パン屋の店主は元冒険者疑惑!?魔王幹部が来店!
始まりの村、ココットには、一軒の小さなパン屋がある。
店の名前は──『サッシャのパン屋』。
朝早くから漂う香ばしい匂いに誘われて、村人たちが次々と店へやってくる。
「サッシャさん、いつもの!」
「はいよ」
「今日は何が焼けてる?」
「ドラゴンパンとウルフパン、それから新作のグリフォンパンだ」
「じゃあグリフォンパンを二つ!」
「毎度あり」
サッシャは大きな手でパンを包み、客へ手渡す。
その身体は、パン職人とは思えないほど鍛え上げられていた。
太い腕。
広い肩幅。
分厚い胸板。
シャツの袖から覗く腕など、そこらの冒険者よりよほど逞しい。
顔立ちも鋭い。
黙っていれば、近寄りがたいほどの迫力がある。
だが──
「ありがとうございました」
にこっ。
笑うと、妙に愛嬌がある。
「……」
パンを受け取った若い女性が、固まった。
「……あの」
「ん?」
「い、いえ!何でもありません!」
女性は顔を赤くして、そそくさと店を出ていく。
その背中を見送ったサッシャは首を傾げた。
「……腹でも痛いのか?」
隣でパンを買っていた村人が笑い出す。
「サッシャさん、あんた本当に鈍いねぇ」
「何がだ?」
「いや、何でもないよ」
実はこのパン屋。
密かな人気店である。
そして何を隠そう、店主であるサッシャにも──密かなファンがいる。
「今日もサッシャさん、格好良かった……」
「分かる。あの腕、すごいよね」
「でも笑うと可愛いのよ」
「そう!あの笑顔がいいの!」
「それに魔獣のこと、何でも知ってるのよね」
「昔、冒険者だったって話じゃない?」
「そうそう。かなり凄腕だったって聞いたわ」
「なるほど……だからあんなに逞しいのね」
店の外でそんな会話が交わされているとも知らず、サッシャは黙々とパンを焼いていた。
村人たちの間では、いつの頃からかこんな噂が流れている。
──サッシャは、昔は凄腕の冒険者だった。
実際には違う。
だが、否定する理由もない。
「サッシャさんって、どんな魔獣と戦ったことがあるんです?」
ある日、冒険者志望の少年が尋ねた。
「魔獣?」
「はい!」
「そうだな……フェンリル、ドラゴン、グリフォン、キマイラ……」
「ええっ!?」
少年の目が輝く。
「そんなに!?」
「他にも色々いたな」
「すごい!」
サッシャは少し考える。
「フェンリルは昔から気性が荒かったし、ドラゴンは酒癖が悪かった。グリフォンは──」
「サッシャさん」
少年の母親が苦笑する。
「それ、本当に冒険者時代の話なんですか?」
「……まあ、そんなところだ」
サッシャは目を逸らした。
実際には全部、元魔王軍の配下たちである。
フェンリルもドラゴンも、グリフォンも。
彼らを従えていたのは、冒険者ではなく──
「サッシャさん!」
「ん?」
「今日もフェンリルパンください!」
「ああ。焼きたてだ」
そんな平和な毎日を、サッシャは気に入っていた。
だが、その日の午後。
店の扉が、静かに開いた。
カラン──
「いらっしゃいませ」
サッシャが顔を上げると、一瞬、動きを止めた。
店内に入ってきたのは、一人の女性だった。
長く艶やかな金髪。
血のように赤い瞳。
透き通るような白い肌。
整った顔立ちは、まるで人形のように美しい。
歩くだけで視線を奪う。
店内にいた客たちも、思わず彼女へ目を向けてしまった。
「……綺麗」
誰かが呟いた。
その女性は、そんな視線にも慣れているのか、特に気にした様子もなく店内を見渡した。
そして──サッシャと目が合う。
「……久しぶりですね」
「……ああ」
サッシャは少しだけ目を細めた。
「ミラ」
始祖吸血鬼。
かつて魔王軍の幹部として、サタニトゥスの右腕とも呼ばれた女。
その実力は、魔族の中でも別格。
そして──
「今日は客として来たのか?」
「ええ」
ミラは微笑む。
「この村のパンが美味しいと聞いたものだから」
「そうか」
サッシャは何も言わない。
ミラも何も言わない。
かつて魔王とその幹部だった二人。
だが今、この店には魔族と人間の区別などない。
「おすすめは?」
「そうだな」
サッシャは棚を見る。
「今日はフェンリルパンが焼きたてだ」
「……フェンリル?」
「ああ」
ミラはパンを見つめた。
丸く可愛らしくデフォルメされた狼。
つぶらな瞳。
小さな耳。
ふっくらとした身体。
「…………」
「どうした?」
「……これ、本当にフェンリル?」
「ああ」
「随分と可愛らしくなったわね」
「子供のフェンリルはこんなもんだろ」
「ふふっ、確かに」
ミラが小さく笑う。
その美貌も相まって、店内の空気が一瞬で華やいだ。
「では、それを一つ」
「毎度あり」
サッシャがパンを包む。
ミラはそれを受け取ると、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「……相変わらずね」
「何がだ?」
「いえ。何でもないわ」
そしてミラは店を出ていった。
その姿を見送った村人たちは、しばらく呆然としていた。
「……今の人、誰?」
「知らない」
「ものすごく綺麗だったな……」
「サッシャさんの知り合い?」
「そうみたいだね」
一方。
店の奥ではサッシャが腕を組んで考えていた。
「……ミラがわざわざ来るとはな」
嫌な予感がする。
あの女が、何の用もなく自分のところへ来るとは思えない。
すると──
──カラン。
再び扉が開いた。
先ほどのミラだった。
「サッシャさん」
「なんだ?」
「フェンリルパン、もう一ついただけます?」
「……食べるのか?」
「ええ」
「そうか」
サッシャはパンを包む。
「毎度あり」
ミラは嬉しそうに受け取った。
「ありがとう」
「……」
「……何?」
「いや」
サッシャは目を細める。
「お前、昔より甘いものが好きになったか?」
「さあ?」
ミラは微笑む。
「昔は食事など必要なかったもの」
「そうだったな」
「でも──」
ミラはパンの包みを大切そうに抱えた。
「今は、こういうものも悪くないと思うの」
「……そうか」
「ええ」
ミラは再び店を出ていった。
サッシャはその背中を見送りながら、少しだけ笑った。
──そして翌日。
「サッシャさん」
「なんだ?」
「昨日の美人さん、また来たよ」
「そうか」
「知り合いなの?」
「ああ。昔からの知り合いだ」
「へえ……」
村人たちは顔を見合わせる。
「やっぱりサッシャさんって、元冒険者なんじゃない?」
「だよな」
「きっと旅先で知り合ったんだよ」
「それにしても、あんな美人と知り合いなんて……」
サッシャはそんな会話を聞き流しながら、次のパンを窯へ入れる。
自分が元魔王だと疑われることよりも。
ミラが村に頻繁に来ることよりも。
何より気になっていたのは──
「……フェンリルパン、そんなに美味かったか?」
元配下の好みが変わったことだった。
なお、その日からミラは、週に一度の頻度でパン屋へ通うようになった。
そして村では、別の噂が生まれることになる。
──サッシャには、ものすごく美人な恋人がいるらしい。
「……なぜそうなる」
噂を聞いたサッシャは、頭を抱えた。
今日も始まりの村ココットは、平和である。




