第71話 多忙なモデル
M展が終わったあとに会社を立ち上げるつもりなら、そろそろ公式サイトの準備も進めておくべきだろう。
今からなら、ゲームを大量プレスする前にURLをパッケージへ印刷することもできる。
うまくいけば、それだけでもそれなりの宣伝効果が期待できるはずだ。
当初は鳳凰院に頼むつもりだった。
だが、彼女には今後ゲーム開発のほうで手いっぱいになってもらう可能性が高い。
サイトの運営まで任せるのは負担が大きすぎると考え、涼介はその案を取りやめた。
その件について、涼介は五更真緒とかなり長い時間話し込んだ。
「簡単な企業サイトなら、デザインから実装まで含めて60万円前後ですね。運用管理費は別になりますけど、サーバーについては私のところに置いても構いません」
専門分野の話になると、真緒は途端に生き生きし始めた。
父親が遺してくれた設備を使って収入を得る。
それは以前から、彼女がずっと望んでいたことでもある。
まさか今日、こんな形で機会が巡ってくるとは思っていなかった。
「サイトに掲示板も併設したい場合は? ユーザーが自由に書き込めて、画像も投稿できるようなもの」
「想定アクセス数はどれくらいですか? 掲示板まで追加すると、今のサーバーでは処理しきれない可能性があります」
「アクティブユーザーで、最低でも5万人くらいかな」
涼介はかなり控えめな数字を口にした。
「……」
真緒が言葉を失った。
5万人。
しかも画像を自由に投稿できる掲示板。
それだけの規模になれば、必要なストレージ容量も処理性能も一気に跳ね上がる。
「それなら、サーバーを増設する必要があると思います。それに……今の私の技術だと、少し厳しいかもしれません」
「そうか」
それからも涼介は真緒と細かく話を詰めていった。
その結果、自分の記憶にある『2ch』や、初期の『BiliBili』に近いものを今の時代に作ろうとすれば、費用は数千万円単位になる可能性があるらしい。
考えてみれば当然だった。
片方は21世紀に入ってから本格的に広がったサービスで、もう片方が登場したのは2009年前後。
現在とは技術水準そのものが違う。
同じ規模のサービスを作ろうとすれば、必要なコストもまるで違ってくる。
しかも当時は、いわゆる『好きだから作る』という文化が強かった。
ACG好きのユーザーたちが技術面で協力したり、中には無償でコードを書き直したり、自腹を切って運営を支援する者までいたほどだ。
「じゃあ、まずは企業サイトと小規模な掲示板から始めよう」
涼介はそう結論を出した。
最初から理想形を目指すのは現実的ではない。
会社設立前から、予算の大半をウェブサイトにつぎ込むわけにもいかなかった。
「まずは企業サイトを軸にして、少しずつ利用者を増やしていけばいい」
相談を終えたあと、涼介は着手金として10万円を支払った。
残金は8月末に支払う。
その条件で話はまとまった。
真緒も快く了承した。
彼女としては、涼介が代金を踏み倒すことをそれほど心配していない。
何しろサイトは自分のサーバー上で動かすことになる。
本当に支払いがなければ、止めようと思えばいつでも止められるのだ。
むしろリスクを背負っているのは涼介のほうだった。
「契約書、作らなくていいんですか? こんなふうに現金を渡してしまって」
真緒は少し意外そうだった。
値下げ交渉すらしてこない。
あまりにも話が早い。
「まあ、最低限の信頼は必要だろ。五更さんだって、今日ここまで来てくれたのは、LAMPって名前をある程度信用したからじゃないか?」
涼介は肩をすくめ、何でもないことのように言った。
実際のところ、今の彼にとって20万円は契約書を一から用意するほどの大金ではないという事情もあった。
「……ありがとうございます」
真緒は小さく礼を言った。
その顔には、わずかに笑みが浮かんでいる。
隣にいた凌乃は、つまらなそうに唇を尖らせていた。
ふたりがずっと話していた内容は、彼女には半分も理解できない。
パソコンについて知っていることといえば、ほとんどゲーム関連だけだ。
それでも、とりあえず話がまとまったらしいことだけは分かった。
「じゃあ、今日はこれで終わり?」
「ああ。また会おう。興味があるなら、M展のときに俺たちのスペースへ遊びに来てくれ」
「行きます」
真緒は涼介へ頷き、帰ろうとした。
その直前、隣で不機嫌そうにしている凌乃へ視線を向ける。
「何よ。急にこっち見て。また喧嘩したいの?」
「別に。ひとつ謝っておこうと思っただけ」
「……?」
「前にあなたを偽物だと決めつけたこと。その件は悪かったと思ってる」
「……」
凌乃が一瞬、固まった。
すぐに拗ねたように顔を逸らす。
だが涼介は見逃さなかった。
さっきまで下がっていた口元が、ほんの少しだけ上がっている。
「ふん……何よ。全然誠意が感じられないんだけど……」
「でも、全部私が悪いとも思ってないけどね」
「は?」
「まさか高城留美子が、こんな子供っぽい人だとは思わなかったし」
「子供っぽいって言うな! この小学生!」
また噛みついてきた凌乃を見ても、今度の真緒は腹を立てなかった。
むしろ余裕ありげに、耳にかかった黒髪をさらりとかき上げる。
「まあ、自分の趣味を堂々と認められるようになって、もう少し素直になったら、そのときは認めてあげる」
それだけ言い残し、真緒は足早に喫茶店を出ていった。
話し込んでいたせいで、アルバイトの時間がかなり迫っている。
これ以上のんびりしていたら、本当に遅刻しかねなかった。
◇ ◇ ◇
「何よあいつ。言いたいことだけ言って帰るなんて」
高城凌乃はむっと頬を膨らませた。
今日ここへ来た目的は、一応果たせた。
『クロウ・リードのルナ』本人から謝罪の言葉も聞けた。
なのに喜べたのはほんの数秒。
結局また腹を立てさせられている。
「帰ったら、またDM送りまくってやる。リアルじゃ言い返しにくいだけなんだから」
「案外、いい友達になれそうだな」
涼介が何気なく口にした。
「は?」
凌乃の顔には、はっきりと、
――何言ってるの、こいつ。
と書いてあった。
「まあ、何でもない。そろそろ帰ろう」
涼介はそれ以上言い争うつもりもなかった。
彼から見れば、ふたりは趣味も近く、年齢も近い。
最初から犬猿の仲のようにぶつかり合った相手ほど、何かのきっかけで妙に気が合うこともある。
特に凌乃は、自覚がまるでない。
これまでずっとひとりでゲームを楽しんできた人間が、自分と同じ熱量で語り合える相手を見つけたとき。
そこから一気に濃い友情へ発展する可能性は、決して低くない。
「行くぞ。これ以上遅くなると、夕飯に間に合わない」
「分かってるわよ。うるさい」
兄妹はそのまま帰路についた。
「そうだ。琉璃の件、忘れてないでしょうね? 何とかしてくれるって言ったんだから」
「大丈夫。考えはある」
◇ ◇ ◇
最近の新垣琉璃は、かなり忙しかった。
撮影の依頼が前のシーズンより明らかに増えている。
今日も仕事が終わったのは、夕方6時近くになってからだった。
「皆さん、お疲れさまでした。今日はここまでです」
「琉璃ちゃん、かなり上達したね。1日で3パターン撮り終えられるようになるとは思わなかったよ」
「ありがとうございます」
カメラマンが終了を告げた瞬間、琉璃はようやく肩の力を抜いた。
「そういえば、前に話した件だけど。まだ考える気はない? イベント側のギャラ、かなりいいよ。指定衣装を着てステージに出て、撮影に応じるだけだから」
「露出、かなり多いんですよね? それに私、あまりコスプレは好きじゃなくて……」
琉璃は角が立たないよう、やんわり断った。
このカメラマンは東京スターダストプロモーション所属。
早川静香が所属している、あの芸能事務所のスタッフでもある。
琉璃が契約している事務所とは提携関係にあり、外注撮影を請け負うことも多い。
何度も一緒に仕事をしているため、すでにある程度顔なじみだった。
以前から彼は何度か、事務所が関わっているコスプレ企画への出演を勧めていた。
有名イベントへゲスト出演することもあり、業界内で名前を売るには悪くない仕事らしい。
将来を考えれば、受ける価値がないわけではない。
ただ、観客の中心が、彼女の苦手とするあの手の人間たちだと聞いてからは、反射的に断っていた。
「そうか。露出って言っても、全部が全部そういう衣装じゃないんだけどね」
カメラマンは残念そうに笑った。
付き合いも長い。
琉璃が何を嫌がっているのかも、おおよそ察している。
それでも、もう一度だけ勧めてみた。
「露出の少ないキャラもいるよ。たとえばちびまる子ちゃんとか、大道寺知世みたいなタイプ。制服系なら大丈夫じゃない?」
「え?」
琉璃は断ろうとして、ふと動きを止めた。
聞き覚えのある名前が混じっていた。
「大道寺知世?」
「うん。最近かなり人気が出てる少女漫画、『カードキャプターさくら』のキャラクター。今すごく勢いがあるんだよ。うちも島川グループから宣伝案件を受けてる」
そこまで人気が出ているんだ。
琉璃は心から、親友の成功を嬉しく思った。
そういえば、近いうちに凌乃と買い物へ行く約束もしている。
もし知世の格好で一緒に出かけたら――。
凌乃、喜んでくれるかもしれない。
「藤原さん」
「ん?」
「もしその仕事を受けたら……撮影で使った衣装って、外出用に少し借りたりできますか?」




