第47話 問おう。あなたが私のマスターか
正直なところ、涼介自身も、この時代のコンピューター技術には強い興味を抱いていた。
記憶にある時系列では、『Fate/stay night』が発売されたのは二〇〇四年だ。
その頃のコンピューター性能は、今とは比べものにならないほど進歩している。
二十世紀から二十一世紀へ移り変わる時期には、科学技術が爆発的な発展を遂げ、コンピューターが一般家庭へ広く普及していった。
それによってもたらされた変化は、まさに革命的だった。
現在のギャルゲーム市場には、低俗で粗製濫造された作品が溢れている。
本当に優れた作品と呼べるものは、ごくわずかしかない。
『Fate/stay night』さえ予定どおり完成し、M展へ出品できれば、間違いなく大きく売れるはずだ。
これほどのシナリオに、プロ漫画家である凌乃の美麗な原画まで加わっている。
少なくとも今の市場には、まともに競い合える作品など存在しなかった。
ただし、この作品の売上を妨げる要因があるとすれば、それは技術面だろう。
ディスクがパソコンへ挿入される。
凌乃は慣れた手つきで必要なドライバーをインストールし、デスクトップに表示されたアイコンをクリックした。
画面が黒一色に染まる。
やがて中央に、アルファベットで構成されたロゴがゆっくりと浮かび上がった。
――TYPE-MOON。
「そういえば、私に描かせたこのロゴって、どういう意味なの?」
凌乃が尋ねた。
涼介が彼女に頼んだのは、ゲームに使用する原画だけではない。
『Fate/stay night』のタイトルロゴをはじめ、現在表示されている企業ロゴのような特殊な図案も、いくつか描かせていた。
「まあ、先人に対する敬意みたいなものだ」
「このゲームが売れたら、その名前で会社を作ろうと思っている」
商標登録については、鳳凰院へ手続きを頼んである。
しかし会社を設立するには、現在の涼介には資金が足りなかった。
日本で会社を設立する場合、もっとも敷居の低い有限会社であっても、資本金として三百万円を用意しなければならない。
今の涼介にとっては、かなりの大金だ。
さらに実際の事務所も必要となり、賃料の問題もある。
「敬意って、誰に対してよ?」
「そんな名前の人や会社なんて、聞いたこともないけど」
高城凌乃は訝しげに涼介を見た。
「細かいことは気にするな」
涼介は説明を避けた。
どう話したところで、理解してもらえるはずがない。
「始まるぞ」
TYPE-MOONのロゴが闇へ消える。
続いて『Fate/stay night』のタイトルロゴが現れ、ゲーム本編が始まった。
◇
【それは、稲妻のような槍の穂先だった】
【心臓を貫くために放たれた、必殺の一撃】
【避けようとすることさえ、意味をなさない】
【それが稲妻である以上、人の目で捉えられるはずがないのだから】
◇
「いきなり本題に入るの?」
「英霊同士が戦ってる場面?」
「違う。倒叙法を使ってるんだ」
「今映っているのは、衛宮士郎が追い詰められている場面だ」
涼介は記憶を頼りに、細部をいくらか調整していた。
それでも物語の大筋や、冒頭の構成は原作とほぼ同じである。
画面の中で、赤い閃光が走った。
古い技術で作られた演出だけに、涼介の記憶にある製品版よりは見劣りする。
それでも、この時代のゲームとしては十分な出来だった。
「問題は、原画の解像度だな……」
涼介が画面を見守る中、凌乃がマウスをクリックし、文章を読み進めていく。
【――問おう。あなたが私のマスターか】
まるで閉じていた瞼が開き、暗闇が切り裂かれるように、精美なイベントCGが画面へ映し出された。
青い意匠の入った銀の鎧を身にまとった女騎士。
地面に倒れた衛宮士郎は、突如として目の前へ現れた絶世の美女を、信じられないものを見るように見上げている。
【召喚に応じ、参上した】
【これより我が剣はあなたと共にあり、あなたの運命は私と共にある】
【――ここに契約は完了した】
「すごい!」
涼介が口を開くより先に、パソコンの前へ座っていた高城凌乃が歓声を上げた。
「私の絵って、ゲームに入れてもこんなに綺麗に表示されるの?」
「今まで遊んだギャルゲームで、ここまで画面が綺麗なものはほとんどなかったわ」
「確かに、かなりいい出来だな」
涼介も素直に頷いた。
目で確認する限り、画面解像度は八〇〇×六〇〇。
四八〇ピクセルを上回り、七二〇ピクセルにはわずかに届かない程度だ。
涼介の記憶にある原作も、解像度自体は同程度だった。
表示に問題がないことを確かめると、涼介は妹のそばを離れた。
作業机へ移動し、残っているシナリオの執筆を再開する。
「一緒に遊ばないの?」
凌乃が不満そうな目を向けた。
「作った本人は、クリックするたびに次に何が出るか分かってるんだ」
「俺が遊んでも意味がない。それより原稿を進めるほうが大事だ」
「ふん!」
金髪の少女は誘いを断られたものの、それ以上は気にしなかった。
すぐに画面へ向き直り、ゲームの世界へ夢中になっていく。
もっとも、現時点の作品には、まだ一つ大きな欠点が残っていた。
BGMと原画は、今後も予定どおり揃うだろう。
しかし、重要な要素が一つだけ欠けている。
声優だ。
とはいえ、涼介にはそこへ回せる予算がなかった。
原画のデジタル化費用を用意するだけでも、すでに限界に近い。
ゲームが完成すれば、今度は大量のディスクを生産するための費用も必要になる。
「本当に金が足りないな」
「フルボイスにしようとすれば、新人だけを使っても一千万円はかかるか……」
この件については、早川静香にも相場を尋ねていた。
彼女から同業者へ聞いてもらえば、おおよその市場価格はすぐに分かる。
新人声優の出演料は、一台詞につき千円前後。
ヒロインの台詞数を考えれば、セイバー一人だけでも百五十万円ほど必要になる計算だった。
「ただ、主要人物だけに声をつけるなら、不可能ではないか……」
そう考えながら、涼介は妹へ視線を向けた。
凌乃は目を輝かせてパソコンを見つめ、ゆっくりと物語を読み進めている。
「こいつが金を貸してくれれば……」
涼介の知る限り、凌乃の貯金には少なくとも五百万円ほどの現金がある。
全額を制作費へ回せれば、資金面の負担はかなり軽くなる。
その一部を声優の出演料へ使うこともできるだろう。
ここまで質の高い作品なら、赤字になる可能性は低い。
問題は、妹が金を貸してくれるかどうかだ。
当然、利益が出た場合には、凌乃へより多くの取り分を渡す必要もある。
◇
一時間ほど経過した頃、凌乃は物語の重要な場面まで進んでいた。
少女の顔には緊張が浮かんでいる。
青い猛犬が、ついに家まで追ってきた。
【いいね。少しは楽しめそうじゃないか】
文章とBGMが生み出す圧迫感に、凌乃は強い刺激を感じていた。
「また殺されるんじゃないでしょうね?」
それまでの物語で、主人公の衛宮士郎はすでに一度命を落としている。
魔術によって手頃な道具を強化し、武器として利用しても、英霊の圧倒的な力を前にすれば一撃すら耐えられない。
逃げる以外に道はなかった。
凌乃は画面を凝視する。
士郎は蹴り飛ばされ、土蔵の中へ転がり込んだ。
生死が決まるまで、あと一瞬。
【王手だ。さっきのは少し驚いたぜ、坊主】
「ちっ」
高城凌乃は不満そうに舌打ちした。
「何なのよ、こいつ」
「私を殺すまで、どこまでも追いかけてくるつもり?」
「さっき選んだ選択肢が間違ってたのかしら」
ここまで追い詰められれば、ほとんど死亡したも同然だ。
それまでにも、凌乃は選択肢を間違え、白髪の少女に何度も殺されている。
「早く英霊を召喚しないと駄目なんじゃない?」
「あの真名が『アーサー』のヒロインを」
一度セーブデータを読み直そうかと考えた。
しかし、この場面がどのように終わるのか気になり、そのまま読み進めることにする。
赤い槍の穂先が、寸分違わず士郎の心臓へ向けられた。
【まさかとは思うが、お前が七人目かもしれないな】
【まあ、そうだとしても、これで終わりだ】
「この青い男、性格まであいつにそっくりね」
「さっさと殺せるくせに、わざわざ人を苛つかせることを言うんだから」
高城凌乃は突然振り返り、涼介を睨みつけた。
「何だよ」
「俺は何も邪魔してないだろ?」
涼介には、なぜ睨まれたのか分からなかった。
「別に。ただ、あんたって本当に嫌なやつだと思っただけ」
「……?」
涼介の困惑した顔を無視し、凌乃は再び画面へ向き直る。
画面が暗く沈んだ。
このまま死を迎えるかに思われた。
だが、その直後。
真昼の光のように白く輝く剣先が、暗闇を切り裂いた。
銀色の閃光が駆け抜け、槍と剣が激しく打ち合う音が響き渡る。
「えっ?」
凌乃の顔に驚きが浮かんだ。
(待って)
(ここで召喚されるの?)
彼女は、冒頭で描かれた倒叙の場面を思い返した。
【――まさか、本当に七人目のサーヴァント……!?】
青い猛犬が、土蔵の外へ弾き飛ばされる。
画面は人間の視界を再現するように揺れ、やがて突如現れた騎士王の姿を映し出した。
同時にBGMが流れ始める。
美しい旋律に、凌乃の胸が高鳴った。
声も出せないまま、画面の中の少女と見つめ合う。
比類なき美貌を持つ騎士王は、ゲームの冒頭で語った言葉を、再び口にした。
【問おう。あなたが私のマスターか】
「やばい……」
「これ、格好よすぎるでしょう!?」
凌乃は思わず両手で口を覆った。
絶体絶命の瞬間に、天から現れた英雄に救われる。
この高揚感は、実際に物語を体験した者でなければ分からない。
ところが次の瞬間。
自分の英霊が、あの青い猛犬をどのように打ち倒すのか見届けようとした矢先、画面が唐突に暗転した。
続いて表示されたのは、体験版を遊んだ者へ向けた感謝の文章だった。
「ちょっと、あんた!」
少女は山を駆け下りる虎のような勢いで、高城涼介へ飛びかかった。
「こんな大事なところで終わらせるなんて、どういうつもりよ!」




