第12話 血便の恐怖
その声を聞いた途端、反射的にツカサの尻が引き締まった。治まりかけていた痛みが蘇り、足の力が抜けていく。恐る恐る、ツカサは後ろを振り返った。
「ーーあれ……?」
そこには誰の姿もなかった。ただ石畳の道があるだけ。ツカサはホッと胸を撫で下ろして、アルシアの方へ視線を移そうとした時。アルシアが路地の闇に蠢く影を捉えた。
「ツカサ危ない!」
風の刃がアルシアの手から放たれた。それは空を切り、石畳を削るだけだった。ツカサが驚いて声を出そうとすると、カタカタとした軋むような音がツカサを包囲する。その音が徐々に近付いてくる。ツカサは不安に刈られて植木鉢を抱きしめ、顔を上げた。
そこには、月明かりに照らされる小さな骸骨が立っていた。
「お久しぶりです司様。先日はカレオトキシン殿がお騒がせいたしました」
「スカル……トロール……」
ツカサが恐怖で口を動かす。出てきたのはその言葉だけだった。植木鉢を抱え後退りする。妙に落ち着いているのが不気味だった。スカルトロールがアルシアの存在に気が付くと、表情筋のない笑顔で一礼をした。
「そちらのお嬢様が司様を介抱してくださったのですか。誠にありがとうございます」
「あ、あなたがスカルトロール……?」
アルシアにも状況が理解できなかった。ツカサをトイレで襲い、カレオトキシンの仲間であるスカルトロールが丁寧すぎて理解が追い付いていなかった。
「いかにも、私がスカルトロールにございます。本日は司様のお迎えに上がりました」
マンドラゴラが酷く震えている。ルシオルの時とは比にならないほどに。アルシアの膝がガクガクと震え、恐怖で顔がこわばっている。
「む、迎え……?どう言うことよ」
怯えて声も出せないツカサとは違い、なんとか声を振り絞るアルシア。静かな路地の壁に、アルシアの震えた声がよく響く。その声がツカサの恐怖心をさらに煽った。
「大変申し訳ございません。詳細な内容はお話しすることはできません。ですが、ツカサ様を渡して頂けないのならば、お嬢様を殺害しなくてはなりません」
殺害、その言葉は嘘でもハッタリでもなかった。アルシアが恐怖で後ろを振り返ると、怯えて植木鉢を抱えるツカサが見えた。アルシアは唇を噛み、スカルトロールを睨み付けた。スカルトロールは呆れたように骨を鳴らした。
「ご理解頂けませんでしたか。それでは司様を頂戴いたします」
ツカサが瞬きをした瞬間、アルシアの背後にスカルトロールが立っていた。突然目の前から消えたスカルトロールに処理が追い付いていなかった。背後に殺気を感じたアルシアは、振り返ると風の刃を放った。
「素晴らしい。見事な反応速度ですね」
アルシアが振り返った先に、スカルトロールの姿はなかった。風の刃は路地の壁に浅い傷を残すだけだった。アルシアが困惑しても、スカルトロールは動きを止めない。この場の誰の目にも、スカルトロールを捉えることはできていない。
カタカタと骨の擦れ合う音が路地の壁を這い回る。アルシアは音の聞こえるところに、風の刃を放ち続ける。しかし、壁に傷を付けるだけだった。
「嘘っ……」
アルシアが声を溢した瞬間、ツカサの視界に赤い液体が飛び散った。足元に目を写すと、アルシアの両足首から血が溢れ出ていた。アルシアはその場に倒れ込む。
「あぁ……アルシア……」
「ツカサ……早く逃げて……」
こんな状況でも、アルシアはツカサのことを考えている。それなのにツカサは、恐怖と驚きで芯のない声を漏らすだけだった。倒れたアルシアにスカルトロールがゆっくりと向かっていく。足が動かせず、叫ぶこともできない。身体中から力が抜けていく。
「ーーそれではお嬢様、糞を頂戴いたし……」
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァア!!」
スカルトロールがアルシアの尻に鋭利な刃物を突き刺そうとしたその瞬間、甲高い声が路地を震わせた。ツカサの腕から地面に落ちた植木鉢が割れ、マンドラゴラが解き放たれたようだった。スカルトロールが地面に倒れ込む。
「なっ……なんなのですかっ……!この音はいったい……」
スカルトロールの身体中がカタカタと音を立てて震えていた。マンドラゴラの声のせいなのか、出血からなのか、アルシアは気を失っている。ツカサは衝撃の連続に、思考が回らなかった。
「ああああああっ……」
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァア!!」
マンドラゴラが叫び、ツカサの弱々しい声は掻き消される。ツカサは逃げ出そうと震える足で立ち上がると、振り返って逃げ出そうとした。しかしアルシアのことを考えると、足が止まった。ここまでツカサを守ろうとしてくれたアルシアを見捨てて逃げることはできなかった。だが、スカルトロールはすぐ傍に倒れている。近付けば殺されるかもしれないという恐怖がツカサの足を止めた。
「ああああああ!」
ツカサは声を振り絞ってアルシアのもとへ足を進めた。唇を噛みしめ、倒れるスカルトロールの方へ自分から近付いて行く。
マンドラゴラの叫び声はツカサには届かず、心の声しか聞こえていない。火事場の馬鹿力なのか、アルシアの身体を抱き上げた。スカルトロールには目もくれず、セレアの酒場に向かって走り出した。アルシアの足首から血がポタポタと垂れている。
息を切らしながら無我夢中で走るツカサの後ろから、ドテドテと音を立ててなにかが追ってくる。
「ギャァァァァァァァァァァア!!」
それはマンドラゴラだった。頭の葉をゆさゆさと揺らし、大根の下が割れて二足歩行で走っている。
ツカサはマンドラゴラには見向きもせず、ただ後ろから何者かが迫る恐怖があった。そのまま走っていると、目の前の闇からフラフラと歩く人影が現れた。
「ツカサか?お前なにやって……」
頭を押さえて闇から現れたのは、アンズーだった。アルシアの様子を見ると、アンズーの頭に血管が浮き出ていた。ツカサはアンズーの姿を見るなり、さっきまでの緊張が緩んでその場に倒れた。




