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元魔王ですが、始まりの村で人気のパン屋をやっています。  作者: 3色あんこ


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5/10

毎日が平和なココット村、ついに勇者が警戒を弱める!?



 始まりの村ココットは、今日も平和だった。


「いらっしゃいませー!」


 朝のパン屋には、焼きたての香りが満ちている。

 窓の向こうでは、サッシャがパン生地をこねていた。

 大きな手が、生地を力強く押し、折り、また押す。

 無駄のない動き、真剣な眼差し。

 筋肉質な腕に力が入り、シャツの袖が僅かに張る。

 その姿を、店の前を通りかかった若い女性たちが窓越しに見ていた。


「はぁ……」

「……かっこいい」

「分かる……」

「いつも思うけど、サッシャさんって本当に素敵よね」

「ちょっと怖そうなのに、パンをこねてる時はすごく真剣で……」

「しかも、子供に笑いかける時はあんなに優しい顔するのよ」

「ずるいわ……」


 本人には聞こえていない。

 サッシャは今日も黙々とパンをこねている。


「……」


 少し離れたところから、その様子を見ている男がいた。

 ルシオンである。

 勇者として魔王を監視するためにこの村へ滞在している……はずだった。


「……」


 ルシオンは腕を組んで、じっとサッシャを見る。


 魔王サタニトゥス。


 200年前まで、人間領を脅かした魔族の王。

 その正体は間違いなく、このパン屋の店主だ。

 それは分かっているのだが……


「……本当に、楽しそうだな」


 サッシャが焼き上がったパンを窯から取り出す。

 ふわりと立ち上る湯気。


「よし」


 その顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。

 ルシオンは思う。

 魔王なら、もっと何か企んでいてもおかしくない。

 だが、この10年間、サッシャはパンを焼いている。

 村人と話して、子供たちにパンを配っている。



 休みの日には──


「サッシャおじちゃん!」

「おう」


 休日の昼。

 村の広場で子供たちが走り回っている。


「鬼ごっこしよう!」

「俺が鬼か?」

「うん!」

「仕方ないな」

「逃げろー!」


 子供たちが一斉に走り出す。


「待てぇ!」


 サッシャが追いかける。

 大人とは思えないほど本気で走る。


「きゃー!」

「サッシャおじちゃん速い!」

「待て待て!」

「こっちー!」

「そっちは卑怯だろう!」


 笑い声が広場に響く。

 ルシオンは少し離れた場所から眺めていた。


「……」


 魔王。世界を震撼させた存在。

 その男が今は、子供たちと鬼ごっこをしている。


「……まあ」


 ルシオンは小さく笑った。


「悪くないか」



◇


 その日の午後。

 サッシャは木陰に座り、一冊の本を読んでいた。

 風が木々を揺らす。ページをめくる大きな手。

 普段の迫力ある姿とは違い、静かで落ち着いた雰囲気を纏っている。

 その姿を見た女性たちが、また小声で騒いでいた。


「……知的」

「本を読んでるサッシャさん、素敵……」

「いつもの豪快な姿とのギャップが……」

「分かる……」

「今日も目の保養……」


 当の本人は、何も知らずに本を読んでいる。

 少し離れたところでは、ルシオンも木にもたれながら本を読んでいた。

 ふと顔を上げると、サッシャと目が合った。


「……」

「……」

「何を読んでる?」


 サッシャが尋ねる。


「歴史書です」

「ほう」

「魔王サタニトゥスの時代について」

「…………」

「何です?」

「いや」


 サッシャは本へ視線を戻した。


「趣味が悪いな」

「本人に言われると複雑ですね」


 ルシオンは笑った。

 サッシャも僅かに笑う。


「お前も休むのか?」

「勇者だって休みますよ」

「そうか」

「サッシャさんは?」

「余……じゃなかった」


 一瞬、サッシャが言葉を止める。


「俺は、パン屋だからな。休みくらいある」


 ルシオンは笑った。


「確かにそうですね」


 その言葉に、以前ほどの警戒心はなかった。



◇


 翌日、ルシオンとサッシャがパン屋で雑談していると。

 カラン、とパン屋の扉が開く。


「いらっしゃいませ」


 サッシャが顔を上げる。


「……あ」


 そこにいたのは──


「こんにちは、サッシャさん」


 ミラだった。

 黒く長い髪、透き通るような肌、宝石のような吸い込まれる赤い瞳、誰もが見惚れる美貌。

 今日も変わらず美しい。


「おう、ミラ来たのか」

「はいフェンリルパンを5つください」

「5つ?」

「ええ」

「この前より増えたな」

「気に入ったもので」

「そうか」


 サッシャは棚からパンを取り出す。

 その瞬間。


「お前っ!?」


 ルシオンが立ち上がった。

 ミラが振り返る。


「あら」

「なぜここに!?」

「なぜ?」


 ミラは首を傾げる。


「パンを買いに来たのですが?」

「いや、そうじゃなくて!」

「では何でしょう?」

「お前は──」


 ルシオンが言いかけると、サッシャがちらりと見る。


「店内で騒ぐな」

「……」


 ルシオンは口を閉じた。

 ミラも何事もなかったようにパンを受け取る。


「サッシャさん、お代です」

「ああ」

「ありがとうございます」

「それから」


 サッシャが奥から大きな紙袋を持ってくる。


「この前頼まれていた、部下たちの分のパンだ」

「まあ」


 ミラの表情が少し明るくなる。


「ありがとうございます」

「数は合っているか?」

「…13…14…ええ、助かります」

「ならいい」

「では、また」

「ああ」


 ミラが店を出ていく。


「…………」


 ルシオンは固まっていた。


「…………え?」


 サッシャが振り返る。


「どうした?」

「え?」

「何だ、その腑抜けた顔は」

「いや……」


 ルシオンはミラが去っていった扉を見る。


「ミラが……普通にパンを買っていった……?」

「普通に客だろう」

「まお、んん”っ!えっと、だから……」

「今は客だ」

「しかも部下の分まで……」

「頼まれたから作った、前金は貰ってる」

「……」


 ルシオンの頭の中で、何かが崩れていく。

 そこへ店内にいた村人が口を挟んだ。


「勇者さん、知らないのかい?」

「え?」

「ミラさんは、こうやって時々サッシャさんのパンを買いに来てくれるんだよ」

「……そうなん、ですか?」

「ああ」

「かなり前からだよ」

「……」


 別の村人が、うっとりと扉を見る。


「はあ……今日もミラ様、美しい……」

「分かる」

「本当に綺麗よねぇ」

「サッシャさんの知り合いって聞いてびっくりしたわ」


 ルシオンは呆然としていた。


「……」


 魔王軍幹部。

 始祖(エンシェント)吸血鬼(ヴァンパイア)。

 かつて人間たちが恐れた存在。

 それがフェンリルパンを5個買って部下の分のパンまで取り置いてもらって帰った。


「……何なんだ、この村」


 サッシャは肩をすくめる。


「平和な村だ」

「そ…そうですね」


 ルシオンは、思わず笑った。

 それから数日、シオンは毎日のようにパン屋へ通うようになった。


「サッシャさん、今日は何があります?」

「ドラゴンパン」

「ください」

「それだけでいいのか?」

「あとキマイラパンも」

「食いすぎじゃないか?」

「美味しいんですよ」

「そうか」


 また別の日。


「サッシャさん、これ何です?」

「新作のサラマンダーカレーパンだ」

「食べていいですか?」

「味見してみろ」

「いただきます」


 ぱく。


「……美味しい」

「そうか」


 また別の日。

 子供たちと遊ぶサッシャを見て。


「勇者のお兄ちゃんも一緒にやろう!」

「僕も?」

「うん!」

「……じゃあ、少しだけ」

「やった!」


 気づけばルシオンも、子供たちと走り回っていた。


「勇者お兄ちゃん速い!」

「サッシャおじちゃんも速いよ!」

「なら競争します?」

「いいぞ」

「負けませんよ」

「ほう」


 そして。


「「よーい、どん!」」


 二人の大人が本気で子供たちを追いかける。

 その光景を見ていた村の女性たちは──


「……」

「……目の保養すぎない?」

「サッシャさんとルシオン様が並んでる……」

「二人ともタイプが違うのよ……!」

「サッシャさんは大人の色気があって、ルシオン様は爽やかで……」

「無理……」

「何が?」

「尊すぎて無理……」

「すごくわかる」


 村の女性たちが静かに撃沈していく。

 そんなこととは知らず、サッシャとルシオンは、子供たちと笑っていた。


 その日の夕暮れ。

 ルシオンは一人、宿へ戻る道を歩いていた。


「……」


 最初は、監視するつもりだった。

 魔王が何か企んでいないか。

 人間領へ危害を加えるつもりがないか。

 少しでも怪しい動きがあれば、すぐに報告するつもりだった。


「……あの人」


 ルシオンは振り返る。

 遠くに見えるパン屋。

 窓から漏れる暖かな明かり。

 店の中ではサッシャが明日の仕込みをしている。


「魔王なんだろうけど……」


 10年前まで、確かに魔王だった。

 それは変わらない。


「……毎日、楽しそうなんだよな」


 パンを焼き、子供と遊び、本を読んで、村人と笑い、休日を楽み、美味しいパンを食べる。

 そんな当たり前の毎日を、サッシャは心から楽しんでいる。


「普通の人……なんだろうな」


 ルシオンは苦笑する。


「いや、魔族だけど」


 それでも勇者としての警戒心は、確かに残っている。

 だが以前のような殺意の籠った敵意は、もうなかった。



◇


 翌朝。


 パン屋の扉が開く。


 カラン。


「いらっしゃいませー」

「おはようございます、サッシャさん」

「おう、今日は早いな」

「パンを買いに来ました」

「いつものか?」

「はい」


 サッシャは笑う。


「毎度あり」


 ルシオンもつられて笑った。

 こうして勇者は今日も、元魔王のパン屋へ通う。


 監視のため──という名目を、かろうじて残したまま。

 だが実際には、もうすっかりこのパン屋に来るのが楽しみになっていた。

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