第62話 BAD END
涼介は思わず苦笑した。
そこでようやく、青年がずっと通路を塞いでいた理由を理解する。
目の前のだらしない格好をした青年は、コンビニへ入るなり棚を見回し、何も買わずに帰ろうとしていた。
それなのに、涼介が会計を済ませた途端、出口の前へ立ちはだかったのだ。
すべては、涼介が手にしている雑誌の付録が欲しかったかららしい。
だとしても、土下座までするのは、いくらなんでも大げさすぎる。
ここまで見事な五体投地をされたのは、涼介にとっても生まれて初めての経験だった。
「そんなに欲しいなら、譲りますよ」
「えっ……いいんですか?」
菊池翔太はわずかに顔を上げ、信じられないものを見るような目を向けてきた。
「構いませんよ」
涼介がそう答えると、翔太は慌てて立ち上がった。
差し出された雑誌を受け取り、すぐさま最後のページを開く。
カラーページの中央には、目当ての試遊版ディスクがしっかりと収められていた。
「やっと手に入った……これで帰ったら遊べる。よかった……」
「もしかして、この付録をずっと探していたんですか?」
菊池翔太の顔に満足そうな表情が浮かんだのを確認し、涼介は話しかけてみた。
青年の身なりや態度を見る限り、長いあいだ家から出ていなかった引きこもりなのだろう。
対人恐怖症でも抱えているのかもしれない。
普通なら、どうしても欲しいのであれば、事情を説明して譲ってもらえないかと頼めばいい。
いきなり腕を掴み、そのうえ土下座までする人間はそういない。
それ以上に涼介が気になったのは、わざわざディスクを探し回るほど、『Fate/stay night』の宣伝情報がどこから広まったのかという点だった。
「……」
菊池翔太は口を閉ざしたまま、怯えたように店員へ視線を向けた。
店員はまだ近くに立っている。
涼介の質問に答えるべきかどうか、迷っているらしい。
自分がオタクだと明かせば、気味悪がられるかもしれない。
そのせいで涼介が気を変え、雑誌を取り返してしまったらどうしよう。
そんな不安が、顔にそのまま表れていた。
涼介は翔太の落ち着かない視線に気づき、店員へ問題ないと伝えてその場を離れてもらった。
そして店内の片隅に設けられた狭いイートインスペースへ、翔太を連れていく。
「俺もギャルゲーは遊びますよ。同じ趣味の人を探していて……」
「本当ですか!?」
その一言だけで、菊池翔太の全身から緊張が抜けた。
目を輝かせ、先ほどまでとは別人のように表情を明るくする。
なるほど。
同じ趣味を持っているから、自分の行動を理解してくれたのか。
今日は本当に運がいい。
◇
涼介は菊池翔太からいくつかの情報を聞き出したあと、彼と別れてコンビニを出た。
そのまま帰宅するため、電車へ乗り込む。
「友人から勧められて、雑誌に質の高いゲームの試遊版が付いていると知った……同好者向けのサイトでも、このゲームが本当に存在するのか話題になっている、か」
雑誌を利用した宣伝は、すでにある程度の効果を上げているらしい。
涼介は、雑誌の購読者が付録など気にも留めないのではないかと心配していた。
だが、それは杞憂だったようだ。
むしろ配布数が少なすぎたせいで、一部のネットユーザーがでっち上げた架空のゲームだと思われている。
他人の興味を煽るために、存在しない作品の噂を広めていると疑われているらしい。
菊池翔太から聞いた、18禁ゲーム愛好者が集まる非公開掲示板にも、涼介は強く興味を惹かれていた。
念のため、サイトのアドレスも教えてもらっている。
この時代のポータルサイトには、そのような小規模サイトが掲載されることなどまずない。
アニメやゲームを扱う掲示板自体がかなりマイナーであり、安定した収益を得る手段もない。
運営者の都合次第では、いつ閉鎖されてもおかしくなかった。
涼介と鳳凰院が出会ったサイトも、現在ではすでにアクセスできなくなっている。
ましてや18禁コンテンツを扱うサイトなど、社会的には限りなくグレーな存在だ。
運営者も、おそらく完全に趣味で維持しているのだろう。
利用者の大半は口コミで存在を知り、そこへ辿り着く。
しかし、そうした形で集まった利用者ほど定着率は高く、急激に人が増えないぶんサーバーへの負担も少ない。
「家に着いたら、凌乃のパソコンを借りて覗いてみるか。上手く使えば、多少は宣伝に役立つかもしれないな」
◇
その頃、凌乃は自室にこもり、パソコンの画面を食い入るように見つめていた。
親指の爪を軽く噛みながら、目の前に表示された選択肢を前に迷っている。
【――――】
【……意識が戻ったのか?】
【セイバーは冷たい瞳で、目の前の俺を見つめている】
【俺は――】
【1……セイバーを助ける】
【2……腕を振り下ろす】
「何よ、この選択肢……!」
凌乃は思わず声を上げた。
「あいつ、性格が悪すぎるでしょ。私の手でセイバーを殺せっていうの!?」
正式版を遊び始めてから、すでに半月近くが過ぎている。
ほかの2つのルートは無事にクリアし、それぞれのトゥルーエンドも解放した。
だがHFルート――間桐桜を中心とする物語では、すでに10回以上もタイガー道場へ送り込まれている。
それでも諦めずに続けているのは、このルートで桜が背負わされてきた悲惨な過去を知ったからだった。
何としてもトゥルーエンドへ辿り着き、彼女を救いたい。
高城凌乃はマウスカーソルを選択肢の2へ合わせた。
しばらく迷った末、最終的にはセイバーを助ける選択肢を選んだ。
画面に新たな文章が表示される。
【……刺せない。】
【短剣を握る手は震え、どうしてもセイバーの胸を貫くことができない。】
「そうよ! 刺せるわけないでしょ!」
衛宮士郎の独白に、凌乃は強く同意した。
騎士王の物語を最初から最後まで見届けたプレイヤーとして、凌乃はすでにセイバーの人格と生き方に強く惹かれている。
そのセイバーを自分の手で殺すなど――。
愛する相手を自ら殺めるような痛みがあった。
「この選択肢がグッドエンドに繋がるのよね? もしかしたらセイバーが支配を振り切って、助けてくれるかもしれないし」
そんな期待を抱きながら、凌乃は物語を進めていく。
しかし、展開は彼女の予想とは大きく異なっていた。
マウスをクリックするたび、文章が次々と表示され、すぐに消えていく。
物語は取り返しのつかない方向へ進み始めていた。
【――桜、遠坂はどこだ?】
その台詞が表示された瞬間、凌乃の全身に鳥肌が立った。
顔には苦しげな表情が浮かぶ。
このルートでは、遠坂凛が同盟者として主人公と共に最後の戦場へ乗り込んでいる。
戦場では二手に分かれ、士郎が桜に操られたセイバーと戦い、凛は黒化した妹――間桐桜を止めるために向かっていた。
ここでそんな質問が出る時点で、答えはほとんど分かりきっている。
この場には、桜以外の姿がない。
凌乃の嫌な予感を肯定するように、画面の中の桜が返事をした。
【うん。先輩が思っているとおりです。姉さんはもう、この世界のどこにもいませんよ】
【だって、さっき私が食べちゃいましたから】
――。
【これも先輩が悪いんですよ。セイバーを助けようとしたから、最後の最後で姉さんは私を殺せなかったんです】
――。
【先輩も中へ来てください。ほら、姉さんが両手を広げて待っていますよ】
――。
やがて画面は真っ暗になった。
片隅に、2つの英単語が表示される。
――BAD END。
「ふざけないでよ!」
高城凌乃は頭を抱え、そのままベッドへ突っ伏した。
「これだけ何度も死んでるのに、まだ都合のいい展開を期待した私が馬鹿だった……あいつ、完全にプレイヤーの心を弄んでるじゃない!」
◇
月が昇り、空にはまばらな星が瞬いていた。
高城家では夕食の時間を迎え、家族4人が食卓を囲んでいる。
今夜の凌乃は、見るからに機嫌が悪かった。
食べ物へ八つ当たりするように箸を動かし、強く噛み締めている。
その間も、鋭い視線はずっと涼介へ向けられていた。
まるで親の仇でも見るような目だった。
バッドエンドを引いたのか。
完全に八つ当たりだな。
涼介は心の中でため息をつきながら、黙々と食事を続けた。
息子と娘の間に流れる異様な空気に、高城夫妻は何も言わなかった。
ただ、互いに顔を見合わせる。
それから10分後。
「ごちそうさま!」
高城凌乃は箸を置き、細かな足音を響かせながらリビングを出た。
階段を上り、自室へ戻ろうとする。
しかし途中で足を止め、まだ味噌汁を飲んでいる涼介へ振り返った。
「ねえ!」
「ん?」
涼介が意外そうに振り向くと、凌乃は不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。
「食べ終わったら、私の部屋に来て」
「分かった」
涼介は平然と返事をした。
ちょうど凌乃のパソコンを借りたいと思っていたため、向こうから呼んでくれるなら都合がいい。
凌乃はそれ以上何も言わず、早足で自室へ戻っていった。
その様子を見ていた美恵子は、口元に手を当てて笑う。
「本当に仲のいい兄妹になったわね。嫌なことがあったときも、お兄ちゃんに相談するようになったんだもの」
「うむ。父親として嬉しい限りだ」
「……」
涼介は返す言葉を失った。
両親は、どうやら自分たちの関係を大きく勘違いしている。
相談などではない。
おそらくこれから、ゲームの展開について制作者を糾弾するつもりなのだろう。
やはり、ゲーム制作者と純粋なプレイヤーが近くに住むのは危険だ。
一歩間違えれば、郵送ではなく、直接ナイフを手渡されかねない。




