼び出し、そこで署名活動の説明と協力を求めたのだ。もともと署名活動に乗り気の生徒が多かったため、意外とすぐに集まった。
「清少納言先輩がいなくなった⁉ 先輩は何者かに狙われていました。早く助け出さないと大変なことになりますよ!」
おどろいた武蔵がそう言うと、もと子は、副学園長が妖しいと思って問いつめたけれど「知らない」と言われたことを説明した。
「こうなったら、ヒミコさまの力を借りよう。先輩がどこにいるか占ってもらうんだ」
源内がそう提案すると、香子たちは「ええ⁉」とおどろいた。
偉人学園の七不思議の一つに「何でも占ってくれるヒミコさま」というのがあるのだ。自分が大切にしている鏡をヒミコさまに差し出すかわりに、どんなことでも占ってくれるという。ただし、ヒミコさまは男が嫌いだから女子限定との話だ。ヒミコさまは、邪馬台国の女王・卑弥呼のDNAをつぐ偉人学園の女子生徒だというウワサがあるが、彼女がどこの学部なのか、何年生なのかなどハッキリとしたことは何も分からない。だれも知らない。
「ヒミコさまなんて、本当にいるんですか? うさんくさいなぁ」
「いるのかいないのか、試してみないと分からないよ、武蔵くん。私、やってみる」
香子はそう言うと、学生寮の部屋に行って愛用の手鏡をとってきた。十歳の誕生日に両親からプレゼントされたピンクの花柄の手鏡は香子の宝物だった。でも、なぎこのためならその宝物を失っても惜しくはない。無二の親友ほど大切な宝物はないからだ。
「私、ヒミコさまに会ってくるね!」
香子はヒミコさまがいるという偉人学園プラネタリウムへと走った。
学園本館から北へ十五分ほど歩いた場所に、偉人学園プラネタリウムはある。学園の生徒なら全員無料で利用でき、立体的な3D映像で宇宙の星々を見られる上映会を一日に五回やっている。香子は朝一番の午前十時の上映がはじまる一時間前に上映ホールに入り、上映が始まるのを今か今かといらだちながら待った。
客は香子と三、四人の生徒たちだけである。ついに上映が始まると、椅子にもたれている香子は目をつむって手を合わせながら「ヒミコさま、ヒミコさま。来てください」と小声でつぶやいた。そうすると、ヒミコさまが来てくれるというのだが……。
(あれ? 何も起きない。やっぱり、ヒミコさまなんて、ただの七不思議?)
香子が不安になりかけていたその時、ふわっ……と、冷たい風が香子の頬をなでた。さっきまではなかった人の気配。(ヒミコさまだ……)と香子が心の中でつぶやくと、ヒミコさまは香子の手をにぎり、「立ちなさい」と言った。おどろくほどその手は冷たかったが、声には人を安心させるぬくもりがあった。
ヒミコさまは香子の手を引いてどこかへ連れて行く。この時、目を開けてしまうとヒミコさまは消えてしまって二度と顕れないとウワサで聞いていたので、香子はぎゅっと目をつぶっていた。
「そこに座って。もう目を開けていいよ」
香子はおそるおそるまぶたを開いた。すると、その空間には鏡、鏡、鏡。天井を見ても、壁を見ても、床を見ても、自分の姿が映っていて、おどろいた香子は「ひゃっ!」と小さくさけんでしまった。ヒミコさまと香子が正座している場所以外はすべて鏡なのだ。おそらく、これはヒミコさまが占いのかわりに生徒から受け取った鏡たちなのだろう。
(入口……ドアが見当たらないけれど、どうやってここに入ったのかしら?)
香子がきょろきょろしていると、ヒミコさまが「鏡」と短く言った。鏡を渡すことをうっかり忘れていた香子は、慌ててヒミコさまに手鏡を手渡す。ヒミコさまはそれを受け取ると、手鏡を香子に向けてかざした。鏡に香子の顔が映しだされる。
「あなたの手鏡を使って、なんでも占ってあげる。さあ、何を知りたい?」
ヒミコさまはそう言ってほほえんだ。香子はここではじめてヒミコさまの顔を真正面から見たが、香子と同い年ぐらいの優しげなまなざしをした少女だった。ただし、髪が異常に長い。香子も腰にかかるぐらいのロングヘアーだが、ヒミコさまは香子の三倍以上だ。立ちあがったらあれでは髪が床にすれるだろう。白い衣を身にまとい、勾玉の首飾りをしたその姿は、いかにも神の声を聞くことによって邪馬台国の女王となった卑弥呼らしい。
「私の親友が誘拐されたんです。今どこにいるのか、犯人はだれなのか占ってください」
「紫式部さんの親友ということは、清少納言さんのゆくえが知りたいのね」
「えっ、まだ自己紹介していなかったのに、私がだれなのかわかるんですか?」
香子がおどろいてそう言うと、ヒミコさまはクスリと笑った。
「文学部の名コンビを知らない人なんてこの学園にはいないわ。……では、占いましょうか」
ヒミコさまは目を閉じて香子の鏡に手をかざすと、その姿勢のままピタリと動かなくなった。五分ぐらいは香子も我慢してじっと待っていたが、だんだん不安になってきた。
「あ、あの、ヒミコさま……」
「集中しているの。黙っていて」
「は、はい……」
「………………見えたわ」
「え! 本当ですか⁉ なぎこ……清少納言ちゃんは無事ですか?」
「笑っている」
「へ?」
「そして、死にかけている」
「は?」
笑って死にかけているって……。どういう状況?
★
ヒミコ「次の投稿予定は15時。続編があったら、私は超重要人物として活躍するはずだったの。作者は猛省するべきだわ。呪ってやる」




