第34話 同類
放課後、高城凌乃は交差点で新垣瑠璃と別れ、重い足取りで家へ帰った。
夕食の時間。
家族そろって食卓を囲んだものの、凌乃はほとんど食欲がないようだった。
料理に数口だけ手をつけると、早々に自室へ戻ってしまう。
高城勇夫と美恵子は顔を見合わせた。
二人とも凌乃へ直接問いかけることはせず、揃って涼介へ視線を向ける。
高城涼介は仕方なく急いで夕食を済ませ、二階へ戻った。
――コンコンコン。
夜八時。
涼介は勉強用の資料を手に、妹の部屋をノックした。
扉の前でしばらく待っていると、金髪の少女が不機嫌そうな顔を覗かせる。
「今日は休む。勉強はなし」
「そうか。構わないよ。その分は週末に埋め合わせればいい」
涼介はあっさり頷いた。
「それと、もう一つ頼みたいことがあったんだけど……まあいいか。気分が落ち着いてからにしよう」
涼介は勉強を教えるついでに、体験版用の原画について凌乃へ相談するつもりだった。
しかし、今はどう見ても話を持ちかけるような雰囲気ではない。
それ以上は何も言わず、踵を返して自室へ戻った。
◇
「何よ、あいつ。知らないふりだけは上手いんだから」
凌乃は扉を閉め、ベッドへ腰を下ろした。
絶対に見ていた。
間違いなく自分だと気づいていたくせに、今さら何も知らないような顔をしている。
凌乃はマットレスの下へ隠していたゲームディスクを取り出した。
しかし、今は遊ぶ気にもなれなかった。
昼間に見せた親友の態度が、思った以上に堪えている。
「こんなこと、絶対に瑠璃には知られたくない……」
「あいつ、まさか告げ口したりしないでしょうね?」
高城凌乃は不安を募らせた。
義兄の携帯電話には、瑠璃の番号が登録されている。
少しでも怪しいことを口にすれば、勘の鋭い親友ならすぐに秘密へ辿り着いてしまうだろう。
「口止めしたほうがいいのかな……」
凌乃はひどく悩んだ。
兄が妹の成人向けゲーム趣味を知ったなら、普通はすぐに両親へ報告するものなのかもしれない。
ところが、一日経っても涼介は何もしてこなかった。
そのせいで、何を考えているのか余計に分からない。
凌乃は苛立たしげにゲームをベッドへ放り投げ、そのまま枕へ顔を埋めた。
「もう、嫌……!」
顔を押しつけたまま、じっと息を止める。
次第に苦しさが身体へ広がり、耐えきれなくなったところで、ようやく顔を上げた。
頬は赤く染まり、呼吸も少し乱れている。
これは凌乃なりの、ストレスを発散する方法だった。
目元を赤くし、頭がぼんやりしてきた頃。
凌乃は、自分が最初から何か大事なことを見落としていたような気がした。
「……待って」
「そもそも、どうしてあいつがMにいたの?」
高城凌乃は今さらながら気づき、目を僅かに見開いた。
「そうよ。会場に来ていただけじゃない」
「あいつ、ブースに立ってゲームを売ってたじゃない」
ある可能性に思い至り、勢いよくベッドから立ち上がる。
「もしかして、あいつも私と同じ趣味なの?」
Mへ足を運ぶ人間の多くは、同類だ。
ギャルゲームや成人向け作品に嫌悪感を抱いている者が、わざわざあの場所へ来るはずがない。
凌乃は足早に部屋を出ると、半開きになっていた涼介の扉を勢いよく蹴り開けた。
「今日は勉強しないんじゃなかったのか?」
涼介が意外そうに振り返る。
「ふん。別の話があるのよ!」
凌乃は扉を閉めると、そのまま畳の上へ腰を下ろした。
胡坐をかき、値踏みするような目で涼介を見つめる。
「あんた、日曜日にMへ行ったでしょう?」
問題の核心に気づいたことで、凌乃の勢いは一気に戻っていた。
家族に現場を押さえられたと思っていたが、相手も同類なら話は違う。
先ほどまでの耐え難い羞恥心が、急速に薄れていった。
涼介は片方の眉を上げる。
「友人に会いに行っただけだよ」
「何よ。普段は真面目ぶってるくせに、あんたもオタクだったんじゃない!」
肯定に近い返事を聞き、凌乃の気分は一気に晴れた。
友人に会いに行っただけなどと言っているが、実際にはブースへ立ち、あんなゲームを売っていたのだ。
結局、この男にも人には言えない趣味がある。
(私のことを変な目で見てるんじゃないかって、心配して損した!)
涼介は眉を僅かに動かしたものの、特に弁解しなかった。
オタク扱いされることなど、彼にとっては大した問題ではない。
将来、成人向け作品を好み、同人文化を支える彼らこそ、涼介にとって最大の顧客になるのだから。
「まあ、そういうことにしておいてもいい」
「それより、お前がああいうゲームを好きだったことのほうが意外だったよ」
会場で凌乃を見かけたとき、最初こそ驚いた。
しかし少し考えれば、ある程度は納得できる。
(やっぱり、女の子が好きなのか?)
そうでなければ、男性視点で進む成人向けゲームに興味を持つ理由が分からない。
「馬鹿にしないでよ。私だって、華やかで刺激的なものを好きになる権利くらいあるんだから……」
高城凌乃は不機嫌そうに言い返した。
しかし、涼介のどこか含みのある視線に気づくと、すぐに警戒した表情へ変わる。
「あんた、何か気持ち悪いこと考えてるでしょ?」
「私がああいうゲームを好きなのは、刺激的な絵柄に憧れてるだけだから!」
「分かってる。全部分かってるよ」
涼介はどうでもよさそうに手を振った。
思春期なら、男女を問わず他人には言いづらい趣味の一つや二つくらいある。
それを本人の人格にまで結びつけて責めるつもりはなかった。
二次元の趣味など、多少刺激が強くても大した問題ではない。
現実で羽目を外すより、よほど健全だ。
「ちっ……」
高城凌乃は、その軽い態度が気に入らないらしく、露骨に顔をしかめた。
(この人、絶対に変なこと考えてる)
涼介はこの話題を続けるつもりはなかった。
凌乃のほうから秘密を明かしたのなら、ちょうどいい。
こちらも頼み事を切り出すことにする。
「俺からも、一つ頼みたいことがある」
「まさか、私に変なことをするつもりじゃないでしょうね?」
「秘密を知ったからって、それを使って脅せると思わないでよ!」
「あんただって、十八禁のイベントへ行ったことを、お父さんやお母さんには知られたくないでしょう?」
高城凌乃は無意識に一歩後ずさった。
こうした展開になると、どうしても成人向けゲームでありがちな物語を想像してしまう。
(やっぱり、こいつは変態なんじゃ……)
高城涼介は呆気に取られたあと、深く眉を寄せた。
この少女の頭の中には、いったい何が詰まっているのだろう。
「頭の中のくだらない妄想は捨てろ」
涼介は単刀直入に告げた。
「今、俺が進めているゲーム企画の話だ」
「原画を描ける人間が必要なんだけど、興味はあるか?」
凌乃は目を瞬かせた。
「ゲーム? どんなゲームよ」
「昨夜、お前が俺のベッドの下から盗んでいったものと同じ種類だよ」
少女の顔に、たちまち気まずそうな表情が浮かぶ。
(何よ。あいつ、昨夜起きてたの?)
(じゃあ、私が部屋へ忍び込んで、ベッドの下に潜り込んでいたときも、ずっと起きていたってこと?)
「ギャルゲーム?」
「そうだ」
涼介は頷いた。
「シナリオは俺が担当する。プログラムは友人に任せる予定だけど、原画だけはまだ人が決まっていない」
「短期間で頼める人間が見つからないから、時間があるなら何枚か描いてほしい」
「もちろん、仕事に見合った報酬は払う」
「なるべく早く、体験版を作る必要があるんだ」
「それって、私を臨時の手伝いとして使うってこと?」
高城凌乃は腕を組み、不満そうに尋ねた。
「そういうことになる」
涼介は素直に頷く。
すべての原画を凌乃へ任せるつもりはなかった。
『Fate/stay night』は成人向け作品であり、未成年には見せられない場面も多い。
妹と一緒にそうした絵を制作するなど、さすがに受け入れがたい。
ところが意外なことに、高城凌乃はほとんど迷わず頷いた。
「いいわよ。キャラクター設定は?」
「見せて」
少女が手を差し出したため、涼介はノートを渡した。
凌乃は正式な連載経験を持つ漫画家であり、精密で華やかな絵柄を評価されている。
デジタル作画の経験こそないものの、原画の下描きを仕上げるだけなら難しい仕事ではない。
手元のノートは、『Fate/stay night』に関するキャラクター設定資料だった。
鳳凰院へ渡すため、別に一部コピーしてある。
今、凌乃へ渡したものが原本だ。
ページには細かな文章がびっしりと書き込まれ、その合間に、とても人には見せられないような粗いラフ画も描かれていた。
それでも高城凌乃は、興味津々といった様子で読み進めていく。
「キャラクターの立ち絵は、差分込みで一人につき最低十枚」
「体験版に登場するキャラクターは、だいたい八人」
「それにイベントCGが最低十五枚、背景も十数枚……」
涼介の計算では、完成版に必要なイベントCGと背景の総数は、立ち絵を除いても五百枚を超える。
かなり膨大な作業量だった。
体験版で必要になる枚数は、それと比べれば遥かに少ない。
「二週間以内に仕上げられるか?」
涼介が尋ねた。
高城凌乃はノートを閉じ、不満そうに彼を睨む。
「あんた、私を誰だと思ってるの?」
「これくらい、余裕よ」
「ただし交換条件があるわ」
「お父さんには上手く誤魔化して。今週末は、たぶんスタジオへ泊まり込むことになるから」
「分かった」
涼介にとって、その程度は難しいことではない。
「それと、あんたも一緒に来ること」
「絵に注文があるなら、その場ですぐに直すから」
「自分の腕に、そんなに自信がないのか?」
「馬鹿じゃないの?」
高城凌乃は涼介を睨みつけた。
「依頼を受けた以上、適当に済ませるわけないでしょう」
「相手が何を求めているのか確認するのは、基本中の基本よ」
「それと、原画料の代わりにパソコンを一台買って」
「スタジオに置くから。それで報酬代わりにしていいわ」
「それだけでいいのか?」
涼介は怪訝そうに尋ねた。
今回依頼する作業量なら、現在の相場で考えても、一枚あたり最低五千円ほどは必要になる。
その基準で計算すれば、依頼全体の価値は少なくとも五十万円以上だ。
一方、最新のPentiumプロセッサを搭載した一般向けパソコンでも、三十万円ほどで購入できる。
(身内価格ってことか?)
それ以上に、涼介には気になることがあった。
「お前、もうパソコンを持ってるだろ?」
高城家の一人娘である凌乃は、勇夫から溺愛されている。
かなり早い時期から、自分専用のパソコンを買ってもらっていた。
「別にいいでしょう。私の勝手よ」
高城凌乃は、ふんと鼻を鳴らした。
(ゲーム専用にするなんて、絶対に言わないんだから)




