第106話 布教
高城凌乃は迷うことなく全4巻を手に取り、そのまま会計を済ませた。
こうして友達に自分の好きなものを勧められる機会なんて、そうそうない。
本音を言えば、原作のゲームを遊んでもらいたいところだ。
けれど、あちらには年齢的に見せづらい内容が含まれている。以前の一件が強烈に記憶に残っているせいで、凌乃もさすがに同じ地雷を踏む勇気はなかった。
その点、『Fate/Zero』なら何の問題もない。
れっきとしたライトノベルで、18禁要素も一切ない。
「絶対読んでよ、瑠璃」
拒否権など最初から存在しないと言わんばかりに、凌乃は新品の4冊をそのまま親友のバッグへ押し込んだ。
「これって……お兄様が作ったゲームと関係ある作品だよね?」
新垣瑠璃はまだ例のゲームを実際にプレイしてはいない。
けれど、パッケージに描かれていた少女の顔くらいは覚えていた。
目の前の表紙に描かれている少女と、まったく同じだ。
「ゲームをライトノベル化したってこと?」
R18ゲームなのに、わざわざ小説として出版されるほど評価されているのだろうか。
瑠璃は少し意外に思いながら、平台の脇に立てられたPOPへ視線を向けた。
そこには大きく、
――電撃文庫大賞・金賞受賞作。
と書かれている。
「まあ、あいつ性格はムカつくけど、物語を書く才能だけは本物なのよね」
「……え?」
瑠璃がぱちりと瞬いた。
「それって、この小説はお兄様が書いたってこと?」
凌乃が「あいつ」と呼ぶ相手など、ほかに思い当たらない。
改めてポスターの下部を見る。
作者名は――
「虚淵玄……?」
「ペンネームよ、ペンネーム。あいつ、いくつも持ってるの」
凌乃は首を傾げながら続けた。
「虚淵玄とか、奈須きのことか。読者にカミソリ送られないためだって言ってた気がする」
「あともう1個あったような……女巨人がいつも呼んでる名前。でもまあ、それはどうでもいいわ。とにかく、この小説は本当に面白いから」
「奈須きのこ……」
その名前には、瑠璃も覚えがあった。
どうしてもR18ゲームを起動する決心がつかず、何度もケースを手に取っては眺めていたとき、スタッフ欄で見た名前だ。
つまり――
虚淵玄も奈須きのこも、お兄様のペンネーム?
そこまで考えたところで、瑠璃はふと疑問を覚えた。
「でも、お兄様ってかなり前から小説を書いてるんじゃ……?」
確か、時雨沢先生と同じくらいの時期にデビューした新人作家だったはずだ。
なのに、考えてみれば今まで一度もデビュー作を聞いたことがない。
「お兄様の最初の作品って、何なんだろう……」
◇
「――くしゅん!」
涼介は突然くしゃみをした。
「季節の変わり目だからかな。それとも誰かに噂されてるとか」
『Fate/stay night』が発売されてから、すでにしばらく経っている。
公式サイトのコメント欄には、HFルートのあまりに重苦しい展開へ抗議する書き込みがかなり増えていた。
最近では『Fate/Zero』を読んだファンまで加勢している。
中には、
――作者にカミソリを送りつけてやる。
などと物騒なことまで書く者もいた。
涼介の感想は至って単純だった。
送りたければ好きに送ればいい。
自分の正体と住所まで突き止められたなら、大したものだ。
こうした反応は最初から予想していた。
誰だって、登場人物全員が幸福になる結末を好むわけではない。
逆に、救いのない展開を受け入れられない人間も当然いる。
だが、受け入れられるかどうかと、作品が売れるかどうかは別の話だ。
『Fate/Zero』の売れ行きは、涼介の予想を大きく上回っていた。
初版1万部は即日完売。
島川書店は慌てて増刷を決め、一気に5万部を市場に投入した
それだけで、涼介に入る印税は1400万円に達している。
金賞受賞作という肩書だけで、ここまでの数字を出すのは難しい。
明らかに『Fate/stay night』のプレイヤーたちが動いていた。
さらに同時期、ゲーム本編の売上まで再び伸び始めている。
複数の販売店から、販売数が上向いているという報告が届いていた。
まさに相乗効果だ。
「文句を言いながら、ちゃんと買ってくれるんだよな……」
涼介は小さく笑った。
「高城君、もう少し身体を鍛えたほうがいいんじゃない?」
耳元で楽しそうな声がして、涼介は思考を現実へ戻した。
場所は東京・渋谷のカフェ。
向かいには、マスクをした少女が2人座っている。
今の発言をしたのは、茶色のツインテールを揺らす少女――朝倉未来だった。
目を細めながら両手で頬杖をつき、興味津々といった様子で涼介を眺めている。
その隣に座る早川静香が、未来の肩を軽く押した。
青く染めた前髪がふわりと揺れる。
「失礼なこと言っちゃだめだよ、未来ちゃん」
「えー? 高城君なら気にしないよね? 私だって心配して言ってるんだよ?」
未来は甘えるように静香の腕に抱きつき、涼介へ向かってぺろりと舌を出した。
「まあ、別に気にしてないよ」
涼介は笑って首を振った。
実際、言われても仕方がない。
季節の変わり目くらいで風邪を引くのなら、少しくらい身体を鍛えたほうがいいのかもしれない。
この半年、家に籠もって作業する時間も、夜更かしする日もかなり増えていた。
この生活を続けていて身体にいいはずがない。
涼介自身、そのくらいは分かっている。
『CLANNAD』のシナリオを書き終えたら、一度まとまった休みを取ってもいいかもしれない。
「ほらね。高城君ってやっぱり優しい~。そりゃ静香も――むぐっ!」
未来が隣の静香へ意味ありげな視線を向けた、その瞬間だった。
言葉を最後まで言い切るより先に、静香がケーキをひと切れ口へ押し込んだ。
危なかった……!
静香は内心で冷や汗をかいていた。
未来が何を言おうとしたのかくらい、分かっている。
同じグループで長く過ごすうちに、今ではかなり親しくなった。
多少踏み込んだ冗談でも平気で言い合える関係だ。
だからこそ、未来が口を滑らせる気配を感じた瞬間、身体が反射的に動いた。
「そりゃ静香が、何?」
涼介は首を傾げた。
途中で止められたせいで、逆に気になってしまう。
「な、何でもないよ!」
静香の頬がわずかに赤くなる。
慌てて話題を変えた。
「それより高城君。今日はまた、曲を作るのを手伝ってほしいって話だったよね?」
「うん。新作の企画が動き始めたからね」
数日前、涼介は静香へメールを送り、空いている日を尋ねていた。
今の静香は以前と比べて遥かに忙しい。
ライブやイベントへの出演も増え、爆発的な人気とまではいかないものの、アイドル業界ではすでにそれなりに名前が知られ始めている。
日曜日なら時間が取れると聞き、今日こうして会うことになった。
ただし、未来までついてくるとは思っていなかった。
「今回も前と同じ感じ?」
「いや、今回は全然違うタイプ。たぶん君たちが歌うには、あまり向いてないと思う」
「え? 今回は静香に歌わせないの?」
未来がケーキを飲み込んでから、意外そうに目を丸くした。
彼女が今日ついてきた理由の1つは、伊東慎平から「いい曲があれば持って帰ってこい」と言われていたからだ。
以前、静香と涼介が会ったことをきっかけに、『カードキャプターさくら』の主題歌をDream Chaserが担当することになった。
その曲は現在かなりの人気を集め、グループの知名度を一気に引き上げている。
伊東慎平も相当機嫌がよく、メンバーへ臨時ボーナスまで出したほどだった。
一方の静香は、今回自分たちが歌えないことを残念がる様子はなかった。
涼介から作曲を任される。
それだけで十分うれしかった。
「大丈夫だよ、高城君。今回は何曲くらい? 工藤さんにお願いして仕上げてもらうから」
「ほとんどはBGMだね。あとは歌が2曲」
涼介は少し考えながら続けた。
「君たちにはあまり合わないと思うけど、P社に歌える人がいるなら、その人にお願いできると助かるかな……」
そこまで言ったところで、ふと何かを思いついたように言葉を止める。
「そういえば、P社ってアニメ制作に出資することはある?」
「え?」
静香は目を瞬かせた。
さっきまでゲーム音楽の話をしていたはずなのに、どうして突然アニメ制作の話になるのだろう。
だが、隣の未来はすぐに意図を理解したらしい。
ぱっと目を輝かせる。
「高城君が言ってるのって、製作委員会に参加するってこと?」
「そう。それ」
「あるよ」
社交的な未来は、会社の仕事について静香より詳しかった。
伊東慎平が仕事の話をしているところを何度か耳にしたことがある。
「そうなんだ。それなら、今度時間を作って一度そっちへ挨拶に行こうかな」
「僕が今いる会社で、アニメを1本作る準備を進めてるんだ」
「P社が出資に興味あるなら、代わりに楽曲を2曲提供してもいい」
「え?」
未来がさらに身を乗り出した。
涼介は少し笑う。
「まあ、そのうち1曲なら君たちでも歌えるよ」
「というより、かなり合ってると思う」
「曲名は――『コネクト』」
◇
「やっぱり静香って、高城君に会うたびにいい曲もらってくるよね!」
帰り道。
未来は静香の腕にしっかりと抱きつきながら、かなり上機嫌だった。
カフェで涼介が口ずさんだメロディーを聞いた瞬間、アイドルとしての勘がはっきり反応した。
明るく、疾走感があり、それでいて前向きな力を感じさせる曲。
Dream Chaserのイメージにもよく合っている。
歌詞にややアニメソングらしさが強いため、さすがに自分たち専用に書かれたとは思わなかったものの――
「でもさ、前から思ってたんだけど」
未来が不思議そうに首を傾げた。
「高城君って、あれだけ曲のイメージ分かってるのに、なんで楽譜だけ書けないの?」
涼介はこれまで何度も静香へ編曲を頼んでいる。
それなのに、主旋律はもちろん、どんな楽器を使うか、曲のどこで音を厚くするかまで口頭で説明できる。
そこまで分かっていて「音楽はよく分からない」は、どう考えても不自然だ。
「才能……とか?」
静香自身も、そこは少し不思議に思っていた。
「説明つかなくない?」
未来はにやりと笑う。
「私ね、もしかして静香に会うための口実なんじゃないかって思ってるんだけど」
「えっ?」
静香が固まった。
次の瞬間、頬が一気に赤く染まる。
「な、何言ってるの!」
「だって、よく考えたらそれしかなくない?」
未来は楽しそうに続ける。
「これだけ曲を作れるのに、わざわざ静香にばっかり頼んでるんだよ?」
「しかも今回みたいに、最初は『君たちには合わない』って言ってたくせに――」
未来は悪戯っぽく目を細めた。
「その直後には、ちゃんと静香たちにぴったりの曲を1曲出してくる」
「そんな偶然、本当にあると思う?」




