第49話 マネージャー
声優のキャスティングについて考えた末、涼介は早川静香へメッセージを送ることにした。
『星見さん、少しお願いしたいことがあります』
あのアイドルの少女とは、前に別れてから一度も会っていない。
静香から誘われたこともあったが、涼介はほとんどの時間を原稿に費やしており、どうしても予定を空けられなかったため、断っていた。
返信は早かった。
わずか五分ほどで、涼介の携帯電話にメッセージが届く。
『高城君、残り十三曲のBGMについて? もう制作を始めてるよ。来月末までには、だいたい全部完成すると思う』
『それとは別の件です。前に声優について聞いたことがありましたよね。制作中のゲームで、何人か声優を起用したいと思っています』
『えっ?』
『新人で構いません。ただ、十八禁作品の仕事を受けられる人が条件です』
涼介は、外せない条件を伝えた。
『Fate/stay night』に含まれる成人向けの場面はそれほど多くない。
それでも、十八禁作品である以上、そうした内容を完全に避けることはできなかった。
『それなら、そこまで難しくないと思う。私の事務所にも声優部門があるから、紹介できるよ』
早川静香はそう返信した。
彼女が所属している芸能事務所は、幅広い事業を手がけており、傘下には声優事務所も抱えている。
以前、涼介が静香から声優の相場を聞けたのも、そのためだった。
十八禁作品についても、新人声優なら強く拒む者は少ない。
業界へ入ったばかりの彼女たちにとっては、仕事を得て実績を作れるだけでも貴重な機会だからだ。
『土曜日でも大丈夫ですか?』
『大丈夫だよ……』
早川静香は携帯電話を両手で持ち、そこまで打ったところで指を止めた。
彼女は今、ベッドにうつ伏せになっている。
隣では、姉の早川留美がすでに眠っていた。
静香は枕へ顔を埋めた。
暖房の効いた部屋にいるせいか、頬がほんのり赤く染まっている。
少し迷ったあと、返信の末尾へ一文を付け加えた。
『大丈夫だよ。それと、高城君が私に書いてくれた曲も完成したの。よかったら、そのときに聴いてみない?』
『事務所からステージへ出演する話をもらっていて、その前に社内でリハーサルをする予定なの』
送信ボタンを押す。
その直後、早川静香は恥ずかしさに耐えきれず、布団の中で身体を丸めた。
前回涼介と別れてから、彼女はかなりの時間を使い、『No, Thank You!』を改めて編曲し、歌の収録まで完成させていた。
仕上がりも、本人が驚くほどよかった。
音源のデモを事務所へ送ると、マネージャーからもすぐに高い評価を得られた。
これで、再び音楽活動を続けられる。
そのすべては、涼介が曲をくれたおかげだった。
「こんなメッセージを送ったら、軽い女だと思われないかな……」
早川静香は、早くも後悔し始めていた。
相手は自分に頼み事があって連絡してきたのに、そのついでに余計な時間まで取らせようとしている。
「高城君、きっとすごく忙しいよね……」
不安を抱きながらも、涼介からの返信を期待してしまう。
やがて、携帯電話の画面に着信を知らせる光が灯った。
少女は緊張した面持ちで、メッセージを開く。
『大丈夫です。前から、あの曲は星見さんに合うと思っていました。俺も聴いてみたいです』
早川静香は布団の中で小さく拳を握った。
顔には、抑えきれない喜びが浮かんでいる。
そのまま、この話題でもう少し涼介とやり取りを続けようとした。
しかし、はしゃいだ拍子に立てた音で、隣に眠っていた早川留美を起こしてしまった。
姉は寝返りを打ち、携帯電話を抱えながら嬉しそうに笑っている妹を見た。
「静香、こんな時間まで起きていたら駄目でしょう」
「携帯を触るなら、明日の朝にしなさい……ほら、渡して」
「待って、お姉ちゃん!」
早川静香は悲鳴を上げた。
しかし、姉から同情を得ることはできず、携帯電話は容赦なく没収された。
一方、涼介はしばらく返信を待っていた。
だが、メッセージが届く気配はない。
そのため、携帯電話を枕元へ置いた。
「寝たのか?」
時計を見ると、すでに日付が変わる直前だった。
最近は夜更かしを続けていたせいで、生活のリズムが完全に崩れている。
本来なら眠る時間だというのに、涼介にはまったく眠気がなかった。
それでもベッドへ横になり、無理に目を閉じた。
◇
翌朝。
早川静香は姉と一緒に家を出た。
駅で留美と別れ、一人で所属事務所へ向かう。
静香が所属する芸能事務所は、アニメ関連の事業を中心に展開していた。
所属アイドルも、アニメやゲームをはじめとするサブカルチャー分野での活動を主な方針としている。
社名は、株式会社スターダスト・プロモーション東京。
略称はSPだった。
事務所の規模はそれほど大きくなく、所在地は東京の渋谷にある。
早川静香が入口の扉を開けると、受付の社員は意外そうな顔をした。
涼介のためにBGMを制作することになり、静香はマネージャーからしばらく休みをもらっている。
本来なら、次に出社するのは週末の予定だった。
「伊東さんとは、もう話してあります。今日は別の用事で来ました」
受付と簡単に言葉を交わしたあと、早川静香は事務所の奥へ進んだ。
途中、レッスン室の前を通る。
ガラス越しには、何人もの少女が懸命に練習している姿が見えた。
やがて静香は、自分を担当するマネージャー、伊東慎平の執務室へ入った。
「ずいぶん早いな、静香」
デスクの向こうに座っていたのは、無精髭を生やした中年の男だった。
指には、火をつけたばかりの煙草が挟まれている。
「まさか、うちのタレントが事務所に仕事を持ってくるとはな。驚いたよ」
「友達に頼まれたんです。伊東さんにはご迷惑をおかけしますけど、希望しているのは一番安い新人だけなので」
事務所にとって利益が大きいのは、資金に余裕のある企業からの依頼だ。
知名度の高い声優を起用すれば、所属事務所も多額の手数料を得られる。
一方、新人の多くはまだ経験が浅く、出演料もかなり低い。
たとえ事務所が半分以上を手数料として差し引いても、実績のある声優一人から得られる利益には遠く及ばない。
「その程度なら、大した手間じゃない」
伊東は軽く手を振った。
その動きに合わせて煙草の灰が落ち、机の上へ散らばる。
「そんな気遣いより、もっとまともな曲を持ってきてくれ」
「前に俺へ聴かせた、あの曲くらいのものをな」
伊東は意味ありげに早川静香を見た。
彼女は以前、営業イベントのステージ上で問題を起こし、事務所へ少なからぬ迷惑をかけている。
伊東も必死に庇ったが、会社の決定を覆すことはできず、静香が活動を止められるのを見ているしかなかった。
ところが、この少女は自力で再起の機会を掴んだ。
どこから見つけてきたのかは知らないが、自分のために書き下ろされた曲を手に入れたのである。
本当に運のいい子だ。
そう考えながら、伊東慎平は今後の方針を告げた。
「お前には、同期の研究生三人と一緒にデビューしてもらう」
「例の曲を、グループのメイン曲にするつもりだ」
「えっ、私一人で歌うんじゃないんですか?」
早川静香は困った表情を浮かべた。
あの曲は、作詞も作曲も自分ではない。
涼介からは自由に使っていいと言われているが、それでも心情的には、ほかの人と共有したくなかった。
「今は、ソロよりグループのほうが売り出しやすい」
「お前をメインボーカルにする。それは約束する」
伊東は穏やかな口調で説得した。
『No, Thank You!』一曲だけでは、静香を単独で簡単にデビューさせることは難しい。
だが、グループなら話は変わる。
伊東慎平も、あの曲を武器に会社へより多くの予算や宣伝枠を求めることができる。
曲をデビュー作の中心に据え、四人を軽く売り込み、同じ夢を追うアイドルグループという物語を作る。
デビューのきっかけとしては、もっとも堅実な方法だった。
「分かりました……」
早川静香は、仕方なく頷いた。
芸能人と事務所を結ぶマネージャーの意見は無視できない。
これまでの付き合いから見ても、伊東慎平は非常に責任感のある人物だった。
それに今は、涼介の件でも協力してもらわなければならない。
望んでいた返事を得た伊東は、満足そうに笑った。
「よし。声優の件は、こちらから事務所へ連絡しておく」
「相手の連絡先だけ残しておいてくれ」
「それと、そろそろレッスンへ戻る準備もしておけ。次のステージが、お前たちのデビュー公演になる」
「今度は、前と同じ失敗をするなよ」
「頑張ります!」
早川静香は真剣な顔で頷いた。
その点について、手を抜くつもりはない。
きちんと練習を重ねる。
そして心の中では、週末に涼介の前であの曲を歌えることを密かに楽しみにしていた。
「そういえば、前にお前へ曲を書いた相手と、今回声優を依頼したい相手は同じなのか?」
伊東慎平が突然尋ねた。
彼は『No, Thank You!』を作った人物に強い興味を抱いていた。
可能なら、早川静香から紹介してもらいたいとさえ考えている。
静香は答えかけて、言葉を止めた。
高城涼介本人の許可を得ていない以上、勝手に話していいのか判断できない。
伊東慎平は彼女の迷いに気づき、それ以上追及しなかった。
◇
早川静香が部屋を出ていくのを見届けたあと、伊東慎平は電話をかけた。
「俺だ。伊東だ」
「土曜日に、高城涼介という客が来る。声優を雇って、ゲームの収録をしたいそうだ」
「対応を頼む。A班の新人を回してやってくれ」
「それから、本人が来たら俺にも連絡してくれ」




