第15話 初代萌え王
「タイトルを見る限り、『月魔女変身』と同じ魔法少女ものなの?」
「いや、違うわ。それより、あんたに漫画のことなんて分かるの? どんな作品でも連載できるわけじゃないのよ。いったいどこからそんな自信が湧いてくるの?」
凌乃は疑わしそうな視線を向けてきた。
確かに涼介は、成績だけなら非常に優秀だ。
しかし、勉強と漫画を描くことはまったくの別物である。
頭のいい人間など、世の中にはいくらでもいる。
だからといって、誰もが漫画家になれるわけではない。
ネームのような下描きであっても、まず物語を作れなければ話にならないのだ。
漫画を連載することがどれほど難しいか、当事者である凌乃は誰よりもよく知っていた。
確かに今、『月魔女変身』は大きな成功を収めている。
それでも凌乃自身、次回作が必ず編集部の会議を通るなどとは思っていない。
たとえ連載を勝ち取れたとしても、打ち切られずに安定して続けるのは、さらに難しいことだった。
凌乃にとって、『月魔女変身』の成功はほとんど再現不可能な奇跡に近い。
彼女のあとに続こうと、同じ題材でデビューを目指した者もいた。
しかし、そうした作品はどれも無惨な結果に終わっている。
涼介は、凌乃の質問に正面から答えなかった。
まさか、この作品は別の世界ですでに市場から評価されている――などと話すわけにもいかない。
「数日中に、最初の十話分のネームを渡すよ。それを読んで駄目だと思ったら、断ってくれて構わない。勉強を教える約束は、そのまま守る」
(何よ。ただのお遊びってこと?)
高城凌乃は片眉を上げた。
漫画家である以上、流行した作品や過去に大ヒットした作品を一通り把握しておくのは、最低限必要なことだ。
そのおかげで、作品を見る目も自然と身についている。
ネームに力があるかどうかなど、読めばすぐに分かる。
本当に優れた作品なら、たとえ絵が壊滅的でも、読者を夢中にさせるものだ。
もちろん凌乃は、特定の作品を名指ししているわけではない。
「それ、あんたが言ったんだからね!」
凌乃は頷いた。
その条件なら、正式な原稿へ取りかかる前に、涼介の作品を却下できる。
つまり、何もせずに勉強だけ教えてもらえるということだ。
高城凌乃は、涼介が紙に書いた『カードキャプターさくら』という文字を、まるで真剣に受け止めていなかった。
「ああ。それで決まりだ」
涼介は手を差し出した。
「よろしく頼む」
高城凌乃は、露骨に嫌そうな顔でその手を払いのける。
「ネームを見せてもらってからよ。言っておくけど、私の見る目は厳しいんだから」
「そうか」
涼介は肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。
◇
仕事場から家へ戻った頃には、すでに夕食の時間が迫っていた。
涼介は本来の用事も忘れず、途中の店で凌乃のために受験用の問題集を一式購入した。
高校受験の勉強など、結局のところは問題を解くことに尽きる。
千葉県の過去問題については、昨年、涼介自身が一度すべて整理していた。
最新版を買ったのも、出題傾向に新しい変化がないか確かめるためだ。
「まさか、これを全部やれって言うんじゃないでしょうね? そんなの、いっそ死刑を宣告されたほうがましよ」
凌乃は、顎の高さに届きそうなほど積み上がった参考書と問題集を抱えていた。
その表情は、見るからに引きつっている。
冗談ではない。
これほどの問題を解ききる時間と忍耐力があったなら、今まで成績が悪いままのはずがない。
隣を歩く涼介も、両手に教材の束を一つずつ抱えていた
凌乃が持っている分まで合わせれば、普通の学生が一週間、不眠不休で取り組んでも終わらないほどの量だ。
「安心しろ。これは僕が出題傾向をまとめるために買ったんだ。お前に解かせる問題は、こんなに多くない」
仮に凌乃が本気でこれらすべてへ取り組んだとしても、涼介には、次々に出てくる疑問に一つずつ答えるだけの時間がない。
賢い人間は、理解の遅い相手に一から解法の考え方を教え込もうとはしないものだ。
涼介がやるべきことは、この大量の問題から重要な部分だけを抜き出すことだった。
受験で出題される可能性の高い問題を選び、それだけを凌乃に繰り返し解かせればいい
「本当に、今言ったとおりなんでしょうね」
凌乃は涼介を睨んだものの、それ以上は何も言わなかった。
◇
家へ戻り、夕食を終えたあと。
涼介は一人で自室へ戻ると、二時間ほどかけて問題集の一部に目を通した。
ここ数日は、すぐに凌乃の勉強を見始めるつもりはない。
まずは問題を整理し、出題範囲を絞り込む必要がある。
涼介の速さなら、ページを流れるような速さで読み進め、すべての教材を整理し終えるまで三日ほどだろう。
そして、その三日間でやるべきことは、もう一つあった。
十分な完成度を持つネームを仕上げなければならない。
涼介は机の引き出しから、ごく普通のノートを取り出した。
表紙を開き、最初のページを広げる。
ネームとは、漫画を描く前に作る下描きのことだ。
画力はほとんど求められない。
場面の内容や人物の動き、台詞が正しく伝われば、それで十分である。
とはいえ、ライトノベルを書く場合とは視点も表現方法もまるで違う。
それでも涼介にとって、慣れるのはそれほど難しくなかった。
以前にも一度、漫画制作へ挑戦したことがある。
ただ、信頼できる作画担当を見つけられず、その道を諦めただけなのだ。
「懐かしいな……」
涼介は小さく呟いた。
前世で孤児院にいた頃、夕方五時になると、子供たちは決まってテレビの前へ集まった。
全員で一緒にアニメを見るのが、毎日の楽しみだった。
涼介にとって、それはかけがえのない記憶だ。
どの回で何が起きたのか。
一話ごとの物語が、今でも深く記憶に刻み込まれている
『カードキャプターさくら』の原作は、CLAMPという創作集団によって生み出された。
しかし、この並行世界で、涼介は彼女たちに関する話を一度も耳にしていない。
前世では、1996年に少女漫画誌『なかよし』で連載が始まり、日本でテレビアニメ化されたのは1998年。
涼介が暮らしていた国のテレビで放送されたのは、2000年代に入ってからだった。
高城涼介はボールペンを握り、記憶に残る魔法の杖と、作品に登場する有名なキャラクターたちをノートへ描き始めた。
ほどなくして、主人公らしき人物の下描きが完成する。
「ぶっ……」
涼介はノートに描かれた、歪みきった人物を見て、思わず吹き出してしまった。
(これを昔の仲間たちに見られたら、間違いなく八つ裂きにされるな)
初代萌え王を、ここまでひどい姿に描いてしまったのだから当然だ。
「やっぱり、絵は駄目だな。作画は凌乃に任せるしかない。僕が力を入れるべきなのは、物語と台詞だ」
涼介は速度を上げ、ネームを描き進めていった。
漫画の下描きについても、以前にしばらく研究したことがある。
記憶に残っているアニメの映像もあれば、対応するコマ割りを作るのは難しくない。
ペン先が、紙の上を軽快に走っていく。
気づけば時計の針は、すでに日付が変わる時刻を指していた。
◇
高城凌乃は自室のベッドに横になり、何度も寝返りを打っていた。
パジャマの胸元に描かれた可愛らしいハローキティの柄を、枕で強く押さえつけている。
両脚をぴったりと閉じ、抱え込んだ枕を締め殺そうとしているかのようだった。
「ああ、もう……!」
凌乃は腕を振り上げると、苛立ちをぶつけるように枕へ勢いよく肘を落とした。
「何が『一緒に漫画を作ろう』だよ。よくもまあ、あんな大それたことが言えるわね」
彼女はベッドの上で身体を起こした。
昼間、仕事場から戻ってきて以来、涼介から持ちかけられた新作のことが頭から離れなかった。
しかし、どれほど考えても、頭に浮かぶのは似たような物語ばかりだ。
最後には必ず、現在連載している『月魔女変身』とほとんど同じ内容になってしまう。
それが、凌乃を焦らせていた。
(あいつが数日後に持ってくるネームも、どうせ支離滅裂なんでしょうね)
素人が思いつきだけで漫画に手を出すなど、自分を高く評価しすぎている。
確かに、義兄は普通では考えられないほど頭がいい。
それでも漫画に関しては、高城凌乃はまったく期待していなかった。
(冗談じゃないわ。あいつが簡単に面白い作品を作れるなら、今まで苦労してきた私は何なのよ)
おそらく涼介は、コマの割り方すら理解していないはずだ。
「眠れない……全部あいつのせいよ。新作のことばかり考えちゃうじゃない」
凌乃は不満そうに呟いた。
「『月魔女変身』の最終回だって、まだスクリーントーンを貼り終えてないのに……」
高城凌乃は枕の下から携帯電話を取り出し、親友である新垣瑠璃へメールを送った。




