第13話 勉強会
「それが僕と何の関係があるんだ?」
高城涼介は小さく笑った。
「真相を隠してもらえただけでも、ありがたく思うべきだろ。少なくとも今なら、父さんに止められる前に『月魔女変身』を完結させる時間がある。違うか?」
(こいつ……絶対に得意になってる)
高城凌乃は、悔しそうに歯を食いしばった。
しかし、落ち着いて考えてみれば、涼介の言うことにも一理ある。
凌乃は現在、中学三年生。
高校受験までは、まだ半年ほど残っている。
今すぐ父親に漫画をやめさせられるよりは、少しでも先延ばしにできたほうがいい。
涼介は、目の前の少女が怒りから徐々に冷静さを取り戻していく様子を眺めていた。
向けられる視線には相変わらず敵意が残っている。
その反応が、なぜか妙に面白かった。
「それで、どうする? 僕の指導を受ける気はあるのか?」
涼介は壁に背を預け、片膝を立てた。
小さく首を傾げながら、凌乃を見る。
「僕に教われば、本当に千葉第一高校に合格できるかもしれないぞ」
「本当に?」
高城凌乃は、自分の学力がどの程度なのか十分に理解していた。
少なくとも勉強に関して言えば、目の前にいる継母の連れ子には、どう足掻いても敵わない。
「さあな。僕の勉強法はかなり効率がいいけど、お前の頭で身につけられるかどうかは別問題だから」
涼介が笑いながら言うと、凌乃は枕を投げつけてきた。
「出ていけ! 誰が馬鹿だっていうのよ!」
枕を投げた勢いのまま、凌乃は声を荒らげる。
「全部あんたのせいじゃない。あんたたちが来るまでは、父さんに秘密が知られることなんてなかったのに……」
そこまで言うと、高城凌乃は椅子の上で膝を抱えた。
自分が口にしかけた言葉のまずさに気づいたのだろう。
そのまま黙り込んでしまう。
突然沈んだ様子を見せられ、涼介もすぐには反応できなかった。
(少しからかいすぎたか?)
よく見ると、凌乃の目尻にわずかな光が浮かんでいる。
涼介には、彼女が自分へ敵意を向ける理由も理解できた。
再婚家庭がうまくいかない原因の一つは、それまで一人に注がれていた愛情が分けられてしまうことにある。
以前の凌乃は、高城勇夫の庇護のもとで暮らしていた。
父親から向けられる愛情は、自分だけのものだった。
しかし、涼介が家族に加わったことで、一家の父親である勇夫は、二人の間で公平に振る舞わなければならなくなった。
何かにつけて自分と比較されるうちに、凌乃は父親の愛情を奪われたように感じてしまったのだろう。
先ほど彼女が言いかけた言葉の続きも、涼介には想像できた。
それでも、最後まで口にしなかったことは少し意外だった。
(根は悪い子じゃないんだろうな)
ただ、わがままに振る舞うことが癖になっているだけだ。
言葉は人を傷つける。
それを理解し、途中で止められるのなら、救いようがないわけではない。
「知られたものは仕方ない。そこまで心配する必要もないだろ」
高城涼介は小さく息を吐いた。
「僕が教えれば、千葉第一高校へ合格できる。そうすれば、これからも漫画を描き続けられる」
結局、涼介は折れてしまった。
本当は、このひねくれた妹を少しくらい厳しく躾けてやるつもりだったのだ。
「……あんたなんか信用できない」
高城凌乃は顔を背け、拗ねたように言った。
「信じるかどうかは好きにしろ。考えが決まったら、いつでも僕の部屋へ来ればいい」
高城涼介は立ち上がり、扉を開けて部屋を出ていった。
凌乃は閉じた扉をしばらく見つめたあと、ベッドへ頭から飛び込んだ。
苛立ちをぶつけるように、何度も枕を叩く。
「何よ、あの何でも分かってるみたいな態度。ほんっと腹が立つ!」
「勉強ができるからって偉そうに……千葉第一高校に合格させるとか、どうせ大口叩いてるだけでしょ……」
しばらく一人で暴れたあと、疲れたのか、凌乃はベッドの上で仰向けになった
ぼんやりと天井を見つめる。
◇
自分の部屋へ戻った涼介は、机の前に座った。
鞄から、島川映画が発行している最新号の漫画雑誌を取り出す。
フルカラーの表紙には、金髪のツインテールをした魔法少女が描かれていた。
額につけた逆三角形の飾りには、三日月の紋様が刻まれている。
間違いなく『月魔女変身』の登場人物だ。
つまり、義妹である高城凌乃が描いた作品である。
この雑誌は、昨日わざわざコンビニで購入したものだった。
「ある意味、本物の天才だな」
涼介はページをめくり、その号に掲載されている連載を一通り読んだ。
物語そのものは分かりやすく、設定にも目新しさがある。
しかし、この作品が市場で大きな成功を収めた最大の理由は、やはり緻密で美しい作画にあった。
昨日、島川ビルで凌乃本人を見かけていなければ、これを十四歳の中学生が描いたなど、到底信じられなかっただろう。
涼介からすれば、これほどの才能は、早いうちから伸ばしていくことが何より重要だった。
自分でも抑えきれないほど、わずかな嫉妬すら覚える。
前世の記憶を持つ涼介も、当初は漫画で最初の資金を稼ぐことを考えていた。
今は、漫画が大きな人気を集め始めている時代だ。
文字だけの作品よりも、絵で直接訴えかける漫画のほうが、商品としてのインパクトは強い。
ギャルゲームというジャンルが生まれたのも、それが理由の一つだろう。
物語を書く側が、市場に合わせて選んだ妥協の形でもある。
島川映画の中でも、漫画編集部はライトノベル編集部よりはるかに強い立場にあり、利益を生み出す力も何倍も高かった。
だが残念ながら、涼介には絵を描く才能がまるでなかった。
試しにペンを握ったこともある。
しかし、出来上がったものは、自分でも目を背けたくなるほどひどかった。
結局、ライトノベル作家としてデビューする道を選んだ。
現在、『キノの旅』は出版の機会を得ている。
ただ、前世の経験から考えれば、今の市場でこの作品が爆発的な人気を得るのは難しい。
題材そのものが読者を選ぶため、どうしても広く売れる作品にはなりにくい。
その代わり、確実にデビューするための作品としては優秀だった。
涼介は当初、『キノの旅』でまとまった収入を得て、それを元手にするつもりだった。
ネット上の友人である鳳凰院と協力し、市場に衝撃を与えられるようなギャルゲームを制作する。
それが、涼介の立てていた計画だ。
だが今は、費用を抑えながら開発を早められる、別の方法が目の前にある。
「もう少し関係がよくなれば、協力してもらえるかもしれないな」
涼介は雑誌を閉じ、机の上へ置いた。
◇
夜も更け、高城家の明かりはすべて消えていた。
涼介は風呂と歯磨きを済ませ、アイマスクを着けて気持ちよく眠っていた。
ギィ――
部屋の扉が、かすかな音を立てる。
一つの人影が、静かに室内へ入ってきた。
衣擦れのような音が続く。
そして――
パァン!
静まり返った寝室に、突然鋭い音が響いた。
涼介の頬に、焼けるような痛みが走る。
それだけではない。
身体の上には、何か重いものが乗っていた。
涼介は勢いよくアイマスクを外し、目を開ける。
金色の髪が、耳元へ垂れ下がっていた。
すぐ目の前には、整った少女の顔がある。
(何だ、この新手の復讐は?)
高城凌乃が、涼介の腰の上に跨がっていた
身につけているのは寝間着の上着と短いズボンだけ。
柔らかな太腿の感触が、はっきりと伝わってくる。
「お前、何してるんだ?」
高城涼介は、さすがに慌てた。
冗談ではない。
こんな場面を高城勇夫に見られたら、どう説明すればいいのか。
凌乃は獲物へ飛びかかる虎のような姿勢で、涼介の身体を押さえ込んでいる。
腰に跨がっているというより、尻はほとんど腹の上に乗っていた
「静かにして! 今、何時だと思ってるのよ!」
涼介が身体を押して退かそうとすると、凌乃は小声で叱りつけた。
「それはこっちの台詞だろ。真夜中に寝ないで、僕の部屋へ何をしに来た?」
涼介は彼女を睨む。
「しかも、こんな格好で人の上に乗るなんて。お前、変な趣味でもあるのか?」
高城凌乃は、自分の姿勢がどれほど際どいものなのか、まるで理解していないらしい。
眉を寄せたまま、涼介を見下ろしている。
「あんたが言ったんでしょ?」
「何を?」
「考えが決まったら、いつでも部屋に来いって」
「何についてだ?」
「勉強を教えてもらう話よ」
凌乃は当然のように答えた。
「決めたわ。千葉第一高校へ受かるように、私を指導して」
涼介は、呆れを通り越して笑いそうになった。
目の前の妹は、いったいどんな思考回路をしているのか。
月明かりを頼りに、部屋の時計へ目を向ける。
針は、午前零時を指していた。
「つまりお前は、その話をするためだけに、真夜中に僕のベッドへ上がり込んで起こしたのか?」
「そうよ!」
「それと、さっき僕の頬を叩いただろ!?」
「叩いてないわ。気のせいよ」




