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ハーレム,俺の義妹が天才漫画家だった件  作者: 下級生


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第83話 一瞬、心が揺れた


 立ちのぼる炭火が網を熱し、載せられた新鮮な牛肉から、じゅうじゅうと脂が滴り落ちる。


 以前と同じように、2人がやってきたのは半年前にも一緒に食事をした焼肉店だった。


 鳳凰院沙織はエプロンを身につけ、ときどきトングで肉をひっくり返している。


「こうして考えると、時間が経つのって本当に早いわね。前にここへ来てから、もう半年よ」


 その顔には淡い笑みが浮かんでいた。


「前に話をしたときなんて、私にプログラムを組ませるお金すら持ってなかったのよ? それなのに『自分の作品には自信がある』なんて言ってたんだから」


「そうだね。あのときは本当に金がなかった」


 今になって振り返れば、この半年は決して楽ではなかった。


 わずかな期間で『Fate/stay night』を一から形にしたのだ。


 使える手段はほとんどすべて使い、これまで積み上げてきたものも全部つぎ込んだ。


 幸いにも、涼介には助けてくれる人がいた。


 もし鳳凰院沙織を仲間に引き込めていなければ、予定どおりの時期に完成させることなど到底できなかっただろう。


「今になって、後悔してる?」


 鳳凰院沙織が唐突に尋ねた。


「後悔?」


 涼介が訝しげに視線を向ける。


 厚いレンズの奥に表情を隠した友人は、頬杖をつきながら首を傾げてこちらを見ていた。


「このまま順調にいけば、M展が終わる頃には、この作品だけで5000万円近い利益が出るでしょう? 税金を引く前の話だけど」


「そのうち3割は、私がもらう約束よ?」


「惜しくないの? 少ない金額じゃないわ。去年参加したサークルなんて、最後に数万円しか取り分がなかったのに、それだけで関係がこじれたんだから」


 そういう意味か。


 そういえば、2人が知り合って以降、凤凰院が【熱血青春/激烈格闘】の制作メンバーについて話したことは一度もなかった。


 金銭関係で揉めたのだろうか。


 彼女が不安に思うのも無理はない。


 2人の取り決めは今までずっと口約束だけで、書面にはしていなかったのだから。


「当然の取り分だろ。後悔なんて全然してないよ。まさか俺を、約束を反故にするような人間だと思ってたの?」


 涼介は慌てて手を振った。


 最初から決めていたことだ。


 投入した労力だけで言えば、彼女も涼介にまったく劣っていない。


「ぷっ」


 鳳凰院沙織が堪えきれずに吹き出した。


 やがて腹を抱え、息が苦しくなるほど笑い始める。


「さすが私が見込んだ男ね。もうますます好きになっちゃうわ~♡」


「……」


「そういう冗談はもういいって」


 凤凰院から真正面に浴びせられるこの手のからかいにも、涼介はだいぶ慣れてきていた。


 そのまま話を本題へ戻す。


「今回、全部売り切れたとしてさ。税金まで引いたら、最終的にどれくらい残るか計算してる?」


 日本は消費税も所得税も高い。


 経費を差し引いた利益が5000万円近くあったとしても、実際に手元へ残る額は当然そこまで多くない。


「消費税が5%。所得が3000万円を超えれば所得税は37%。住民税が10%。こんな簡単な計算、わざわざ答えまで言わなくても分かるでしょう?」


「予想どおりだな。半分くらいしか残らない」


 単純に考えれば、実際に手元へ残るのは2500万円前後。


 そこへ先に経費として差し引いた1500万円分を加えれば、資金として残る総額は4000万円ほどになる。


 そこから凌乃への借金を返し、鳳凰院沙織へ約束していた取り分を支払う。


 最終的に涼介が自由に使える額は、2000万円前後といったところだろう。


 これが会社名義の売上なら、もう少し税負担を抑えられた。


 しかし残念ながら、M展前の涼介には会社を設立できるだけの資金がなかった。


 株式会社を設立するには、少なくとも1000万円規模の資本金を用意する必要がある。


 その資金自体は会社運営に使えるとはいえ、企画を始めた当初の涼介には、一度にそれほどの金を用意する余裕などなかった。


 今になって、その代償を支払うことになったわけだ。


 日本はこのあたりの管理が厳しい。


 税金を惜しんで下手なことをすれば、いずれ大きなしっぺ返しを食らう。


 腹立たしくはあっても、涼介にどうこうできる問題ではなかった。


「M展が終わったら、なるべく早く会社を設立して、ゲームの権利も会社名義に移したほうがいいわね。このままだと、その後の税負担がとんでもないことになるかもしれないし」


 鳳凰院沙織が忠告する。


 M展初日の売れ行きを見るかぎり、残り2日分も完売すると考えていい。


 それに『Fate/stay night』の完成度なら、M展だけで終わる作品ではない。


 もっと広い販路へ展開できる。


 だからこそ熱があるうちに会社を立ち上げ、著作権を法人名義へ移して運営したほうがいい。


 本格的な売上が発生し始める前にそうしておけば、税金による損失もできる限り抑えられる。


「うん。その話は前からしてたじゃないか」


 涼介は頷いた。


「M展が終わったら凌乃も呼んで、一緒に法務局へ会社設立の登記をしに行くつもりだ」


 少し間を置いてから付け加える。


「そのときは凤凰院も共同発起人で、株主の1人になる。この手続きは一緒にやってもらわないと困るからな」


 鳳凰院沙織はトングで網の上の牛タンを返しながら、何でもないことのように答えた。


「分かってるわよ。定款も印鑑証明も、資本金関係の書類も、必要なものはもう先に準備してるもの。公証人の認証予約も、ちょうどM展が終わる頃に合わせてあるわ」


「……」


 涼介は一瞬、言葉を失った。


 こいつ、もうそこまで進めてたのか。


「いつ準備したんだ?」


「先月よ」


 纱织は眼鏡を押し上げる。


 レンズに焼き網の火が映り込んだ。


「どうせ会社を作るなら、遅かれ早かれ必要になるでしょう? ちょうど知り合いに司法書士がいるから、一通り手続きも確認してもらったの」


「それと、本店所在地はひとまず秋葉原の近くで想定してるわ。正式な本社住所を決めたら、あとで移転登記すればいいし」


「……」


 涼介は、今度こそ何を言えばいいのか分からなくなった。


 以前から会社名を確認してきたのも、こういう理由だったのか。


 この半年、涼介は『Fate/stay night』のシナリオ、素材の取りまとめ、宣伝に追われ、ほとんどすべての力をゲームそのものへ注ぎ込んできた。


 一方の鳳凰院沙織は、開発面で大量のコードを書いただけではない。


 会社を実際に立ち上げるための準備まで、裏で進めてくれていたのだ。


 というか、この人、あちこちに詳しい知り合いがいすぎないか?


「どうしたの? 感動して言葉も出ない?」


 纱织が首を傾げる。


 口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。


「本当に感動したなら、いっそ……」


「いっそ?」


「私と結婚しちゃえば? 良妻賢母になる自信なら、かなりあるわよ?」


「……本気で言ってる?」


 涼介は一瞬、本当に心が揺れた。


 気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


 それほどまでに、目の前の女性が想像以上に有能だったのだ。


 ついさっきまで、何があってもこの人だけは自分の『船』から降ろしたくない――そんな考えすら浮かんでいた。


 だが次の瞬間には後悔した。


 そんな打算を抱えたまま、凤凰院の冗談に応じるのは、相手に対して失礼すぎる。


 もし鳳凰院沙織の言葉が本気だったのなら、そんな理由で応えることは、2人の未来に対してあまりにも無責任だ。


 しかし涼介の予想に反し、その問いを聞いた鳳凰院沙織は明らかに固まった。


 数秒。


 涼介が見つめる中、彼女は突然ぷっと吹き出した。


 そして再び腹を抱え、息もできないほど笑い始める。


「そんなうまい話があるわけないでしょう」


「冗談よ、冗談~。まさか本気で受けるつもりだったの?」


「……」


「お前な……」


 涼介は穴があったら入りたい気分だった。


 完全に弄ばれた。


 最初から冗談だと分かっていたはずなのに、よりによって返事をしてしまうとは。


 人生にありがちな勘違い。


 まんまと引っかかった。


 涼介は堪らず顔を覆った。


 だから気づかなかった。


 網の下へ落ちた脂に炭火が反応し、不意に炎が大きく揺れたことにも。


 その火が、鳳凰院沙織の頬を照らしたことにも。


 白い肌には、まるで熱にあてられたかのような赤みが浮かんでいた。


 笑い続けていた纱织は、やがて胸元を押さえた。


 息苦しそうにも見える。


 けれど、その理由を知っているのは彼女自身だけだった。


 激しく脈打つ心臓が、どうしても静まってくれない。


『……返してくれたんだ』


『なのに逃げちゃったのね、私……』


『ううん。まだ今じゃない』


『せめて会社ができてから……』


 鳳凰院沙織は胸に残る高鳴りを必死に押し込み、何事もなかったかのような顔を作った。


 焼き網から脂の弾ける肉を1枚取り、口へ運ぶ。


「ん~、おいしい」


 今の私の気分みたい。


 最高――!

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