第10話 そんなに進んでるのか
高城涼介は、どうにも腑に落ちなかった。
自分とあの少女は、今日初めて顔を合わせたばかりだ。
失礼なことをした覚えもない。
それなのに、なぜあんなにも食い殺さんばかりの目で睨まれたのだろう。
涼介が見ていると、二人の少女は腕を組んだままカウンターを回り込み、こちらへ向かって歩いてきた。
「お客様、登録手続きが完了いたしました。こちらが領収書です。携帯電話もこのままお持ち帰りいただけます」
「もう使えるんですよね?」
「はい、問題ございません」
すべての手続きを終えた店員が、営業用の笑顔で答える。
(今のうちに逃げるか? 面倒なことになりそうだ)
涼介は一瞬だけ迷った。
しかし、そう思ったときにはもう遅い。
新垣瑠璃がすぐ目の前まで来ていた。
その後ろには、見るからに機嫌の悪そうな義理の妹もいる。
「高城家のお兄様ですよね? 私は凌乃の親友で、新垣瑠璃と申します」
美少女のほうから、丁寧な敬語で挨拶してきた。
笑顔も愛らしい。
これほど整った顔立ちをしているのに、どこか近所の妹のような親しみやすさがあった。
ここまでされては、涼介も気づかなかったふりはできない。
礼儀の問題だ。
「初めまして。高城涼介です。妹がいつもお世話になっています」
涼介は軽く頭を下げた。
瑠璃という名前は、少し前に島川ビルの会議室で凌乃が口にしていた。
おそらく彼女に指摘されて、凌乃はようやく自分がひどく不利な契約を結んだことに気づき、編集者へ抗議しに行ったのだろう。
涼介は隠すことなく、改めて少女を観察した。
どの角度から見ても、凌乃に引けを取らないほどの美貌だ。
話し方からしても、自分の義妹よりずっと大人びている。
だからこそ、余計に分からない。
(さっきの目は何だったんだ? どうしてあんなに敵意を向けられる?)
「何よ。本当に私のお兄ちゃんみたいな言い方しちゃって」
高城凌乃は不満そうに唇を尖らせた。
「それにあんた、瑠璃がかわいいからって、じろじろ見すぎ。失礼でしょ」
「……」
涼介は呆れた目で、この面倒な義妹を見た。
(相手が話しているのに、顔を見ないほうが失礼だろ)
そもそも、向こうも自分を上から下まで観察している。
そう思ったものの、涼介は口に出して反論しなかった。
外部の人間の前で、家庭内がうまくいっていない姿を見せるつもりはない。
「お見苦しいところを」
涼介は新垣瑠璃へ、申し訳なさそうに微笑んだ。
瑠璃は口元を手で隠して笑い、額にかかった髪を耳の後ろへ払う。
「お兄様は、とても穏やかな方なんですね。きっとそのうち、凌乃とも仲よくなれますよ」
「ちょっと、瑠璃。どうしてこいつの味方するの?」
「同じ屋根の下で暮らしているなら、もう家族でしょう?」
新垣瑠璃は凌乃の手を握った。
まるで自分のものだと示すように指を絡め、その手を二人の前へ掲げる。
「私は、二人に仲よくしてほしいの。そうすれば私も安心できるもの。そうですよね、お兄様?」
そう言って、涼介へ問いかけた。
(何だ、この発言は)
涼介は奇妙な目で、二人の顔を交互に見た。
当然、その固く絡み合った手にも気づいている。
(普通の友達って、ここまで密着するものか?)
(こういう手のつなぎ方って、恋人同士がするものじゃないのか?)
まさか、自分の義妹は女の子が好きなのだろうか。
涼介の表情が、少しずつ納得したものへ変わっていく。
先ほど新垣瑠璃から向けられた敵意を思い返した。
(なるほど。そういうことか)
(九十年代なのに、ずいぶん進んでるんだな)
あの食い殺しそうな目は、自分が凌乃を奪うのではないかと警戒していたのだろう。
考えてみれば、再婚相手の連れ子同士で、血のつながりはない。
同じ屋根の下に暮らしていると知れば、二人がそういう関係なら強い敵意を持つのも不思議ではなかった。
涼介は、そうしたことに偏見を持っていない。
三十年後の社会は、今よりも人間関係も価値観もずっと多様だった。
女性同士に限らず、男性同士であっても、自分に迫ってこない限りは普通に友人として付き合える。
「お気遣いありがとうございます」
涼介は新垣瑠璃へ、意味ありげに目配せした。
「これからも、二人がずっと仲のいい関係でいられることを願っています。凌乃のことを、よろしくお願いします」
「えっ?」
新垣瑠璃は目を丸くした。
涼介が何も気づかない可能性も考えていた。
あるいは、理解できないと嫌悪感を示すかもしれないとも思っていた。
しかし、まさか返ってきたのが、父親が娘を嫁に出すときのような言葉だとは想像もしていなかった。
(この人、気づいてるの?)
「ちょっと、あんた何言ってるのよ!」
高城凌乃は、その言葉を聞くなり噛みついた。
「何かおかしなことを言ったか?」
涼介は困惑した。
(そっちが先に反応を試してきたんじゃないのか?)
自分としては、理解と祝福を示したつもりだった。
「意味分かんない。私の友達の前で変なこと言って、しかも保護者みたいな顔までして。気持ち悪い」
「……」
涼介は返す言葉を失った。
その様子を見た新垣瑠璃は、思わず吹き出した。
「ふふっ」
「何笑ってるのよ、瑠璃」
「何でもないわ。ただ、お兄様って本当にいい人なんだなと思って」
(完全に勘違いしてる……)
だが、このお兄様は、もしかすると敵ではなく味方なのかもしれない。
新垣瑠璃が涼介を見る目が変わった。
そこには、わずかな尊敬すら混じっている。
確かに瑠璃は凌乃が好きだ。
ただし、それは今のところ一方的な想いにすぎない。
自分なりに何度も気持ちを表してきたつもりだが、誰かに見抜かれたのは初めてだった。
しかも、堂々と認めてもらえた。
当の凌乃本人ですら、瑠璃が向ける少し異常なほどの好意には気づいていない。
(なんだか、理解者を見つけたみたい)
「はあ? 瑠璃まで何言ってるのよ」
凌乃は涼介を睨みながら、瑠璃の手を引いて立ち去ろうとした。
しかし、親友はその場から動かなかった。
そのとき、先ほどの店員が凌乃へ向かって手を上げた。
「あの、恐れ入ります。お客様、こちらでご本人様の情報をご記入いただけますか?」
そこで凌乃は思い出した。
先ほどカウンターで現金を支払った直後、新垣瑠璃に連れられて挨拶へ来たのだ。
店員はすでに、新品の端末を用意している。
「凌乃、先に手続きを済ませてきて。私はもう少しだけ、お兄様とお話ししたいの」
新垣瑠璃は、凌乃の耳元へ顔を寄せて囁いた。
「分かった」
凌乃は頷く。
そのあと、高城涼介を鋭く睨みつけた。
「あんた、瑠璃に変なこと言わないでよ!」
そう言い残し、小走りで先ほどのカウンターへ戻っていった。
◇
凌乃が離れたことを確認すると、新垣瑠璃は声を落とした。
涼介の目をまっすぐ見つめる。
「凌乃から聞きました。お兄様も今日、島川ビルの漫画編集部へ行っていたそうですね。何をしに行かれたんですか?」
「少し私用があっただけです」
高城涼介は何気なく答えた。
母親にさえ話すつもりのないことを、初対面の相手に教える気はない。
たとえ相手が美少女でも同じだ。
「お話ししにくいことなんですか? 凌乃が家族に隠れて漫画を描いているのと同じように?」
(鋭いな、この子)
適当な言い訳ではごまかせそうにない。
高城涼介は小さくため息をついた。
「だいたい、あなたが考えているとおりです。ただし、凌乃とは違って、僕が書いているのはライトノベルですが」
「では、伊織編集者ともお話をしたんですね?」
「少し話しただけですよ」
「それだけではありませんよね?」
新垣瑠璃は、涼介から目を逸らさなかった。
「伊織編集者から電話がありました。ほとんど泣きつくような様子で、三倍の補償を提示してきたんです」
高城涼介は、わずかに眉を上げた。
予想したとおり、伊織は自分から折れたらしい。
大人の世界に、単純な正義や悪はない。
あるのは利害の計算だ。
凌乃が原稿依頼契約へ署名してしまった事実は変えられない。
契約内容を改めるとしても、それは次回作からになるだろう。
休載を交渉材料にして三倍の補償を引き出せたなら、伊織にとっても十分な痛手になったはずだ。
涼介は、この件を誰かに話すつもりはなかった。
ほんのついでに手を貸しただけだからだ。
だが、新垣瑠璃はすぐに見抜いた。
(やっぱり頭がいいな)
「やはり、きちんと妹を守るお兄様なんですね。あなたが凌乃のそばにいるなら、少し安心しました」
「買いかぶりすぎですよ。僕も高城の姓を名乗っている以上、当然のことをしただけです」
「凌乃には話さないんですか?」
「あなたは、僕から話してほしいんですか?」
「もちろん、嫌です」
「それなら話しません」
「えっ? どうして?」
「あなたの望みなんでしょう?」
涼介は何でもないことのように言った。
「それに、本当に大したことではありませんから」
新垣瑠璃は、意外そうに彼を見つめた。
(大したことじゃない……?)
瑠璃もモデル業界で働いている以上、片足くらいは社会人の世界へ踏み入れている。
島川映画と凌乃や涼介の関係は、自分と雑誌社の関係に近い。
モデル、特に新人は、雑誌社を相手に条件交渉などほとんどできない。
それなのに涼介は、凌乃のために三倍もの補償を引き出した。
しかも、伊織編集者本人に謝罪させ、泣きつかせたのだ。
信じられないほどの成果だった。
休載を切り札に使ったのだろうとは、おおよそ見当がついている。
それでも、あれほどの効果を上げるのは簡単ではない。
「お兄様は、ずいぶん謙虚なんですね」
「ところで、二人はいつからそういう関係なんですか?」
涼介は隣のカウンターで申込書を書いている凌乃を見ながら、唐突に尋ねた。
「えっ?」
新垣瑠璃の心臓が、急に早鐘を打ち始める。
(やっぱり、本当に気づいてるんだ)
「まあ、その話はまた今度でいいか」
涼介は携帯電話の画面へ目を落とした。
時刻は、すでに午後一時近い。
これ以上長話をするつもりはなかった。
そろそろ簡単に昼食を済ませ、インターネット上の知り合いへ連絡を取らなければならない。
都合が合えば、直接会ってみたいと思っていた。
涼介が背を向け、その場を離れようとした瞬間――新垣瑠璃が手を伸ばし、彼の服の裾を掴んだ。
「待ってください!」
瑠璃はポケットから携帯電話を取り出す。
「突然で申し訳ありませんが、お兄様と携帯番号を交換してもよろしいですか?」
聞こえなかったら困ると思ったのか、新垣瑠璃は無意識に声を大きくしていた。
隣のカウンターで個人情報を記入していた高城凌乃が、その声を聞いて振り返る。
「瑠璃、何してるの?」
高城凌乃は呆然としていた。
まるで、今日初めて親友の本当の姿を知ったような気分だ。
瑠璃が自分から男の子へ連絡先を尋ねる。
長い付き合いの中でも、そんな場面は一度も見たことがない。
しかも相手は――突然できた、あの優等生バカの義兄だった。




