第20話 血と糞と沈黙
血と断末魔の飛び交う酒場。アンズーの叫び声が酒場を震わせる。切断されていたカレオトキシンの舌はぐったりと動くのを止めていた。
「ちょ……アンズーこれはどういう……」
セレアが困惑してアンズーに手を伸ばした。しかしその距離は離れていた。ツカサはそれを見ていることしかできなかった。また心が恐怖に染め上げられようとしていた。
「おやおやぁ……こぉれはお美しい女性でぇすねぇ」
カレオトキシンのギョロギョロとした瞳がセレアを捉えた。セレアの後ろの扉から眠っているアルシアが見えた。セレアは一瞬たじろいだ。唾を飲むと、アルシアの眠る部屋の扉を閉めてアンズーに近寄った。
「何をするつもりでぇすかぁ……?」
カレオトキシンが舐めたように倒れ込むアンズーとそのセレアを見下ろす。口からは粘液が糸を引いている。アンズーは腕を押えて顔をしかめている。
「しっかりしなさいよ……」
セレアが折れたアンズーの右腕に手を添える。緑色の光にアンズーの腕が包まれる。その腕はゴリゴリと妙にリアルな音を立てながら徐々に治癒されていく。その時、ソファで見ることしかできなかったツカサの足首に舌が巻き付く。
「あぁぁぁぁあ!!」
舌は万力のような力でツカサの足を絞め上げた。ツカサは痛みで顔をしかめながらもジタバタと足を動かし、ソファを必死で掴む。ツカサは抵抗するも、ズルズルとカレオトキシンに引きずられる。
「離せ離せ離せぇぇぇえ!」
ツカサは叫び、涙を流しながら指の先から血が滲むほどソファを掴む。足をバタバタさせて抵抗すると、足首を絞める力が強くなる。
スカルトロールと交戦中のセリアスは助けには入れない。レフトは腰を抜かして隅で怯えている。ライトは尻から血と糞尿を垂らして倒れている。アンズーもセレアも助けには入れない。
「そぉんなに叫んでも無駄でぇすよぉ?」
抵抗虚しく、ツカサはそのままカレオトキシンの手元に引き寄せられた。舌と粘液でツカサの身体を拘束すると、カレオトキシンはスカルトロールに目配せした。その合図で、スカルトロールはセリアスの剣を弾き飛ばした。
「ツ、カサ……」
アンズーの左腕をツカサに伸ばすも届かない。セレアはツカサが捉えられているのを見て、唇を噛み締めながらアンズーの治療を続ける。その口元には血が滲んでいた。
「……」
セリアスは声にならない声を溢した。剣を弾き飛ばされたセリアスが手元を見つめ、死んだような目がわずかに揺れた。カレオトキシンの背後に回り、スカルトロールが空間に歪みを生み出した。
「それでは皆様、私どもはこれにて失礼いたします」
ツカサを拘束するカレオトキシンとスカルトロールは、その歪みの中へ消えていった。酒場には静寂が流れた。飛び散った血の臭いが漂っている。腰を抜かしていたレフトが倒れるライトに駆け寄る。
「ライト……ライト!」
レフトがライトの肩を揺する。ライトの尻から垂れる血と糞尿は既に止まっていた。鎧でごもったレフトの声が酒場に響く。ライトを揺するたび、金属が擦れ合う音が鳴る。レフトはライトの頭の鎧を外した。
口元からは唾液が垂れていた。ライトの黒目は大きく開いたまま、動きを見せなかった。レフトはライトの顔をまじまじと見つめた。黒い短髪、顎には剃り残しの髭、さっきまでは確かに動いていたそれは、もう動くことはなかった。
レフトの鎧からごもった泣き声が漏れ出す。必死で声を押えようとしている声。セレアは目をつぶりながらアンズーの治療を続ける。倒れたままのアンズーは、血の飛び散った木の床を見ていた。セリアスがレフトの側に歩み寄る。
「……諦めろ」
セリアスがレフトの肩にそっと手を置いた。しかし、その言葉を聞いたレフトが鼻で笑った。
「ーーセリアス様はいつもそうですよ」
レフトの声が酒場に響いた。どこか呆れたようなその声に、セリアスの肩が揺れた。
「話すのが苦手なのは知っています。でも、だからってそんな言い方ないんじゃないですか……?」
レフトの声が震えている。悲しみなのか怒りなのか、レフトの鎧から涙がこぼれ落ちる。その涙がライトの頬を伝う。
「そんな感じだから、トラブルが減らないんですよ……」
レフトは深く呼吸をすると、ライトの頭を優しく床に置いて立ち上がった。セリアスはそのままその場に立ち尽くしていた。
「ーーとりあえず応援を呼びに行きます。我々の力及ばず申し訳ございませんでした……」
レフトはアンズーとセレアに深々と頭を下げると、その場を離れるようにして酒場から去っていった。再び酒場には沈黙が訪れた。アンズーは折れた腕が治ると、セレアに感謝をしてからセリアスの元へ歩いていった。セレアはその場で座っていた。
「あいつに謝った方がいいんじゃねぇか?」
アンズーがセリアスの肩を優しく叩いた。セリアスの視線は足元のライトに向いていた。
「……すまん」
セリアスはライトに向かって小さく呟いた。返事はなかった。セリアスは拳を強く握りしめる。死んだような瞳の奥には確かな怒りが宿っていた。
* * * * *
水の滴る音が響く。日の光が差し込まない冷たく薄暗い空間。ツカサはゆっくりと目を覚ました。
「こ、ここは……」
ツカサが動こうとしたとき、ジャラジャラと金属音が聞こえた。手が動かない。視線を落とすと、手首には冷たい鉄の輪がはめられ、その先は壁に繋がれていた。
「あ、目が覚めたのだな!」
ツカサの目の前から甲高い声が聞こえた。その声はトンネルの中のように声が反響していた。ツカサはあまりの音に顔をしかめる。その声の方に視線を移すと、ウサギとネズミの中間みたいな顔をした何かがそこにいた。




