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元魔王ですが、始まりの村で人気のパン屋をやっています。  作者: 3色あんこ


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2/10

パン屋の店主は元冒険者疑惑!?魔王幹部が来店!



 始まりの村、ココットには、一軒の小さなパン屋がある。


 店の名前は──『サッシャのパン屋』。


 朝早くから漂う香ばしい匂いに誘われて、村人たちが次々と店へやってくる。


「サッシャさん、いつもの!」

「はいよ」

「今日は何が焼けてる?」

「ドラゴンパンとウルフパン、それから新作のグリフォンパンだ」

「じゃあグリフォンパンを二つ!」

「毎度あり」


 サッシャは大きな手でパンを包み、客へ手渡す。

 その身体は、パン職人とは思えないほど鍛え上げられていた。

 太い腕。

 広い肩幅。

 分厚い胸板。

 シャツの袖から覗く腕など、そこらの冒険者よりよほど逞しい。

 顔立ちも鋭い。

 黙っていれば、近寄りがたいほどの迫力がある。


 だが──


「ありがとうございました」


 にこっ。


 笑うと、妙に愛嬌がある。


「……」


 パンを受け取った若い女性が、固まった。


「……あの」

「ん?」

「い、いえ!何でもありません!」


 女性は顔を赤くして、そそくさと店を出ていく。

 その背中を見送ったサッシャは首を傾げた。


「……腹でも痛いのか?」


 隣でパンを買っていた村人が笑い出す。


「サッシャさん、あんた本当に鈍いねぇ」

「何がだ?」

「いや、何でもないよ」


 実はこのパン屋。

 密かな人気店である。

 そして何を隠そう、店主であるサッシャにも──密かなファンがいる。


「今日もサッシャさん、格好良かった……」

「分かる。あの腕、すごいよね」

「でも笑うと可愛いのよ」

「そう!あの笑顔がいいの!」

「それに魔獣のこと、何でも知ってるのよね」

「昔、冒険者だったって話じゃない?」

「そうそう。かなり凄腕だったって聞いたわ」

「なるほど……だからあんなに逞しいのね」


 店の外でそんな会話が交わされているとも知らず、サッシャは黙々とパンを焼いていた。

 村人たちの間では、いつの頃からかこんな噂が流れている。


──サッシャは、昔は凄腕の冒険者だった。


 実際には違う。

 だが、否定する理由もない。


「サッシャさんって、どんな魔獣と戦ったことがあるんです?」


 ある日、冒険者志望の少年が尋ねた。


「魔獣?」

「はい!」

「そうだな……フェンリル、ドラゴン、グリフォン、キマイラ……」

「ええっ!?」


 少年の目が輝く。


「そんなに!?」

「他にも色々いたな」

「すごい!」


 サッシャは少し考える。


「フェンリルは昔から気性が荒かったし、ドラゴンは酒癖が悪かった。グリフォンは──」

「サッシャさん」


 少年の母親が苦笑する。


「それ、本当に冒険者時代の話なんですか?」

「……まあ、そんなところだ」


 サッシャは目を逸らした。

 実際には全部、元魔王軍の配下たちである。

 フェンリルもドラゴンも、グリフォンも。

 彼らを従えていたのは、冒険者ではなく──


「サッシャさん!」

「ん?」

「今日もフェンリルパンください!」

「ああ。焼きたてだ」


 そんな平和な毎日を、サッシャは気に入っていた。


 だが、その日の午後。

 店の扉が、静かに開いた。


カラン──


「いらっしゃいませ」


 サッシャが顔を上げると、一瞬、動きを止めた。

 店内に入ってきたのは、一人の女性だった。


 長く艶やかな金髪。

 血のように赤い瞳。

 透き通るような白い肌。

 整った顔立ちは、まるで人形のように美しい。

 歩くだけで視線を奪う。


 店内にいた客たちも、思わず彼女へ目を向けてしまった。


「……綺麗」


 誰かが呟いた。

 その女性は、そんな視線にも慣れているのか、特に気にした様子もなく店内を見渡した。


 そして──サッシャと目が合う。


「……久しぶりですね」

「……ああ」


 サッシャは少しだけ目を細めた。


「ミラ」


 始祖(エンシェント)吸血鬼(ヴァンパイア)。

 かつて魔王軍の幹部として、サタニトゥスの右腕とも呼ばれた女。

 その実力は、魔族の中でも別格。

 そして──


「今日は客として来たのか?」

「ええ」


 ミラは微笑む。


「この村のパンが美味しいと聞いたものだから」

「そうか」


 サッシャは何も言わない。

 ミラも何も言わない。

 かつて魔王とその幹部だった二人。

 だが今、この店には魔族と人間の区別などない。


「おすすめは?」

「そうだな」


 サッシャは棚を見る。


「今日はフェンリルパンが焼きたてだ」

「……フェンリル?」

「ああ」


 ミラはパンを見つめた。

 丸く可愛らしくデフォルメされた狼。

 つぶらな瞳。

 小さな耳。

 ふっくらとした身体。


「…………」

「どうした?」

「……これ、本当にフェンリル?」

「ああ」

「随分と可愛らしくなったわね」

「子供のフェンリルはこんなもんだろ」

「ふふっ、確かに」


 ミラが小さく笑う。

 その美貌も相まって、店内の空気が一瞬で華やいだ。


「では、それを一つ」

「毎度あり」


 サッシャがパンを包む。

 ミラはそれを受け取ると、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「……相変わらずね」

「何がだ?」

「いえ。何でもないわ」


 そしてミラは店を出ていった。

 その姿を見送った村人たちは、しばらく呆然としていた。


「……今の人、誰?」

「知らない」

「ものすごく綺麗だったな……」

「サッシャさんの知り合い?」

「そうみたいだね」


 一方。

 店の奥ではサッシャが腕を組んで考えていた。


「……ミラがわざわざ来るとはな」


 嫌な予感がする。

 あの女が、何の用もなく自分のところへ来るとは思えない。


 すると──


──カラン。


 再び扉が開いた。

 先ほどのミラだった。


「サッシャさん」

「なんだ?」

「フェンリルパン、もう一ついただけます?」

「……食べるのか?」

「ええ」

「そうか」


 サッシャはパンを包む。


「毎度あり」


 ミラは嬉しそうに受け取った。


「ありがとう」

「……」

「……何?」

「いや」


 サッシャは目を細める。


「お前、昔より甘いものが好きになったか?」

「さあ?」


 ミラは微笑む。


「昔は食事など必要なかったもの」

「そうだったな」

「でも──」


 ミラはパンの包みを大切そうに抱えた。


「今は、こういうものも悪くないと思うの」

「……そうか」

「ええ」


 ミラは再び店を出ていった。

 サッシャはその背中を見送りながら、少しだけ笑った。


──そして翌日。


「サッシャさん」

「なんだ?」

「昨日の美人さん、また来たよ」

「そうか」

「知り合いなの?」

「ああ。昔からの知り合いだ」

「へえ……」


 村人たちは顔を見合わせる。


「やっぱりサッシャさんって、元冒険者なんじゃない?」

「だよな」

「きっと旅先で知り合ったんだよ」

「それにしても、あんな美人と知り合いなんて……」


 サッシャはそんな会話を聞き流しながら、次のパンを窯へ入れる。

 自分が元魔王だと疑われることよりも。

 ミラが村に頻繁に来ることよりも。

 何より気になっていたのは──


「……フェンリルパン、そんなに美味かったか?」


 元配下の好みが変わったことだった。

 なお、その日からミラは、週に一度の頻度でパン屋へ通うようになった。

 そして村では、別の噂が生まれることになる。


──サッシャには、ものすごく美人な恋人がいるらしい。


「……なぜそうなる」


 噂を聞いたサッシャは、頭を抱えた。

 今日も始まりの村ココットは、平和である。

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