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元魔王ですが、始まりの村で人気のパン屋をやっています。  作者: 3色あんこ


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4/10

消えた魔王の行方、現在パン屋経営中。警戒を強める勇者!



 翌朝。


 始まりの村ココットにある宿屋の一室で、勇者ルシオンは一枚の古びた資料を睨んでいた。


「……魔王サタニトゥス」


 資料に記されているのは、10年前まで魔族領を統べていた男についての記録。


 魔王。


 1000年以上、王座に君臨し、かつては人間領への侵攻を率いた存在。

 だが、200年前に大規模な侵攻を停止。

 以降は人間領との戦争を避け、交易や外交を進めるようになった。

 そして10年前──突然、姿を消した。


「……」


 ルシオンは資料をめくる。

 魔王の容姿。


 黒髪。

 鋭い赤い目。

 長身。

 そして──膨大な魔力。


「全部一致してるんだよな……」


 昨日出会ったパン屋の店主、サッシャ。

 どう考えても怪しい。

 いや怪しいどころではない、ほぼ本人だ。


「……なのに」


 ルシオンは額を押さえた。


「なんでパン屋なんだ」


 そこだけが、どうしても理解できなかった。

 魔王が10年も姿を隠している。

 それならば、何か企んでいると考えるのが普通だ。

 力を蓄えているのかもしれない。

 新たな侵攻計画を立てているのかもしれない。


 あるいは──


「世界征服のための資金を、パン屋で稼いでいる……?」


 そこまで考えてルシオンは自分で首を振った。


「……いや、それはないか」


 だが警戒は必要だ。

 勇者として、そして何より、人間側を守る者として。

 ルシオンは立ち上がった。


「今日も様子を見に行こう」


 そうして向かった先は、もちろんパン屋だった。


 カラン。


「いらっしゃいませー……って」


 サッシャが顔を上げる。


「お前か」

「おはようございます」

「朝から来るとはな」

「昨日、また来ると言ったでしょう」

「そうだったな」


 サッシャは淡々と答えながら、焼き上がったパンを並べている。

 ルシオンは店内を見回す。


「……」


 怪しいところはない。

 こじんまりとはしているものの普通のパン屋だ。

 客も村人ばかり。


「何にする?」

「そうですね……」


 ルシオンは棚を見る。

 ドラゴンパン。

 グリフォンパン。

 ウルフパン。

 フェンリルパン。

 そして普通の丸パンやクロワッサンやバケットなど。


「……フェンリルパンを」

「またか」

「気に入ったので」

「そうか」


 サッシャはパンを包む。

 ルシオンはその手元を観察する。

 魔力を使っていないか。

 何か特殊な術式を仕込んでいないか。

 毒など入れていないか。


「……」

「何をそんなに見ている」

「いえ」

「パンに毒でも入っていると思っているのか?」

「そこまでは思ってません」

「ならいい」


 サッシャは包みを渡した。


「銀貨一枚だ」

「はい」


 ルシオンは代金を払い、そして一口。


「……」

「どうだ?」

「美味しいです」

「そうか」


 サッシャは満足そうに頷いた。


──何なんだ、この人。


 ルシオンは思う。

 昨日は魔王だと確信したが、目の前にいるのは、ただのパン屋の店主だ。

 客が来れば笑顔で迎え、子供には熱いから気をつけろと声をかけ、老人が来れば重い荷物を運んでやり、パンが焼ければ嬉しそうに窯を覗く。


「……」


 ルシオンがぼんやり眺めていると。


「サッシャさーん!」


 店の外から声がした。


「ん?」


 村の少年が顔を覗かせる。


「今日もグリフォンパンある?」

「ああ」

「じゃあ二つ!」

「ほら、熱いから気をつけろよ」

「ありがとう!」


 少年は嬉しそうにパンを抱える。

 その直後。


「あちちっ!」

「だから熱いと言っただろう」


 サッシャが慌てて少年の手を取る。


「大丈夫か?」

「う、うん……」

「無理して持つな」


 サッシャはパンを包み直し、少年へ渡した。


「ほら。これなら持てる」

「ありがとう!」


 少年が走っていく。

 ルシオンはその様子を見ていた。


「……優しいんですね」

「普通だろう」

「魔王も、子供には優しいんですか?」

「……」


 サッシャの動きが止まる。


「子供みたいな部下が多かったからな」

「そうなんですか」

「ああ」


 少しだけ遠くを見るような目。


「子供に罪はないからな」

「……」


 ルシオンは何も言えなかった。

 その時。


「サッシャさーん!」


 また別の子供が駆け込んでくる。


「今日はドラゴンパンじゃなくてウルフパン!」

「おう!」

「あとね、お母さんが昨日のフルーツパン美味しかったって!」

「そうか、ありがとうなって伝えておいてくれ!」


 サッシャは笑った。


──やっぱり。


 ルシオンは思った。

 この人が本当に魔王なのだろう。そう疑う気持ちは、まだ消えない。

 だが昨日までとは少し違う。

 サッシャがパンを焼く姿を見ていると、不思議と剣を抜く気にはなれなかった。


 それどころか──


「……サッシャさん」

「なんだ?」

「新作はありますか?」

「あるぞ」

「どんなパンです?」

「秘密だ」

「気になります」

「なら明日来い」

「……」


 ルシオンは少し笑った。


「分かりました」


 その日の夕方。

 ルシオンは宿へ戻る途中で、ふと足を止めた。


「……僕は何をしているんだ」


 魔王を監視するために始まりの村へ来た。

 なのに今日買ったパンは3つ。

 明日の新作も気になっている。


「……」


 ルシオンは手元の紙袋を見る。

 中には、最後に買ったフェンリルパンが一つ。

 可愛らしい顔をしている。


「……食べよう」


 ぱく。


「……美味しい」




その夜。


 宿の一室で、ルシオンは王国へ提出する報告書を書いていた。

 机の上には、王国から渡された正式な報告書用紙。

 羽根ペンを手に取り、今日までの出来事を整理する。

 まずは事実からだ。

 ルシオンは筆を走らせた。


──始まりの村にて、魔王サタニトゥスと思われる人物を確認。


「……」


 そこで一度、筆が止まる。

 間違いない。

 あの男は、かつて自分たちが討伐を目指した魔王サタニトゥスだ。

 本人も否定していない。

 だから、ここまでは問題ない。

 ルシオンは続ける。


──現在、同村にてパン屋を経営。


「……」


 筆先が止まった。

 ルシオンは書きかけの文章を見つめる。


「…………」


 少し考える。

 そして、紙を見つめたまま呟いた。


「……これ、報告してどうするんだ?」


 魔王がパン屋を経営している。

 確かに重要な情報ではある。

 しかしその男が毎朝パンを焼いて、子供たちと遊んで、新作パンを作って、村人たちから慕われていること。

 そして──


「……」


 今日もルシオンに新作パンの味見を頼んできたこと。


「…………」


 ルシオンは筆を置いた。


「……いや」


 もう一度紙を見る。

 そこには、


──始まりの村にて、魔王サタニトゥスと思われる人物を確認。


 その一文だけが残っている。


「……これ以上書いたら」


 サッシャの顔が浮かんだ。


『おう、ルシオン。今日も来たか』

『焼きたてだぞ』

『気をつけて食えよ』


 そして、あの豪快な笑顔。


「……」


 ルシオンは椅子に深くもたれた。


「……サッシャさん、怒るだろうな」


 いや、怒るだけならまだいい。

 王国が大騒ぎして、調査隊でも送り込もうものなら──


「……パン屋、続けられなくなるかもしれない」


 それはなぜだか嫌だった。

 ルシオンはしばらく黙っていた。

 やがて報告書を畳む。


「……まだしばらく報告しなくていいか」


◇


 翌朝、パン屋の扉が開かれる。


──カラン。


「いらっしゃいませ」

「おはようございます、サッシャさん」

「おう、今日は早いな」

「新作が気になって」

「そうか」


 サッシャは焼きたてのパンを一つ取り出す。


「これだ、サンドワームコロネ」

「……!」


 焼きたての香りが広がる。

 ルシオンは思わず笑った。


「いただきます」


 ぱくっ。


「……美味しい」

「そうか」

「サッシャさん」

「なんだ?」

「あなた、本当に魔王だったんですか?」


 サッシャは少しだけ考える。


「だったな」

「……そうですか」

「何だ?」

「いえ」


 ルシオンは笑う。


「パン屋さんだな、と思って」

「そうだパン屋だ」


 ルシオンはもう一口食べる。

 魔王への警戒は、まだ解いていない。

 けれど、勇者の中では『討伐対象としての魔王』より、『パン屋のサッシャ』の存在が少しずつ大きくなり始めていた。



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