第8話 ホームシック
酒場の空気が張り詰めていた。カウンター越しに向けられるアンズーの鋭い視線に、ツカサの動悸が早くなる。雑音は耳に入らない。目は落ち着きを失い、視線が定まらなかった。
「オザキ・ツカサ、おまえは何者だ?」
ツカサは言葉に詰まる。質問の答え方もわからず、アンズーに圧倒されてうまく言葉がでない。なにも答えないツカサに、アンズーは話を続ける。
「別の世界から来て、変種のリザードマンに狙われる……。そんな得体の知れないやつを信用できると思うか?」
アンズーの言葉が次々とツカサに刺さる。ツカサはアンズーからホコリの溜まった机に視線を落とす。
「さっきも言ったが、アルシアはいい子だ。人を疑わないし、すぐ助けようとする。そんなんだから、放っておけねぇんだ」
ツカサは黙っていた。何も言い返せなかった。別世界から来たと言い、命を狙われているのだから、警戒されて当然だ。
「質問を戻すが、お前は何者だ?」
またあの質問が投げ掛けられる。ツカサは下を向いて黙っていた。緊張で言葉が詰まるのもそうだが、質問の答え方がわからなかった。
「ーーなんとか言ったらどうなんだ?そんな怪しい奴をアルシアの側に置いておくわけにはいかねぇ」
アンズーの鋭い視線が、ツカサに突き刺さる。まるで危険人物でないか見極められているような視線だった。この沈黙を破らなければならないと思うも、なにを話せばいいのかわからなかった。
「お、俺は……」
話す内容は考えていないが、声を出した。この状況をどうにかするために。アンズーの眉が動いた気がした。余計に緊張して話しにくい。
「俺は…小崎 司。日本から来た…」
ぼそぼそと話し出すツカサ。アンズーはそれに突っ込むことはなく、ただ黙って聞いていた。ツカサは話しながら言葉をまとめて話し出す。
「日本のトイレでアイツに襲われて……」
ツカサは直近の出来事が記憶に蘇る。あの夕暮れ時、暴虐ハバネロを食べながら、友人と下校した時のこと。トイレで襲われて死にかけたこと。アルシアに介抱されて恥ずかしかったこと。カレオトキシン襲われて心の底から怯えたこと。異世界に来てしまって困惑したこと。
ツカサの視界が滲んでいた。頬に涙が伝う。アンズーが目を丸くした。せっかく話し出したのに、また口を噤んだ。
「おいおい…大丈夫か?」
言い過ぎたと思ったアンズーが焦った様子でカウンターから立ち上がる。ツカサの膝に涙がこぼれ落ちる。
「大丈夫か?少し落ち着けよ」
ツカサの反応に、アンズーの警戒が緩んだ。アンズーはツカサに駆け寄って背中をさすった。アンズーの手は暖かかった。
「俺、家に帰りたい……」
ツカサの背中をさするアンズーの目付きは、鋭いのにどこか優しそうだった。ツカサは声を抑えて静かに泣いている。アンズーは窓から差し込む光に目を向ける。
「ーー帰るにしても、その尻じゃあ帰れないだろ?」
アンズーが優しくツカサに話しかける。アンズーの声が、張り詰めていた空気が徐々に緩くしていた。
「得体の知れない奴だが、今のところはお前自身が危険そうには見えねぇな」
ツカサは何も言葉がでなかった。話したらきっと泣いてしまう。すでに泣いているが、これ以上泣くまいと堪えている。
「だからって、お前のような命を狙われている奴をいつまでも置いておくつもりもねぇ。アルシアに危険が及ぶからな」
アンズーはツカサにしっかりと釘を刺した。あくまでもアルシアが第一優先。ツカサだって、わかっていた。自分のせいで危険な目に遇わせてしまっていた。罪悪感がない訳じゃない。
「尻が治ったら出ていってもらうぞ?」
今にも泣き出しそうな声を振り絞り、ツカサが口を開いた。
「でも俺……文字も読めないし、この世界のことをなんにも知らない。ここから出ていっても1人じゃ生きていけない……」
アンズーがニヤリと笑って自分の胸を叩いた。
「だから、俺がこの世界のことをお前に教えてやる。お前が出てった後も生きていけるくらいのことをな」
そう言って、アンズーはポケットからハンカチを取り出した。アンズーのいかつい見た目とは正反対の可愛らしいハンカチ。ボロボロだけど大切に扱われていそうなハンカチ。
「男がそんな顔するもんじゃないぜ?これで拭いとけ」
ツカサはアンズーから手渡されたハンカチで涙を拭いた。目元には涙の跡が残っていた。ツカサが深呼吸で落ち着こうとしたその時、扉が軋む音を立ててゆっくりと開いた。
「ちょっとアンズーさん、荷物運ぶの手伝って」
「あ、アルシアか!わかった今行く」
アルシアの声が扉の向こうから聞こえてくる。アンズーは焦って席から立つと、脇腹をテーブルの角にぶつけた。その勢いでテーブルが音を立てて倒れ、ホコリが宙を舞う。
「ちょっと、今凄い音したけど大丈夫?」
「アルシア、ツカサが椅子から落ちて尻を打った音だ。大丈夫、今行く」
アンズーが適当な理由で誤魔化した。テーブルを直してアルシアの元へ向かう。ツカサも、涙の跡をなんとか無くそうと顔を必死で擦る。
「ツカサが落ちた?本当に大丈夫なの!?」
アルシアが扉を勢いよく開いた。その横には大きなカバンが2つ置いてあった。その片方はツカサの学生カバンだった。
「アルシアちゃん、荷物貸しな。持っていってやるからよ」
アンズーがアルシアの前に立ち、ツカサを隠そうとする。泣き顔を見せまいと言うアンズーなりの気遣いなのだろう。
「アルシア、俺は大丈夫だよ。椅子から滑って落ちちただけだから」
アルシアがアンズーに荷物を任せると、ツカサの方へ歩み寄る。ツカサの顔を見て心配そうな顔をする。
「泣いた跡みたいなのがあるわよ?本当に大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫だから……」
ツカサは恥ずかしさで思わず顔を反らす。アルシアは一息付くと、荷物の整理に戻った。酒場の中は暖かく、張り詰めていた空気が嘘のようだった。




