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元魔王ですが、始まりの村で人気のパン屋をやっています。  作者: 3色あんこ


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8/10

勇者、ケットシーパンの愛らしさに敗北する



 米粉パンの一件から、しばらく経った頃。

 始まりの村ココットのパン屋では、今日も朝から忙しくパンが焼かれていた。


「いらっしゃいませー!」


 サッシャの低く渋い声が店内に響く。


「サッシャさん、今日のおすすめは?」

「この前から試作していた新作がある」

「本当!?」


 村人たちが一斉に棚を見る。

 しかし──


「……あれ?」

「何かいる」

「猫?」

「いや……」


 棚の中央。

 そこに置かれていたのは、丸くふっくらとしたパンだった。

 尖った耳。

 丸い顔。

 つぶらな瞳。

 そして、ちょこんと伸びた尻尾。

 そして頭に王冠を乗せている。


「……ケットシー?」


 誰かが呟いた。


 ケットシー。


 猫の姿をした魔獣をデフォルメした、可愛らしいパンだった。


「ケットシーパンだ」


 サッシャが胸を張る。


「……かわいい」


 女性客が呟く。


「かわいい……」

「食べるのがもったいない……」

「尻尾まである……」

「これ、絶対人気出るわ」


 サッシャは満足そうに頷いた。


「中にはカスタードを入れてある」

「まあ!」

「絶対美味しい!」


 その時。

──カラン。


「こんにちは」


 銀髪の青年が入ってきた。


「お、ルシオン」

「今日も新作があるんですか?」

「ああ」


 サッシャがケットシーパンを指差す。


「これだ」

「……」


 ルシオンが固まった。


「……」

「どうした?」

「……ケットシーですね」

「そうだ」

「……可愛いですね」

「そうだろう」


 サッシャは得意げだ。


「では、一つください」

「毎度あり」


 ルシオンはケットシーパンを受け取った。

 両手で持ち、正面から見る。


「……」


 つぶらな瞳、尖った耳、ふっくらとした頬、得意気な顔。

 なんとも愛らしい。


「……」


 ルシオンは、パンを口元まで持っていく。


「…………」


 止まった。


「……どうした?」

「いや……」


 もう一度持ち上げる。


「……」


 ケットシーと目が合う。

 もちろんパンなので、実際には目など動かないのだが、


「…………」


 どうしても、食べられない。


「ルシオン?」

「……」

「食べないのか?」

「食べます」

「なら食べろ」

「はい……」


 ルシオンは覚悟を決めた。


「……いただきます」


 口を開ける、ケットシーの耳へ歯が近づく。


「…………」


 ピタッ。止まる。


「…………無理です」

「なぜだ」

「可愛すぎます」

「パンだぞ」

「分かってます!」


 店内から笑い声が起こる。


「勇者様、ケットシーに負けてる!」

「魔獣を倒せるのに!」

「勇者様かわいい!」

「うるさいですよ!」


 ルシオンの顔が赤くなる。

 サッシャは腕を組んだ。


「ふむ……」

「何です?」

「お前、猫が好きなのか?」

「……好きですけど、というか動物全般好きですよ」

「そうか」


 サッシャはケットシーパンを見る。


「なら仕方ない」

「何がです?」

「別のところから食べろ」

「……」

「尻尾とか」

「尻尾は無理です!」

「耳は?」

「もっと無理です!」

「では顔か」

「一番無理です!」


 店内が笑いに包まれる。


「勇者様、頑張って!」

「食べないとパンが冷めちゃうよ!」

「サッシャさん、新しいパン作ってあげたら?」

「そうだな」

「え?」


 サッシャがケットシーパンを持ち上げる。


「顔を潰すのが嫌なら、顔のないケットシーにするか」

「それはもうケットシーじゃないですよ!」


 また笑い声。


 結局。

 ルシオンはケットシーパンを食べることができなかった。


「……」


 店を出たルシオンは、袋の中のケットシーパンを見る。


「……どうしよう」


 食べたい。ものすごく食べたい。

 サッシャのパンだから絶対美味しいはず。

 でも、可愛い。

 その葛藤を抱えたまま宿へ戻ることになった。


──その翌日。


 カラン。


「いらっしゃいませ」

「サッシャさん」

「おう」

「昨日のケットシーパンなんですが」

「食べたか?」

「……まだです」

「まだか」

「でも、ちゃんと食べたいんです」

「なら今日食べろ、ダメになっちまう」

「……頑張ります」


 サッシャは少し考えた。


「そうだ」

「?」

「お前に頼みたいことがある」

「何です?」

「新作の味見だ」

「……味見?」

「ああ」


 サッシャは奥から小さな皿を持ってきた。

 そこには、焼きたてのパンが三つ。


「これは?」

「試作品、これが塩パン、こっちはマーガリン入りのバターロール、こっちが木苺を練りこんだパンだ」

「全部新作?」

「ああ」

「……」


 ルシオンの目が輝いた。


「僕が食べても?」

「お前なら味について正直に言うからな」

「……」

「甘すぎる、硬い、香りが弱い。そういうことを遠慮なく言ってくれ」

「……」

「今後は新作ができたらお前に食べてもらいたいと思ってる」

「……!」


 ルシオンは胸を張った。


「任せてください!」

「頼む」

「勇者として──」

「パン屋の味見係としてだ」

「……はい」


 こうして勇者ルシオンは、サッシャの新作パン味見係に昇級した。


「では、一つ目」

「いただきます」


 ぱく。


「うん。美味しいです」

「二つ目」


 ぱく。


「これは少し生地が甘すぎるかもしれませんマーガリンにはパン本来の味が合うかと」

「なるほどな」

「三つ目は……」


 ぱく。


「香りは良いですけど、もう少し木苺の果肉を感じられると食感が良くなると思います」

「ふむ」


 サッシャは真剣にメモを取る。

 ルシオンも真剣だ。


「……なんだか楽しいですね」

「そうか?」

「はい」

「ならよかった」


 その光景を見ていた村人が呟く。


「勇者様、すっかりパン屋の人だねぇ」

「本当ね」

「最初はずっとよそよそしい感じだったのにね」

「今じゃ新作パンの味見してるわよ」

「平和ねぇ」


 本当に平和だった。


 そしてその日の午後。

 ルシオンは再びケットシーパンを手にしていた。


「……」


 サッシャが横から見る。


「今度こそ食うのか?」

「はい」

「頑張れ」

「……いただきます」


 ルシオンは目を閉じた。

 そして──ぱくっ。


「……!」


 耳を一口。


「……美味しい」

「そうだろう」

「……美味しいです」


 ルシオンは少し寂しそうにパンを見る。


「でも……」

「何だ?」

「顔が……」

「まだ気にしているのか」

「だって……」


 ルシオンはケットシーパンを見つめる。


「こんなに可愛いのに……」


 サッシャはしばらく黙っていた。


「……次はもう少し可愛くするか」

「なぜ!?」

「お前がもっと困るだろう」

「サッシャさん!?」


 店内に笑い声が響く。

 こうして元魔王と勇者の距離は、また一つ縮まった。

 そしてサッシャの店には、新たな常連が誕生した。


『新作パン味見係・勇者ルシオン』。


 なお本人は、


「次の新作、何ですか?」

「まだ秘密だ」

「気になります!」


 すっかり楽しみにしていた。

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