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DNAの暴走

 部屋に戻ってからだと香子が「読んだらダメーっ!」と絶対に邪魔してくるから、『紫式部日記』を持って食堂に入る。午後五時以降は図書館が閉まってしまうのが不便だ。

 夕食の時間からだいぶ経ち、食堂にはだれもいない。香子にあやまりに行く前にほんの少しだけでも読もうと思い、私は食堂のテーブルに座って本のページをペラペラとめくった。私の自慢は、古文や漢文を現代語訳なしですらすらと読めることだ。

「……あら? ここのページに、清少納言のことが書いてあるわ」

 へえ。やっぱり、同時代に生きていたから、紫式部も自分と同じ女流作家の清少納言のことを意識してたんだぁ。どれどれ、初代・紫式部は初代・清少納言のことをどう思っていたのかしら? 読者のみんなも気になるよね? 私が現代語訳しながら読んであげるね。

  清少納言は得意顔で、えらぶっている嫌味な人だ。自分のことをかしこいと思って、漢字を書きちらしている(平安時代、漢字を書けるのは男性だけで、女性はひらがなを使うのが常識だった。漢字を使う女性がいたら「知識を自慢する嫌な女」だと悪口を言われる時代に、清少納言は堂々と漢字を使っていたのである)。でも、よく見るとその知識はまだまだ未熟ではないか。

  「私は他の人とはちがうのよ」と清少納言みたいに思っている人間は、将来ろくなことにならない。軽々しくて不誠実な人のたどる最後なんて、ひどいものだろう。

「な……な、何よ、これぇーーーっ!」

 寝ている時に顔面パンチをくらったような衝撃を受け、私はガタリと立ちあがっていた。え? 何これ? どうしてこんなにけなされているの? 平安時代の清少納言が何か悪いことをした?

 い、いや、落ち着け……。これは平安時代の初代・紫式部が同じく初代の清少納言に対して書いた陰口なのよ。現代の私や香子には関係ないじゃない。関係なんか……。

「……でも、なんだか、ものすごい腹が立つ。……わ、私の体の中に流れる清少納言のDNAが暴れているみたい……。あ、頭……痛い」

 突然、ズキズキとひどい頭痛がしはじめた。フラッシュバックのように、自分の記憶にはないだれかの思い出がよみがえる。これは……平安時代の清少納言の記憶だ。


 清少納言は……私は……天皇のお后・定子さまにお仕えしていた。定子さまはこの世のだれよりも美しくて優しいお姫さまだった。そんなおかたに仕えることができる私は幸せだった。……でも、その幸せは長く続かなかったのだ。

 定子さまのお父さまの弟である藤原道長が、自分の娘の彰子(しょうし)を天皇のもう一人の后にしたのだ。道長は自分が出世するために、定子さまのご家族を次々とおとしいれていき、定子さまの立場はどんどんと悪くなっていった。天皇の愛も彰子へと移っていき……定子さまは孤独のうちに亡くなった……。私は……元気だったころの定子さまを思い、楽しかった時の思い出を『枕草子』に書いたのだ。紫式部が彰子の家庭教師として彼女に仕え、『源氏物語』を書きはじめたのは、ちょうどそのころのことだった。

 そうだ。そうだった。清少納言にとって、紫式部は敵側の人間。清少納言のDNAを持つ清原なぎこが、紫式部のDNAを持つ藤原香子と仲良くできるはずがない!


 知識では知っていた歴史の事実。それはかつて生きていた清少納言と紫式部の人生であって、現代の私たちには関係ないと思っていた。でも、清少納言の記憶は死ぬことなく、私の体内のDNAに眠っていたのだ。『紫式部日記』がそれを目覚めさせてしまった。

 今の私は藤原なぎこなのだろうか? それとも、初代・清少納言の心が私の体を支配してしまっているのだろうか? 頭がガンガンしてちゃんとした思考ができない。

「あっ、なぎこちゃん。さっきはごめ……」

 私が部屋に入ると、香子が私のところに寄ってきて、何か言いかけた。しかし、私の顔を見て真っ青になり、黙った。

「……何? 私の顔に何かついているの?」

「なぎこちゃんがすごく恐い顔をしているから……」

 香子はおどおどと私の顔色をうかがっている。私は、無言のまま『紫式部日記』を香子の胸にドンと押しつけた。書名を見た香子の表情がみるみるうちにこわばっていく。

「な、なぎこちゃん。これを読んだの? 読まないでって言ったのに……」

「どうして読むなと言うのかずっと不思議に思っていたけれど、ようやく分かったわ。この本には、あんたが書いた私に対する悪口がたくさんのっているからだったのね」

「わ、私じゃないよ。これは初代の紫式部が……」

「紫式部と香子は同じDNAなのよ! そして、私は清少納言のDNAを受けついでいる! だったら、あんたが私のことを好きなわけがない! こんなにもひどいことが書いてあるんだから!」

「だ、だから、これは私が書いたわけじゃ……」

「じゃあ、あんたが毎日書いている日記を見せなさいよ! 朗読してあげる!」

「そんなのプライバシーの侵害……。嫌だ、ちょっと待って。やめてよ、なぎこちゃん!」

 私は香子を押しのけると、香子のベッドの上に置いてあった日記帳を手にした。こんなことをしたら香子と二度と仲直りできなくなる。そんなことは分かっているのに止められない。私の体の中の清少納言のDNAが暴走しているのだ。

 ――いつも思いつきで行動して、そのたびごとに大変な目にあっているのに、なぎこちゃんはこりたりしない。

 ――なぎこちゃんの親友をやっていると、毎日落ち着くひまもありません。

 ――なぎこちゃんはイノシシというか考えなしというか、あきれてしまうほど感情任せな人です。なぎこちゃんにいつもふりまわされるわたしの身にもなってほしい!

 ――なぎこちゃんの友だちなんかやめてしまって、わたしは二度と友人をつくらない。

「ほら! ほら、ほら! 適当に飛ばし読みしただけで、こんなにも私に対する悪口が出てくる! 友だちなんかやめたいとまで書いてあるじゃない!」

「ちがうの。ちがうんだよ、なぎこちゃん……」

 香子はへなへなとくずれ落ちるようにその場に座りこんでしまった。てっきり激怒してつかみかかってくると思っていたのに。腹の中ではこんなどす黒いことを考えているくせして、面と向かっては何も言えない弱気な子なのだ。平安時代の紫式部も、きっとこんな感じだったのだろう。口で言う勇気がないから、『紫式部日記』に悪口を書いて千年先までその悪意を残したのだ。清少納言はそんな日記残していないのに。やることが卑怯だ。

「私のことを嫌いだったんでしょ? こんなふうに思われているのなら、あんたに気をつかわず、もと子ちゃんに私の本名を教えて『名乗りの儀式』をしていたのに」

「……もと子ってだれ?」

 目に涙をためている香子が、弱々しい声で私を見上げながら言った。そのぬれた瞳をまっすぐ見たわたしは、(香子のキレイな瞳、大好きだった。私、どうして無二の親友をイジメているんだろう?)と、ほんの一瞬だけ自分の良心を取り戻しかけた。しかし、またすぐに頭が割れるように痛みだし、紫式部への敵意が燃え上がる。

「大江もと子。和泉式部ちゃんが本名を教えてくれたの。彼女、私と親友になりたいみたい。なってもいいよね? あんたは私のことを嫌いなんだから」

「そ、そんなことないよ。わたしは、なぎこちゃんのこと……」

「バイバイ、紫式部」

 切り捨てるようにそう言うと、私は部屋を飛び出ていった。


「……取り返しのつかないことをしてしまったわ」

 魂がぬけたように、私はふらふらの足どりで桜のトンネルの下を歩いていた。昨日の昼間、私と香子はこの「桜の屋根の道」で仲良く笑い合っていた。それが、今は最悪な関係になってしまっているのだ。完全に自業自得だけれど。

 香子に激しい感情をぶつけた後、私を悩ませていた頭の激痛はウソのようにおさまっていた。悪い幽霊にでもとりつかれていたみたいだ。そして、冷静になり、自分がやったことをふりかえると、全身をかきむしりたいぐらいの自己嫌悪におちいってしまう。

 私だって、親友の香子のことをバカにしている部分もあった。気に入らないと思っていることもあった。人間なんだから、友だちのすべてを大好きだと言えるはずがない。でも、私は思ったことを「あんたバカねぇ」「そういうところをなおしてよ」などとそのまま口にしてしまうタイプだから、ほとんどストレスなく香子とつきあえた。香子は小声で何かぶつぶつ言っていることはあっても、面と向かって言いたいことを言えるタイプではない。それは香子が私よりもおとっているのではなく、そのつつしみ深さが香子の個性なのだ。そんな香子だから、親友の私といてもストレスをためこんでしまうこともあるはずだ。日記に私への不満を書いても、私がそれを責める権利があるだろうか。第一、香子のプライバシーを無視して日記を読むなんて最低なことだ。

「……今ごろになって反省しても後の祭りね……。二人で始めた署名活動もこれでパーかな……。私一人では無理だし。みんなに協力してもらったのに……。全部、私のせいだ……。何だか、自分が嫌になってきた。このままどこかに消えてしまいたいよ……」

「だったら、望み通りにしてあげる」

「え⁉」

 一人きりだと思っていたのに、どこからともなく声がした。

「だ、だれ⁉」

 おどろいた私が周囲を見回すと、突然、桜の木々からたくさんの影が飛び出てきて、花びらたちがハラハラと乱れ散る中、私を包囲した。暗くてよく見えないけれど、全員、忍者の忍び装束のかっこうのようだ。もしかして、私を狙っているという人間がここまで来たの⁉ しまった、サムライ学部に近寄らなかったら大丈夫とか甘いことを考えていたから……。

「お前はもう逃げられない。抵抗しても無駄だ。大人しくついて来い」

 忍者たちの親分らしい人物が私の前に進み出た。一人だけ鎧すがたで、顔には頬当てをしている。頬当てに隠されていない両目が私を憎々しげににらんでいた。

「どこかで聞いたことのある声だと思ったら、あんた、明智光秀くんね? 信長くんが私をおそえとか命令するわけがないし、いったいだれに命令されたのよ。副学園長?」

 光秀くんは「黙れ」と言って刀をさらりと抜くと、その刃を私ののどもとにつきつけた。

「ひっ……!」

「すべてはぼくの意思だ。だれの命令でもない。黙って、ついて来い」

「……わ、分かったわよ」

 わたしは光秀くんに大人しく従い、連行されていった。その時、胸ポケットの文学部のバッジをはずし、こっそり落とした。だれかが気づいてくれるといいけれど……。

香子「ネットに日記をさらされるだけでなく、ついに親友にまで読まれてしまう始末……ぐすん。次の投稿予定は14時です……」

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