第9話 敵、発見!
「はい、かしこまりました」
カウンターの店員は、さすがの接客態度を見せた。
笑顔で頷くと、展示されていたソニー製の携帯電話を取り出し、涼介へ差し出す。
その反応は、涼介にとって少し意外だった。
「ありがとうございます」
高城涼介は携帯電話を受け取り、慣れない手つきで操作を始めた。
彼の記憶にある携帯電話は、ほとんどがタッチパネル式へ進化している。
そのため、手元にある物理ボタン式の端末は、かえって新鮮に感じられた。
しばらく試したところ、必要としていた機能が一通りそろっていることを確認できた。
涼介は携帯電話を元の状態へ戻し、店員へ返す。
「これを一台ください。現金で支払います」
「えっ?」
店員は一瞬、呆気に取られた。
聞き間違えたのかと思ったのだろう。
「今、何と……?」
「購入します。新品を一台用意してください。それと、回線契約の手続きも一緒にお願いします」
涼介は鞄から現金を取り出し、カウンターの上へ置いた。
「か、かしこまりました! 少々お待ちください!」
店員の顔に、驚きと喜びが一気に広がった。
慌てて展示品を片づけると、小走りで売り場の奥へ向かっていく。
涼介は、もう慣れたというような表情を浮かべた。
年齢が若いというのは、何かと不便だ。
(少し大人っぽく見える服も買っておいたほうがいいかもしれないな)
そうすれば、子供扱いされる場面も多少は減るだろう。
現在、涼介が外出時に着ている服は、ほとんど母親の美恵子が選んだものだ。
そのため、年相応というより、どこか子供っぽく垢抜けない服装が多い。
「……いや、やめておくか」
大きな買い物袋をいくつも抱えて帰れば、母親から根掘り葉掘り聞かれるに決まっている。
涼介はまだ、自分が将来について何を考えているのか、家族へ詳しく話していなかった。
母親の性格を考えれば、収入のことを知られた途端、全額預けるよう言われる可能性すらある。
安全のために貯金しておき、高校を卒業するまで返してもらえないかもしれない。
(時代の価値観ってやつか)
親は子供の失敗を減らそうとする。
しかし、それが同時に、子供の可能性や機会まで狭めていることには気づかない。
それほど待たないうちに、店員が戻ってきた。
手には未開封の新品と、回線契約に必要な紙の書類を抱えている。
九十年代は、携帯電話の販売と通信会社の契約が、後世よりも密接に結びついていた。
端末と回線がセットになっていることも多い。
涼介が申込書へ必要事項を記入していると、どこかで聞き覚えのある声が耳に入った。
「瑠璃、こっち!」
少し離れた売り場に、金髪の少女が姿を現す。
正面から顔を見なくても、声だけで分かった。
先ほど島川ビルで会った、義理の妹だ。
(どんな因縁だよ。携帯を買いに来ただけで、また同じ店にいるなんて)
涼介はわずかに身を屈め、店員の身体に自分の姿が隠れるよう位置をずらした。
一度なら偶然で済む。
しかし、二時間のうちに何度も遭遇すれば、凌乃から本当に尾行していると思われかねない。
「お客様、どうかなさいましたか?」
店員が不思議そうな目を向けてきた。
「何でもありません。少し急いでいるので、できるだけ早くお願いします」
涼介は適当にごまかした。
◇
新垣瑠璃は、高城凌乃に腕を組まれたまま、携帯電話売り場の前で足を止めていた。
目の前には、さまざまな電子機器が並んでいる。
しかし、瑠璃は商品などほとんど見ていなかった。
腕に伝わる凌乃の柔らかな感触に、ただ夢中になっている。
だが、その幸福な時間はすぐに終わった。
凌乃が腕を離したのだ。
彼女は瑠璃の正面へ回り込み、ガラスケースの中にある一台の折りたたみ式携帯電話を指差した。
外側のカバーには、かわいらしい猫の飾りが埋め込まれている。
「このキャラクター、たしかハローキティよね? ソニーからコラボ携帯なんて出てるんだ」
凌乃は少し興奮した様子だった。
「お客様、お目が高いですね。こちらは限定モデルなんですよ」
すぐに店員が声をかけてきた。
「新宿でも取り扱っている店舗は三店だけで、当店はそのうちの一つです。実際に手に取ってみますか?」
売り場に長く立つ店員は、人を見る目も優れている。
二人が身につけている服のブランドを一目で見抜き、すぐに購入の見込みがあると判断したらしい。
先ほど学生服姿の涼介が放置されていたのとは、まるで違う対応だった。
流行に敏感そうな美少女二人のほうが、よほど購買力があるように見えるのだろう。
「はい、見せてください!」
凌乃は何度も頷いた。
店員から携帯電話を受け取ると、そのまま新垣瑠璃へ差し出す。
「ほら、使ってみて。瑠璃が気に入ったなら、私が買ってあげる」
「今日、幸運を運んでくれたお礼!」
「えっ? こんな高い物、悪いわよ。それに、私もう携帯電話を持ってるし」
新垣瑠璃はもともと裕福な家庭で育っている。
モデルのアルバイトもしているため、携帯電話の便利さは早くから知っていた。
「瑠璃のは、もう一年前の古い機種でしょ? そろそろ買い替えてもいいじゃない」
凌乃は当然のように言う。
「遠慮しないでよ。私たち、親友でしょう?」
その言葉に、カウンターの店員たちまで羨ましそうな目を向けた。
周囲の反応を見て、新垣瑠璃は満足感を覚える。
(これが、大切にされるってことなのね)
「分かったわ。凌乃が選んでくれた物なら、何をもらっても大切にする」
瑠璃は柔らかく微笑んだ。
「それにするわ」
◇
二人の声はそれほど大きくなかった。
しかし、涼介との距離はカウンター一つ分しかない。
会話の内容は、はっきり聞こえていた。
(気軽に買ってあげるのか)
(金があるって、すごいな)
ソニーが発売したハローキティのコラボモデルは、涼介も先ほど目にしていた。
しかし、値札を見た瞬間に候補から外している。
涼介が購入しようとしている端末と、基本となる機種は同じだ。
性能も機能もほとんど変わらない。
それなのに、かわいらしい装飾が付いただけで価格は倍近かった。
(いったい誰が、飾り一つのためにこんな金額を払うんだと思っていたけど……)
その答えを、こんなにも早く目にするとは思わなかった。
涼介は思わず、もう一度そちらへ視線を向けた。
今度は、凌乃の隣にいる少女の顔を見る。
透明感のある、整った顔立ち。
涼介から見ても、アイドルとしてデビューできるほどの容姿を持っていた。
(父さんの心配は、どうやら杞憂だったみたいだな)
これほど容姿に恵まれ、身につけている服も高価なものばかり。
立ち居振る舞いにも、自然と育ちの良さが表れている。
おそらく、かなり裕福な家庭の娘なのだろう。
涼介はそう考えながら、カウンターへ頬杖をついた。
その瞬間、少女と視線がぶつかった。
◇
新垣瑠璃は、モデルの仕事を始めて一、二年になる。
そのせいか、カメラや人の視線には非常に敏感だった。
まるで第六感のように、知らない誰かの目が自分の顔へ向けられると、無意識にその方向を見返してしまう。
四つの目が、正面から重なった。
新垣瑠璃は、その視線に生理的な嫌悪を覚えるような感情を感じなかった。
相手は、ただ自分を観察しているだけのように見える。
好色な目ではない。
むしろ、何かを見定めるような眼差しだった。
同じような視線は、これまでにも何度か向けられたことがある。
街中で声をかけてくる芸能事務所のスカウトたちだ。
しかし、相手の服装を見る限り、瑠璃と同年代の学生らしい。
涼介の容姿も、瑠璃に不快感を与えるものではなかった。
清潔感のある整った顔立ち。
表情にも、同年代の少年にありがちな幼さがほとんどない。
「あれ? 瑠璃、どこを見てるの?」
高城凌乃が、親友の様子に気づいた。
その視線を追うように顔を向ける。
「ちょっと、またあいつ!?」
涼介の姿を見つけた瞬間、凌乃の笑顔が消えた。
露骨に嫌そうな顔になる。
「何なのよ。もしかして、私に発信機でも付けてるんじゃないでしょうね」
凌乃がこちらを見た瞬間、相手の少年はすぐに視線を逸らした。
まるで知り合いではないふりをしている。
「知り合いなの?」
「ほら、さっき話したでしょ。継母が連れてきた兄よ」
新垣瑠璃は一瞬、固まった。
その頭の中で、警報が鳴り響く。
(敵、発見!)
凌乃の秘密を握っている、あの敵だ。
瑠璃の穏やかだった眼差しが、一瞬で鋭いものへ変わった。
高城涼介を値踏みするように見つめる。
しかし、何かを思いついたのか、すぐにその敵意を引っ込めた。
そして、高城凌乃の腕へ自分の腕を絡める。
「せっかく会ったんだもの」
新垣瑠璃は、にこやかに微笑んだ。
「挨拶しに行きましょう?」




