第76 話 人生相談
店内へ戻った鳳凰院沙織は、カウンター前のハイスツールに腰を下ろした。
足をフットレストに乗せ、少しだけ力を抜いた姿勢になる。
「山崎のおじさん。私が選んだ相手、どうだった?」
カウンターに肘をつき、頬杖をつきながら目の前の山崎店長を見る。
「悪くないな。お前たちのゲームも試しに動かしてみたが、想像していたよりずっと出来がいい」
コンピューター関係において、山崎久塚はずっと沙織の師匠だった。
彼女がまだ中学へ入ったばかりの頃から、よく“友人”に連れられてこの店へ遊びに来ていた。
何度も顔を出すうちに、いつしかコンピューターそのものへ興味を持つようになった。
本格的にプログラミングを学び始めてからは、まだ1、2年ほどしか経っていない。
それでも短期間でここまで成長し、時代の進歩についていけるようになった。
今ではもう、山崎自身を追い越していると言ってもいい。
「もう俺から教えられることはないな。立派に卒業だ」
「ちっ」
沙織は小さく鼻を鳴らした。
「私が聞いてるのは、そっちじゃないでしょ。とぼけないでよ」
山崎久塚はテーブルを拭いていた手を止め、苦笑する。
「お前は本当に反抗的だな。恋愛の話なら、もう少しちゃんと考えたほうがいい。少なくとも家柄の釣り合う相手を選んだほうが、周囲の理解は得やすい」
「反抗的? その言葉、私には似合わないでしょ」
沙織は軽く鼻を鳴らした。
「そうやって何でも諦めるから、叔母さんは別の人と結婚したんじゃない。みんな弱すぎるのよ。自分が何を望んでるのかも分かってない」
山崎久塚は首を横に振り、手にしていた布巾を置いた。
「鳳凰院家がどういう家か、お前なら俺以上によく分かってるだろ。あのご当主が認めるとは思えない」
「やってみなきゃ分からないでしょ!」
沙織は即座に言い返した。
「まだ彼には、自分の家のことを話してないんだろ? あれだけ立場に差があると知れば、まともな判断力があるなら向こうから身を引く」
山崎久塚の言葉に、沙織は笑った。
「彼はそんなことしないよ」
どこからそんな自信が出てくるんだ。
山崎にはまだ言いたいことがあった。
仮に先ほどの少年が、昔の自分と同じように身の程知らずだったとしても、結末まで同じになるだけだ。
「そもそも、まだ私の片想いだけどね」
「ん?」
今度は山崎久塚が驚く番だった。
これだけ容姿に恵まれた自分の弟子が、わざわざ自分から追いかける側なのか。
沙織は急に茶目っ気たっぷりに舌を出した。
「あいつ、一度何かを始めたら簡単には諦めないの。ちゃんと自分の考えを持ってる人だから」
そこで少しだけ目を細める。
「山崎のおじさんとは違ってね」
「……」
自分の弟子から、高校生以下と言わんばかりに扱われる。
山崎久塚は笑うべきか、落ち込むべきか分からなかった。
「その前に、まず婚約の件をどうにかしたらどうだ。もう期限が近いんじゃないのか?」
山崎久塚がため息をつく。
その一言で、沙織の表情が目に見えて曇った。
「ほんと、空気読めないよね。叔母さんがどうして昔おじさんのこと好きだったのか、全然分からない」
「はは」
山崎久塚は再び布巾を手に取り、何事もなかったようにテーブルを拭き始めた。
◇ ◇ ◇
夜。
高城家。
夕食を終えたあと、昼間の約束どおり、涼介は凌乃の部屋へ呼び出されていた。
「それで、何の話だ?」
いつものように畳へ座り、壁にもたれかかる。
ただし今回は凌乃も椅子には座らず、涼介の正面に正座していた。
両手を太腿の上へ置き、少し言い出しづらそうな表情を浮かべている。
「瑠璃のことなんだけど……もう1回、試してみたいの」
「何を?」
「オタクっていうものを、あの子が受け入れられるかどうか」
「へえ」
涼介は少し意外そうに眉を上げた。
「てっきり首をすくめて、向こうにバレるまで逃げ続けるのかと思ってた。それか友達を優先して、自分の趣味を捨てるか」
涼介は自分の妹の性格をそれなりに理解している。
問題へ積極的に向き合うというより、肝心なところで逃げてしまうタイプだ。
「何よ、その言い方。どっちも捨てたくないから相談してるんでしょ?」
凌乃は不満そうに唇を尖らせた。
その表情の奥には、不安も見える。
「誰かに何か言われたのか?」
「あの黒猫……」
凌乃の顔が少し険しくなった。
「サイトで宣伝を始めたから、私のペンネームをもっと大きく出したほうが効果あるんじゃないかって言ってきたの」
「で、承諾した?」
「当たり前でしょ。あいつの前でビビったと思われたくないし。オタクのくせにオタクだって認められない偽物とか言われたら腹立つじゃない」
そこまで言うと、凌乃はさらに機嫌を悪くした。
五更真緒はまるでハリネズミだ。
一度言い合いになると、凌乃までつられて冷静さを失ってしまう。
本来なら、情報が広まる速度を抑えるべきだった。
少なくとも自分自身は宣伝の前面に出ないようにする必要がある。
「つまり、高城留美子って名前が瑠璃に知られるのも、もっと早くなるわけだな」
「それは当然でしょ」
涼介は頭が痛くなってきた。
なるほど。
急に人生相談を持ちかけてきた理由がよく分かった。
別に妹が成長したわけではない。
単純に、いよいよ逃げ場がなくなってきただけだ。
ゲームのエンディングに流れるスタッフロール程度なら、原画担当の名前にまで注目するプレイヤーはそこまで多くない。
現実でも、作品の中心人物や印象的なクリエイターだけ覚えているファンは多い。
奈須きのこや麻枝准のような、作品そのものと強く結びついた人物。
あるいは会社やブランドのロゴ。
アニメを見ても、制作委員会の構成員まで毎回確認する視聴者はごく一部だ。
そこまで気にするのは、むしろ業界関係者に多い。
だが、自分のペンネームを宣伝材料として前面に出すとなれば話は別だった。
サイトの利用者たちも、ゲームに興味がなくても“天才少女漫画家・高城留美子”の名前を見れば、一度は触ってみようと思うかもしれない。
宣伝効果としては、間違いなくプラスだ。
その代わり。
高城留美子という名前そのものが一気に広まり、“18禁ゲームの原画家”という肩書まで付いて回ることになる。
ほとんど自爆だ。
「まあ……いかにもお前らしいけどな」
「何よ。笑ってる?」
「うん。笑ってる」
「うぅ……」
涼介にからかわれても、今回は凌乃が言い返してこなかった。
完全に気落ちしている。
「どうすればいいの?」
金髪の少女が俯いたまま、小さな声で尋ねた。
「まずは瑠璃の興味があるところから攻めるしかないな」
「興味?」
「先にgalgameを遊ばせてみる。少しずつ、あいつのオタクに対する認識を変えていく」
「無理に決まってるでしょ」
凌乃は即答した。
「ああいうゲーム、瑠璃は絶対に触らないよ。18禁マークを見た瞬間にゴミ箱へ突っ込むと思う」
自分の親友については、凌乃が一番よく知っている。
「そうとも限らない」
涼介は少し前のメールを思い出した。
あのモデル少女は、凌乃を喜ばせるためなら、自分が嫌っている仕事にまで参加しようとしていた。
コスプレですら受け入れたのだ。
そこからもう一歩踏み込ませることも、不可能とは言い切れない。
「私には無理……」
凌乃は両膝を抱え込んだ。
「galgameを勧めるなんて、絶対に嫌われる……」
そのまま顔を膝へ埋め、身体を小さく丸める。
家の中だからと短パンしか穿いていないせいで、その姿勢になると白い太腿がかなり露わになった。
涼介は少し気まずくなり、視線を外す。
こいつ。
兄がいるんだから、もう少し気をつけろよ。
涼介は立ち上がると、凌乃の頭へ手を伸ばした。
そして遠慮なく、ぐしゃぐしゃと金髪をかき回す。
「何すんのよ! いきなり頭触らないで!」
反射的に凌乃が顔を上げる。
さっきまでの弱々しさはどこへやら。
瞬時にいつもの小さな虎へ戻り、涼介へ牙を剥いた。
「ぷっ」
涼介は思わず笑った。
そうそう。
こっちのほうが、自分の知っている高城凌乃だ。
「心配するな」
涼介は手を離した。
「お前もゲームの宣伝に協力してくれたんだ。そのお返しってことで、この件は俺が何とかする」
「え?」
凌乃の表情が一気に変わった。
ほっとしたような、安心したような。
それでも信じられないものを見るように涼介を見つめる。
「あなた……妹の友達にgalgameを布教する気?」
「仕方ないだろ?」
「……変態」
凌乃が小さく呟いた。
涼介は特に気にしなかった。
実際、やっていることだけを見れば褒められたものではない。
未成年の少女へ18禁ゲームを勧めるのだから。
父親に知られれば、さすがに本気で叱られるだろう。
「鳳凰院に頼んでみるか……」
涼介は少し考える。
18禁部分だけ取り除いた、全年齢向けの特別版を1本だけ用意してもらう。
それでまず反応を見るのが一番無難かもしれない。
凌乃へ一言告げ、涼介は部屋から出ようとした。
「ねえ」
「まだ何かあるのか?」
涼介が足を止める。
凌乃はまだ畳の上に正座したまま、顔だけを横へ向けていた。
金色の髪が頬へ落ち、表情まではよく見えない。
「瑠璃のこと……お願い」
「分かったよ。礼なら全部終わってからでいい」
「……プレゼント、用意するから」
蚊の鳴くような小さな声だった。
涼介には聞き取れなかった。
「ん?」
すると凌乃が、少しだけ声を大きくした。
「だから! ちゃんと誤魔化せたら、プレゼントあげるって言ったの!」




