第11話 家に帰る
その行動に出た瞬間、新垣瑠璃は少しだけ後悔した。
ただ連絡先を交換し、涼介が凌乃に妙な気を起こさないよう見張っておきたかっただけだ。
しかし、言葉にしてしまったうえ、服の裾まで掴んで引き止めたとなると、少しばかり意味深に見えすぎる。
高城涼介も、突然の申し出に一瞬目を丸くした。
それでも余計なことは言わず、瑠璃から携帯電話を受け取る。
買ったばかりの自分の番号を入力し、そのまま返した。
「これからよろしくお願いします。何かあれば、いつでも連絡してください」
涼介は一度、高城凌乃のほうへ視線を向けた。
すぐに目の前の少女へ戻す。
「ありがとうございます、お兄様」
新垣瑠璃は携帯電話をポケットへしまった。
頬にはうっすらと赤みが差している。
その恥じらうような姿を見れば、たいていの男なら目を奪われてしまうだろう。
だが、涼介は違った。
(惜しいな。女の子が好きじゃなければよかったのに)
目の前の少女が、自分の好みにぴったり合っていることは否定しない。
しかし、恋愛対象の違いはどうにもならない。
彼女が好きなのは女の子なのだ。
高城涼介は歩き出し、立ち去る前に高城凌乃へ声をかけた。
「外であまり遅くまで遊ぶなよ。早めに帰れ」
「余計なお世話!」
高城凌乃は「ふん」と鼻を鳴らし、涼介に背を向けた。
◇
二人の美少女と別れ、高城涼介はデパートの外へ出た。
冷たい風が吹きつけ、思わず身体を震わせる。
「まずは電話してみるか。番号は、たしか……」
涼介は携帯電話を取り出し、昨日教えてもらったばかりの番号を入力した。
耳元で呼び出し音が鳴る。
ほどなくして、カチッという小さな音とともに通話がつながった。
『もしもし、誰だ?』
電話の向こうから聞こえてきたのは、どこか奇妙な声だった。
電子的に加工したような響きがある。
「鳳凰院か? 僕だ、時雨沢」
涼介は自分のハンドルネームを名乗った。
『キノの旅』の作者名を借り、インターネット上では時雨沢と名乗っている。
父親が仕事のため新しく購入した、Windows 95搭載のパソコン。
それを使ってネットへ接続することが、涼介にとって大量の情報を得られる唯一の手段だった。
電話の相手が使っているハンドルネームは、鳳凰院十一郎。
新しく生まれたさまざまな掲示板へ頻繁に出入りし、とりわけアニメや漫画、ゲーム関連の場所によく顔を出している。
『ほう。本当に電話してきたのか。もう東京にいるのか?』
「ああ。それで連絡したんだ。せっかくだし、一度会わないかと思って」
『少しタイミングが悪いな。今はミ・マーケットに出す作品の準備中だ。一か月後くらいなら、時間が取れるかもしれない』
涼介は首を傾げた。
「M?」
相手の言うミ・マーケット。
通称『M』。
世界最大規模の同人誌即売会であり、世界中のオタクにとって聖地と呼べる催しだ。
これほど大規模なイベントである以上、高城涼介も存在くらいは知っていた。
ただし、これまで一度も足を運んだことはない。
涼介は行列に並ぶのが大嫌いだったからだ。
例年の盛況ぶりを考えれば、最低でも二時間は待つことになる。
『何だ、興味があるのか? それなら会場で落ち合うのはどうだ。サークル入場できるぞ。ついでに売り子も手伝ってくれ』
電話の向こうから誘われ、涼介は二秒ほど考えた。
列に並ばずに済むのなら、一度くらい遊びに行ってもいい。
「分かった。それじゃあ、Mで会おう。これが僕の携帯番号だから、近くなったらまた連絡する」
『了解。それより、妹を尾行する任務は終わったのか? まったく、変態だな。まさか妹に気があるんじゃないだろうな?』
からかうような口調に、涼介は思わず呆れた顔をした。
「一応、目的は果たしたよ。相変わらず、くだらないことばかり気にするな」
『ギャルゲーなら重要なフラグだぞ。せっかくの機会を逃すなよ。関係を改善して、最後にはハッピーエンドへたどり着けるかもしれない』
「何を馬鹿なこと言ってるんだ」
高城涼介は笑いながら悪態をついた。
この男は、ネット上でふざけた冗談ばかり言っている。
まさか電話でも、これほど平然と際どい言葉を口にできるとは思わなかった。
『親切心から忠告してやったのに。聞く気がないならいい。今日はこのくらいにしておこう。また今度、会ったときに話そう』
電話の向こうで、誰かが鳳凰院を呼ぶ声がした。
彼は慌ただしく通話を切った。
涼介も特に気にせず、携帯電話をポケットへしまう。
鳳凰院とは、すでに三年来の付き合いになる。
インターネットを通じて知り合った相手だ。
過去の記憶に苦しめられていた頃も、この男と話している間だけは、痛みをわずかに忘れることができた。
長くやり取りを続けるうちに、自然と親しい友人と呼べる関係になっていた。
ただ、その関係の中で、鳳凰院はいつも聞き役に回っていた。
涼介は彼について、ほとんど何も知らない。
分かっているのは、アニメや漫画を愛するプログラマーだということだけだ。
今回会えなかったのは残念だが、冬休みはまだ長い。
いずれ機会はあるだろう。
「さて、まずは今日泊まる場所を探すか」
東京のホテルは、やはり安くなかった。
一泊するだけで、一万円もかかってしまった。
とはいえ、こればかりは避けられない出費だ。
翌日、涼介は島川ビルで正式に契約を結び、早川留美と連絡先を交換したあと、帰宅するため電車へ乗り込んだ。
家の前へ到着した頃には、すでに午後四時を回っていた。
「ただいま」
玄関の扉を開け、靴を履き替える。
すると、家の奥から人が歩いてくる音が聞こえた。
「涼介、帰ってきたの?」
美恵子がリビングから顔を覗かせ、笑みを浮かべた。
「うん。今回は一日泊まって、友達にも会ってきた」
涼介は何気なく答えた。
出かける前に、場合によっては外泊するかもしれないと両親には伝えてある
美恵子を心配させないためだ。
「それで、凌乃のことなんだけど……」
涼介はリビングへ向かいながら、今回頼まれていた件について話そうとした。
しかし次の瞬間、ソファの上にいる金髪の美少女が目に入った。
凌乃は大きめのフード付きパーカーを着ていた。
裾は太腿まで隠れるほど長い。
無防備な格好でソファへうつ伏せになり、だらしなく寝そべっている。
二人の視線がぶつかった。
「あんた!」
高城凌乃は、涼介が続きを口にするより先に声を上げた。
「私には早く帰れって言ったくせに、自分は外泊してるじゃない!」
美恵子は隣で口元を隠し、くすくすと笑った。
兄妹の顔を交互に見ている。
普段は涼介を無視してばかりの凌乃が、自分から声をかけたことに驚いているのだろう。
もっとも、口調はかなり刺々しかったが。
「お前には関係ないだろ」
涼介は口元を吊り上げ、昨日の言葉をそのまま返した。
「なっ……!」
高城凌乃は勢いよくソファから飛び起きた。
大股で涼介の前まで歩いてくると、顔を上げて鋭く睨みつける。
その眼差しは、まるで小さな虎のようだった。
そして、いきなり涼介の手首を掴む。
「何するんだ?」
「私の部屋に来て。話があるの!」
「ちょっ……」
涼介は振りほどこうとした。
しかし、凌乃の指は万力のように手首を締めつけ、びくともしない。
そのまま強引に二階へ引っ張られていく。
(何だ、この馬鹿力は。あの体格のいい父親譲りか?)
力では完全に負けている。
高城涼介は早々に抵抗を諦め、美恵子へ心配いらないという視線を送ったまま、二階へ連行された。
「まったく、何なのよ。昨日は私が玄関の前で待って、一晩中寝なかったっていうのに」
「何も言わずに外泊するなんて、ほんっと腹が立つ!」
高城凌乃はぶつぶつ文句を言いながら、涼介を畳の上へ座らせた。
自分もその正面へ腰を下ろす。
少女は部屋の扉をきっちり閉め、自分もその正面に腰を下ろした。
白い脚を組み、両腕を胸の前で組んだまま、不機嫌そうに涼介を睨んでいる。
「それで、何の話だ?」
涼介は少女の部屋を見回した。
室内には、ピンク色の小物や装飾があふれている。
クローゼットとベッドのほかには、机が一つ置かれているだけだ。
その上には古い型のパソコンがあり、電源が入ったままになっていた。
「何の話って、よく言えるわね」
高城凌乃はさらに目を細めた。
「あんた、私が漫画編集部にいたことを、二人に話すつもりなんでしょ?」
「お前が編集者にいじめられて、子供みたいに泣いていたことか?」
「っ!」
恥ずかしい場面を蒸し返され、高城凌乃の顔が一瞬で真っ赤になった。
今にも飛び上がって、涼介の口を塞ぎそうな勢いだ。
「黙って!」
「あのことは二度と口にしないで。今すぐ忘れなさい!」
凌乃は脅すような口調で言い放った。
「それから、私が漫画を描いてることも、絶対に二人へ話さないでよ」
「へえ」
涼介は肩をすくめた。
「人に頼み事をするなら、それなりの態度ってものがあるんじゃないか?」
もともと涼介は、今回知ったことを両親へすべて話すつもりなどなかった。
ただ、凌乃の反応があまりにも面白い。
少しくらいからかってやりたくなっただけだ。
「何よ。まさか、土下座でもしろっていうの?」
凌乃の目には、露骨な嫌悪が浮かんでいた。
涼介は、そんな彼女を上から下まで眺める。
視線が脚のあたりへ落ちた瞬間、凌乃はびくっと身体を縮め、慌てて座り方を変えた。
「そんな目で見ないでよ」
少女は警戒するように脚を引き寄せる。
「まさかあんた、私に気持ち悪いこと考えてるんじゃないでしょうね?」




