第87話 間奏
「年内に、1本アニメを作ろうと思っているんです」
「題材ですか? 今回も魔法少女ですよ。漫画原作ではなく、完全オリジナルのアニメです。もし興味があるなら、斎藤さんに監督をお願いしたいと思っています」
「そうですか。では、挑戦してみてもらえますか? それは引き受けてくれるという意味でいいんですよね?」
「脚本はまだ用意できていません。来週お会いするまでに草案を1本仕上げておきます。そのとき、直接相談しませんか?」
……
通話を終え、涼介は携帯電話を置いた。
斎藤律とは、付き合いそのものはまだ長くない。
それでも、仕事ぶりについては十分に評価していた。
市場を見る目があり、仕事に対する姿勢も信用できる。
何より大きいのは、業界経験があることだった。
(M展が終わったら会社を設立することになる。でも、人がいなければただの箱だ)
この業界で人材を集める一番手っ取り早い方法は、やはり金を積んで引き抜くことだろう。
より高い給与や好条件を提示し、優秀な人間を集める。
ただし当然、その分だけ出費も大きい。
しかも競業避止契約がある。
欲しい人材を引き抜こうと思えば、契約が切れるまで待つか、高額な移籍金を用意して前の会社と交渉し、契約を解除してもらうしかない。
「一番即効性がある代わりに、一番金がかかる方法なんだよな……」
現在、自由に動かせる資金は、『カードキャプターさくら』のアニメ化による収入まで含めても3000万円ほど。
個人が持つ金として考えれば大金だ。
しかし会社を立ち上げ、人を雇うとなれば話は違う。
何人か優秀な人材を引き抜くだけで、あっという間に底をつくだろう。
そこへ事務所の賃料や設備費まで加わる。
会社設立後、きちんとした委託販売ルートさえ確保できれば、『Fate/stay night』は継続的に利益を生み出してくれる。
いずれは億単位の金が入ってくるはずだ。
けれど、それには時間がかかる。
販売網を整えるだけでも金が必要だ。
その前に会社として最低限の形を作り、新しい企画へ回せる資金をできるだけ残しておかなければならない。
となれば、もっとも費用対効果がいいのは――自前で育てることだ。
各大学からは毎年、新しい人材が社会へ出てくる。
たとえばイラストレーターなら、昨日、鳳凰院紗織から渡された紙に東京工芸大学の学生の連絡先が書かれていた。
そこから縁を広げることもできるかもしれない。
ただ、監督のように作品全体の質を支える立場だけは、学校を出たばかりの新人に任せるわけにはいかない。
少なくとも、ある程度の現場経験が必要になる。
斎藤律はこれまで複数のヒット漫画を担当し、アニメ化企画にも何度も関わってきた。
監督として即戦力と言えるほどではないにせよ、任せてみる価値はある。
そして何より――。
「安いんだよな」
会社から引き抜く必要もない。
本人がすでに退職を決めているのなら、高額な違約金や移籍金を用意する必要もない。
「運がいい。幸先は悪くないな」
2か月もあれば、会社を回し始めるための資金も多少は蓄えられるだろう。
涼介はそう見積もった。
これからしばらくは、かなり忙しくなる。
『Fate/Zero』の原稿も進めなければならない。
それに加えて、新作アニメの脚本も用意する必要がある。
「ちゃんと休まないとな……」
時計を見ると、そろそろ寝る時間だった。
涼介は寝間着に着替え、ベッドに横にな。
「まあ、何にしても明日のM展が終わってからだな。打ち上げのときに鳳凰院とも相談しておこう」
人材採用は、会社の今後にも関わる話だ。
自分だけで勝手に決めるのではなく、共同経営者になる予定の相手とも話しておくべきだろう。
……
8月14日、日曜日。
11時45分。
今日のゲームは、前日よりもさらに早く売り切れた。
涼介は鳳凰院紗織と並んで販売を手伝い、2列に分かれた客を次々とさばいていく。
五更真緒も今日は会場に来ており、高城凌乃と一緒に商品の袋詰めを担当していた。
そして最後の1本が売れたところで、涼介はあらかじめ用意していた案内板を取り出し、卓上に置いた。
そこには、1つのURLが記されている。
今朝、五更真緒が完成したばかりの公式サイトだった。
まだ最低限の機能しかない。
それでも今は十分だ。
今後の販売先や取り扱い情報は、このサイトで随時告知していく予定になっている。
これでM展が終わったあとも、客がどこでゲームを買えばいいのか迷うことはないだろう。
「これで終わりだな」
「そうね」
涼介と鳳凰院紗織は、そのまま残って後片づけを始めた。
凌乃と五更真緒には、もう自由に会場を回らせている。
「夜は打ち上げがあるから、遅れないようにな」
2人が離れる前、涼介は凌乃へ念を押した。
「分かってるって! ほんと、うるさいんだから!」
金髪の少女はぶつぶつ言いながら、五更真緒と一緒に人混みの中へ消えていった。
……
そのころ。
新垣瑠璃は、P社が用意した送迎車から降りたところだった。
少し先にある展示場の正面通路は、人で埋め尽くされている。
視線が一斉に集まった。
遠慮なく向けられる知らない人たちの視線に、瑠璃はわずかに身を固くする
「あれ……大道寺知世じゃない?」
「再現度高すぎない? 並んでなかったら、今すぐ写真お願いしたいくらいなんだけど!」
「めちゃくちゃ可愛いな……あの人と握手できるなら、1週間くらい手を洗わなくてもいいかも」
耳に入ってくる声は、普段の撮影現場で聞く褒め言葉と大差ない。
それでも、口にしているのがオタクだと思うだけで、瑠璃は全身を虫が這うような不快感を覚えた
「緊張しなくて大丈夫ですよ、新垣さん。普通のステージウォークですから。観客と直接触れ合うような企画はありません」
隣を歩くスタッフが安心させるように声をかけてきた。
だが、瑠璃にはあまり効果がなかった。
唯一の救いは、スカートの下は、見えても問題ないようにきちんと対策をしていることだ
そのことだけが、わずかな安心につながっていた。
少女は深く息を吸う。
「大丈夫です。引き受けた仕事ですから、きちんと最後までやります」
「さすがですね。では、行きましょう」
スタッフに案内され、関係者用の通路へ向かう。
ほとんど足止めされることもなく、すぐに展示場の中へ入ることができた。
覚悟していたつもりだった。
それでも実際に中へ入ってみると、至るところに刺激の強いポスターや肌の露出が多いイラストが並んでいて、少し息苦しくなる。
「こちらです」
スタッフは会場の端に沿うように進み、B区のステージエリアへ向かった。
新垣瑠璃も、そのあとをぴったりついていく。
会場の端は中央ほど人が多くない。
それでも、ときどき一般客とすれ違う。
向こうから、いかにも垢抜けない格好をした2人の青年が歩いてきた。
すれ違いざま、嫌でも会話が耳に入る。
「買えた? あのサークルのやつ」
「もちろん。最近かなり話題になってる18禁ゲームだよ。前の2日も午前中だけで売り切れたらしいし」
「いいなあ。俺、今日寝坊したんだよ。遊んでみたかったのに」
「俺なんか夜中から並んだからな。あれでもギリギリだったぞ」
(18禁ゲーム……)
やっぱり、ここはそういう人たちが集まる場所なのだ。
一見しただけなら、別に普通の青年に見える。
なのに話している内容は、瑠璃にとってかなり抵抗があった。
業界の先輩から聞いたことがある。
そういうゲームには、裸同然の女性キャラクターが出てきて、それを見ながらオタクたちが気持ち悪いことをするのだ、と。
瑠璃には理解できなかった。
そんなことをする人間など、どう考えても危険人物だ。
(できるだけ近づかないほうがいい……)
無意識に歩く速度が上がる。
このまま早く離れてしまおう。
そう思った、そのときだった。
「羨ましいなあ。俺も高城留美子先生の原画、見たかった……」
「……え?」
新垣瑠璃の足が、何かに引っかかったかのように止まった。
一歩よろめき、その場で立ち尽くす。
「どうしました? 新垣さん」
少し先を歩いていたスタッフが、後ろから聞こえていた足音が消えたことに気づいて
新垣瑠璃は、さっきの2人の青年が歩いていった方向を、複雑な表情でじっと見つめている。
2、3秒後。
彼女は突然、その背中を追うように足早に歩き出した。
「新垣さん? どこへ行くんですか?」
スタッフは慌ててあとを追った。




