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ハーレム,俺の義妹が天才漫画家だった件  作者: 下級生


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第75話 またね、沙織

8月9日、火曜日。


 M即売会の日が、いよいよ目前まで迫っていた。


 涼介は鳳凰院沙織から連絡を受け、秋葉原へ向かうことになっている。


 聞けば、初回生産分のパッケージサンプルが完成したらしい。


 現物を確認して問題がなければ、今日からそのまま量産に入るという。ディスクの複製を請け負う業者が、イベント当日に会場まで直接搬入してくれる予定だった。


 家を出る前、涼介は一応、凌乃にも声をかけた。


「一緒に行くか?」


「行かない、行かない」


「そういうのはそっちで決めればいいでしょ」


 部屋の扉を開けると、凌乃はキーボードを抱えるようにして、カタカタと勢いよく文字を打ち込んでいた。


 どうやら五更真緒に誘われて、どこかのネット上のチャットルームへ入ったらしい。かなり楽しそうに会話へ参加している。


 涼介がちらりと画面を見ると、参加者のIDは女性らしきものばかりだった。


 ――まあ、予想どおりの展開か。


 ずっと1人で遊んでいたゲーマーが、ようやく仲間を見つけたらしい。


 涼介がそのまま扉を閉めようとすると、凌乃が不意に振り返った。


「遅くならないでよ。ちょっと相談したいことがあるから」


「ん? 用があるなら今でもいいぞ」


「見れば分かるでしょ? 今忙しいの!」


 凌乃はすぐに画面へ視線を戻した。


 横顔には、どこか負けず嫌いそうな表情が浮かんでいる。


 チャットの相手と何か言い争っているのだろう。


 わざわざ確認するまでもなく、涼介にはだいたい想像がついた。


 ◇ ◇ ◇


 家を出た涼介は、東京方面へ向かう電車に乗り込んだ。


 その途中、ポケットの携帯電話が震える。


 表示された名前を確認してから、通話ボタンを押した。


「おめでとうございます、時雨沢先生。新作が電撃文庫大賞の金賞を受賞しました」


 電話の向こうから聞こえてきたのは、早川留美の弾んだ声だった。


 本人である涼介以上に喜んでいるようにさえ聞こえる。


「ご都合がよければ、なるべく早めに会社へ来て契約を済ませませんか? そうすれば出版準備もすぐに進められます。先生のゲームの発売時期も、もうかなり近いですよね?」


「……」


「今日ですか? はい、大丈夫ですよ。いつでも来てください」


 通話を終え、涼介は小さく息を吐いた。


 予想していたよりも、ずっといい結果だった。


 せいぜい銀賞まで行けば十分だと思っていたのだ。


 文庫大賞と新人賞では、競争のレベルそのものが違う。


 自分では『Fate/Zero』をかなり忠実に再現できたつもりではいたが、今回提出したのは第1巻分だけだ。


 この作品の本当の見せ場は後半に集中している。


 王の宴。


 空中戦。


 裏切り。


 そういった読者を楽しませる場面は、まだほとんど出していない。


 涼介としても、販売ルートを確保する前から先の内容を大量に公開するつもりはなかった。


 せっかく盛り上がっても、それを売上につなげられなければ意味がない。


 しかも、記憶の中で『Fate/Zero』が大きく支持された背景には、すでに『Fate』シリーズのファン層が存在していたことも大きい。


 今の市場でいきなり金賞まで届いたのなら、題材の新鮮さが相当評価されたのだろう。


「そういえば、金賞って賞金100万円だったよな?」


 ということは。


 あと500本、増産できる。


 そう考えた涼介は、新宿駅へ到着すると先に島川ビルへ向かい、契約を済ませることにした。


 ◇ ◇ ◇


 涼介が秋葉原へ到着した頃には、すでに午後1時を回っていた。


 事前に沙織へ連絡を入れ、Lパソコン専門店の前で待ち合わせる。


 これまで何度か会った時の沙織は、身体のラインがきれいに出る店員用の制服姿だった。


 だが今日は、初めて会った時と同じようなオタク然とした格好をしている。


 チェック柄のシャツに、分厚い眼鏡。


 急に昔の姿へ戻ったせいで、涼介は一瞬違和感を覚えた。


 沙織は人差し指で眼鏡を少し下げると、涼介へ片目をつぶってみせる。


「久しぶり、時雨沢。その顔、私の格好が意外だった?」


「意外じゃないって言うほうが無理だろ。イベントの時だけ、その格好をするのかと思ってた」


「ふふ。気に入らないなら、お店に戻って着替えてこようか?」


 そう言って、本当に踵を返そうとする。


「いや、いい。わざわざそこまでする必要ないだろ……」


「本当にいいの?」


 沙織が振り返る。


 首を傾げ、口元には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。


「てっきり時雨沢も、普通の男の子と同じで、仕事のできるお姉さんみたいな格好が好きなのかと思ってた」


「今日だって、少しくらい期待して来たんじゃない?」


「たとえば――また私に“利息”を取られるかも、とか」


 沙織は両腕で胸を抱えるようにしながら、人差し指を唇へ添えた。


 その仕草を見た瞬間。


 涼介の頭には、以前この店で壁際へ追い詰められた時の記憶が鮮明によみがえった。


 思わず顔を覆う。


「……本当に懲りないな、お前」


「冗談はそこまでにしてくれ。今日はちゃんと用事があるんだろ」


「まあ、今日はこれくらいで許してあげる」


 沙織は楽しそうに笑った。


「M即売会が終わったら、その時こそちゃんと利息をもらうからね?」


 完全にからかわれている。


 涼介が何も返さないでいると、沙織は満足そうに先を歩き始めた。


 ◇ ◇ ◇


 ディスクの複製を請け負っている店は、Lパソコン専門店からそれほど離れていなかった。


 徒歩で行ける距離で、同じ秋葉原の一角にある。


 店へ入る前、涼介は看板を見上げた。


 ――東芝秋葉原電子通商。


「おーっす、山崎のおじさん!」


「おう、沙織ちゃんか」


 店内はそれほど広くない。


 カウンターの奥には、チェック柄の半袖シャツを着た中年男性が座っていた。


 沙織の姿を見ると、すぐに立ち上がる。


 その男は涼介にも気づき、少し意味ありげな目を向けてきた。


「友達も一緒か。今回の依頼主っていうのは、この人でいいんだよな?」


 沙織は片手を腰へ当て、頷いた。


「そうだよ」


 そして、にやりと笑った直後。


 涼介が反応するより早く右腕を伸ばし、その首へ腕を回した。


「え?」


 そのまま一気に引き寄せられる。


 額に、ひんやりとした柔らかな感触が触れた。


 沙織の頬だ。


 視線を下へ向けようとしたが、目の前は彼女の豊かな胸元に遮られて、ほとんど何も見えない。


「紹介するね。こいつが高城涼介」


「……!」


 突然の距離感に、涼介の思考が一瞬停止した。


 慌てて沙織の腕から抜け出す。


「……」


 店主の目の前だ。


 さすがに少し頭が痛くなってくる。


 完全に油断していた。


 まさか沙織が不意打ちでこんな真似をしてくるとは思っていなかった。


「なるほど。高城さんですね。よろしくお願いします。ここの店主をしております、山崎久塚です」


 山崎は沙織の行動をまるで見ていなかったかのような顔で、にこやかに挨拶した。


 涼介も軽く頭を下げる。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


「では、まずサンプルをご確認ください」


 山崎久塚が、1本のDVDケースを差し出してきた。


 涼介はそれを受け取る。


 やや正方形に近いケース。


 表紙には、涼介が凌乃へ別途依頼して描かせたキービジュアルが使われている。


 主要登場人物の多くが配置され、その中央には『Fate』のロゴ。


 色合いも素材も安っぽさがなく、手に取っただけでしっかりとした質感が伝わってきた。


 ケースを開く。


 中のDVD表面には透明感のある薄いフィルムが施され、眠るアルトリアの横顔が描かれていた。


「どう? この仕様、私が提案したんだよ」


 ふわりと甘い香りが鼻先をかすめた。


 いつの間にか、沙織がすぐ隣まで寄ってきている。


「ディスク表面へのフィルム印刷は、山崎のおじさんの得意分野なんだ。全部で5種類作ったよ」


「3人のヒロインと衛宮士郎、それからイリヤスフィール・フォン・アインツベルン」


「かなり綺麗だな……想像していたよりずっといい。これ、パッケージ代は?」


「DVD本体、複製、パッケージ込みで、最初に相談したとおり1本2000円」


 山崎が答える。


「問題がなければ、この仕様でそのまま量産へ入ります。12日当日は、開場3時間前までにこちらから指定場所へ搬入します」


「数量は2000本で間違いありませんね?」


 涼介は少し考え、首を横へ振った。


「500本追加してください」


「急な追加で2500本ですか? 大丈夫ですよ」


 山崎久塚はカウンターの下から端末を取り出し、涼介へ差し出した。


「では、合計500万円になります」


 涼介は迷わず支払いを済ませた。


 暗証番号を入力し、確認ボタンを押す。


 これで、手元に残っている金は父親から毎月もらっている小遣い程度になった。


 まさに一文無し寸前である。


 ◇ ◇ ◇


 沙織は店の外まで涼介を見送りに出てきた。


「じゃあ、今日はここまでだな」


 涼介は振り返る。


「本当に助かった。ありがとう、鳳凰院」


 もし彼女のような腕の立つプログラマーがいなければ。


 自分1人でこのゲームを形にするには、あと半年は必要だっただろう。


 少なくとも『カードキャプターさくら』のアニメ化による収入が入るまでは、本格的に動き出せなかったはずだ。


 そして、仮に金があったとしても。


 ここまで信頼できる技術者と出会える保証など、どこにもない。


「感謝するなら、言葉だけじゃ足りないんじゃない?」


 沙織は分厚い眼鏡を外し、ポケットから出したハンカチでレンズを拭き始めた。


 けれど、その瞳はずっと涼介へ向けられている。


 楽しげな光を宿した視線に見つめられ、涼介は頬が少し熱くなるのを感じた。


「……変な冗談はやめろ。俺は本気で礼を言ってるんだ」


 口元がわずかに引きつる。


 こんな言い方をされれば、普通は勘違いしてしまうだろう。


 これまで何度も話して、沙織の性格を知っているからこそ、涼介は冗談だと思っていられる。


 そうでなければ。


 本気にしてしまっていたかもしれない。


 沙織はそれ以上何も言わなかった。


 ただ、小さく笑う。


 再び分厚い眼鏡をかけると、その瞳はレンズの向こうへ隠れた。


 そして店へ戻りながら、振り返って手を振る。


「打ち上げの時に、たっぷりお礼してもらうからね」


 その笑顔を最後に。


 涼介は秋葉原の人混みへと歩き出した。


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